るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十六 出開帳にて

 「ふわー、すごい人ですねえ」
洋子はそう声を上げた。どこかの寺が江戸まで来てご本尊の仏像を見せてくれると言う、いわゆる出開帳があったので沖田たち試衛館の仲間と一緒に見に来たのだが、これが凄まじい人出である。数ヶ月前に花火を見に行った時並みにすごい。
「取りあえずこの人波に乗っていけば、何とか目的地には着きそうだな」
土方が言った。道の両脇には露店が立ち並び、色々と売っている。洋子は結構目移りしていたが、この人ごみでは止まろうにも出来ないし第一沖田がしっかり手を繋いでいる。そんなわけで無事にお参りそのものは済ませたのだが、問題はその後だ。
「折角来たんだし、色々見て回ろう」
「それより俺は、どっかの茶店でのんびり饅頭でも食ってたいぜ」
藤堂と原田がそれぞれ言った。
「君はいつも食うことしか考えてないな。風流のない奴だ」
「何だと!?」
藤堂の嫌味に、原田はカッとなった。そのまま帰りの列から離れていく。それを苦笑しつつ見やって永倉が
「で、あっちの喧嘩は放っといてだ。このまま帰るか?」
「そうだな、確かに折角来たのに何もしないでおく手はなかろう。日暮れまでこの付近で思い思いに散策でもしておくか」
先に帰るのは、さすがにあの二人に気の毒だ。近藤の台詞に皆同意し、しばらく散策となった。沖田が手を繋いでいた洋子の方を見て
「じゃあ、どこか行こうか。どこ行きたい?」
「さっきの露店で、色々見たいです」
と、彼女は応じた。そこに斎藤の声がする。
「遅れたら何もないぞ。覚悟しておけ」
「分かってますよ。端から期待してませんから」
売り言葉に買い言葉、に近いやりとりをして、沖田についていった。

 参道沿いの露店には、色々なものを売っていた。いつもの露店とはやや違うのは、出開帳もとの寺のお札、その寺の地元の物産などが売られていたことで、違うお寺の品を売ってもいいんだろうかと洋子は子供ながら疑問に思ったものだ。
「あ、富くじやってる」
前方のひときわ凄い人だかりを見て、沖田が言った。富くじとは、現代で言う宝くじのことだ。収益金は寺社の修理などに使われ、こうした出開帳や祭りなどで客を呼んで行う。当然管理は寺社が行う。
「ああいうのって、当たるんですかねえ」
「当たったって話は聞かないけど、あんまり当たらないと客も来ないよ。試してみる?」
「あ、はい。運試しにもなりますし」
洋子が頷いた。二人で富くじを買いに行く。そして早速当選したかどうかを見に行った。
「ああ、外れてた。残念。洋子さんは?」
そこで初めて、沖田は彼女の姿が見えないことに気づいた。

 

 「あの阿呆が。どこに行ってやがる!?」
「もう帰ったんじゃねえの? 腹減ったし、さっさと帰ろうぜ」
「今来たばかりの奴に、言われたくない台詞だな」
沖田が洋子を見失ってから、すでに一刻が経っている。もう夕方で、原田辺りは比較的平然としているが、斎藤と沖田はそれどころではない。この物騒な時勢に子供が一人で夜の町を歩くなど、殺せと言っているようなものだ。
 第一、これが普通の子供ならともかく彼女の場合そうではない。英集会の誰かに見つかれば間違いなく連れ去られるし、御庭番衆に見つかっても恐らくそうだ。事が漏れたと気づいた『実家』から、暗殺者が送られてくる可能性さえある。そうでなくともこの人込みではいつ誰が人斬りに斬られるか分からず、それの巻き添えで無関係な庶民が死ぬという事件もたびたび起きていた。
 いくら好きではない人間でも、死なれたり誘拐されたりでは寝覚めが悪い。まして洋子は仮にも斎藤の弟子だ。保護する責任は当然あった。
『あの阿呆。どこで水売ってやがる、さっさと戻ってこい』
怒って怒鳴る原田には目もくれず、斎藤は視線を巡らせていた。
 自分でも奇妙だとは思うのだ。もともと教えたくて教えたわけでも、習いたくて習ったわけでもない。それにお互い居候に過ぎない以上、いつ出ていこうが本来的には彼女の自由で、止めだてする義務も理由もない。仮に殺されたり連れ去られたりしても、第一義的には自分の身を守れなかった洋子自身の責任で、自分に火の粉がかかって来る可能性がない限り放っておくつもりだった。なのにいざいなくなればこのザマだ。自分の言行不一致に、彼は苛立っていた。
『──妙な気配を放ってる奴はいない。はぐれて探してるにしても遅すぎる』
事件に巻き込まれたなら巻き込まれたで騒ぎになるはずだ。そんな気配もない様子では、斎藤としてはまさかの事態も想像せざるを得ない。
『あの阿呆が。家出するならもう少し形式ってもんがあるだろうが』
自分の持ち物はまとめ、部屋はきちんと整理した上で書き置きを残して、夜中に消えるべきなのだ。──まあ夜を鬼門と思う心理もあるだろうが、自分の師匠が寝ているときに出ていけないような奴は最初から家出する資格はない。
 とはいえ、彼には思い当たる筋は幾つもある。自分自身が家出の原因だろうことも、推測できている。いくら半年ほど薬屋で虐められたからと言って、洋子の生まれは旗本の、高家の娘だ。本来ならあんな修行に耐えられるはずもない。それを力尽くで従わせてきたのだ。嫌気がさして家出しても不思議はなかった。
『家出しても、あいつに行く場所はない。どうせまた妙な組織に拾われて、新吉原かどこかに売られるだけだ。分かっているはずだが…』
と考え、洋子が遊女になっている様を想像し──ぞっとした。急いで頭の中からその光景を追い払う。身震いするほどの嫌悪感だった。
『あいつが遊女に? 冗談じゃない』
そうさせてはならない。絶対に。洋子が見も知らぬ男に抱かれ、媚びを売り、相手の言いなりになっている様など、考えただけで吐き気がする。素はどうだか知らないが、斎藤の知っている洋子は、逆らって竹刀でぶっ叩かれて初めて従う存在である。それごと洋子だという感覚が、すでに彼の無意識内で確立していた。沖田相手にならともかく、来た客全てに愛想のいい彼女など、いていいはずがない。もし洋子が本気で家出するつもりでも、彼はそれこそぶっ叩いて気絶させてでも連れ戻す気だった。
「ちょっと行って来る。沖田君だけでは大変だろうから」
一応そう言い残し、斎藤はその場を離れた。

 しばらく歩いて洋子らしい姿を探している。同じくらいの背丈の、着古した綿の着物を着ている子供を捜すが、みな明らかに顔が違う。と、突然
「あれ? 斎藤さん、まだいたんですか?」
と、聞き慣れた声が降ってきた。辺りを見回すとすぐ傍の料理店の二階に、探している人物の姿があった。のんきに茶を飲んでいる。
「──貴様、一体何をやってたんだ」
低い声で訊く。洋子は平気な顔で
「え? ──いやあ、富くじに当たってですね。十両貰うのに子供だからって理由で色々検査されて、何だかんだで時間かかって、さっきやっと終わって…。あれ、いない…うわっ!!」
   バゴッ!!!
何の前触れもなく、頭に刀が鞘ごと叩きつけられた。洋子は文字通り卒倒し、気を失ってしまう。斎藤は一発殴って少しは平静さを取り戻したのか、周りを見回して机の上にある小さな袋に気づいた。中を開けると一両小判が十枚に小さな紙切れが入っている。紙切れを開けると 弐等在中 と書いてあった。
「探しの手間賃と待たせ代に没収だな」
苦笑混じりにニヤリとし、軽く息をついて洋子を肩に担ぐと階段を下りていった。

 「やれやれ、人騒がせな奴だな」
未だに気絶したままの洋子の顔を見やって、土方が言った。
 そのまま帰ってきた斎藤は、洋子が富くじに当たって賞金をもらおうと前に出た結果はぐれてしまったらしいこと、当たったと言って券を見せても信用されずにあれこれ調べられて遅れたらしいことなどを簡潔に説明した。
「とにかくそう言うことのようです。取りあえず、これは近藤先生に差し上げますが」
そう言って、斎藤は十両入った袋を近藤に渡した。経営の常に苦しい試衛館だが、これで何とか一息つけるだろう。それに、こうすればまさか洋子も文句は言えまい。
「にしても、何で茶なんか飲んでたんだ?」
原田が誰にともなく訊いた。
「遅れたんで、俺たちがとっくに帰ってると思って夕食を頼んだらしい。──ったく、独断専行する前にまず確認しろ」
一向に目の覚める気配のない彼女を見やって、斎藤は応じた。
「で、これからどうします?」
沖田が訊く。近藤が少し考えて
「そうだな、途中で食事でもして帰るか」
初物を食べるだけのお金はある。と、そこに水をかける音がした。思い切り咳き込む声と共に、洋子が目を覚ました。
「ぶわっ! 何するんですか、いきなり…」
「この阿呆が。行くぞ」
いきなり斎藤にそう言われ、状況が飲み込めずにぼけっとしている。それを察して沖田が話しかけてきた。
「君が富くじ当たったからね、ちょっと一杯パーッとやろうって事になったんだ」
「はあ。──あ、肝心の十両は!?」
「斎藤さんが没収して、近藤さんに渡したよ。それで飲むんだ」
と言ってニコっと笑ってみせる。これで完全に不満を封じ込まれた洋子は、ため息をついて立ち上がり、沖田に手を取られてついていった。