ぶっちゃけた話 9

 伊東甲子太郎

 新撰組参謀(のち御陵衛士)。この話では洋子などに古典教室を開いている。

 今回は特に私の個人的嗜好が入ってますので、かみそりレターとウイルスメールとあの世からの幽霊は勘弁して欲しいです(苦笑)。

 掲示板で少し書いた「伊東さんはそんなに策士じゃないと思う」という根拠について。
・・・実は私、天才とか秀才とか策士とか言う「頭のいい」存在にはこだわりがありまして。どう考えても伊東さんには「策士」の割に用心深さが足りないな、と思うわけです。
 冷静に考えてみて下さい。幕末もどん詰まりのあの時期に、一人で夜中に京都の町を歩くってのがそもそも無謀極まりない。例え新撰組に襲われるとは思わなくても、他に暗殺者がいないとは限らない。伊東甲子太郎が腕の立つことくらいは襲う側も知っているでしょうから、それなりに腕のある奴を使うはずです。その中を一人で往復するってのは、土方が卑怯のどうの言う前に明らかに無謀でしょう。あえて言うなら自信過剰。
 多分、司馬遼太郎はこの辺のことで「あんたは才気に走りすぎる」と篠原に語らせたんだと思います。

 策士、或いは軍師、参謀というのの私の理想は、「起こりうるあらゆる事象を考えて、それぞれに対して対策を考えておく」というものです。例え考えていても自分が死んだらどうしようもありませんが、生きている限り対策は取れる。実行するには資金や人材がない場合もあるでしょうが、それでも考えておかないよりはましです。更に言うと自信過剰はもってのほか。
 実際、一流の策士は複数の手段を考えているものです。少なくともAがダメならB、BがダメならC程度は。伊東はそれを本気で考えていたのかどうか。或いは新撰組に入る当初は考えていたかも知れませんが、幕府が大政奉還した時点で「これからはこちらの天下だ」と思って気が緩んだのかも知れません。いずれにしても彼の暗殺当時、既に「次の手」を考えて準備を進めていた大久保利通や岩倉具視に比べたら、格が落ちると言わざるを得ません。与えられた場の違い以前の、気持ちの持ちようとして。
 もし彼がああいう死に方をせずに、明治まで生き延びていたら、立派な策士として評価してもいいんですが、最期の段階の印象で評価が随分下がってます、私の場合。

 

目次に戻る