るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十九 泥棒騒動

 その日は近藤が多摩への出稽古で試衛館にはおらず、土方と沖田が中心になって仕切っていた。朝食後に道場に行きながら軽く欠伸をした洋子に、斎藤が
「まったく、いい加減に俺が起こさなくても自分で起きろ」
「あれでも他の居候さんたちよりは、早く起きてるんですけどね。斎藤さんが勝手に早く起こしてるだけで」
「剣を習い始めて一年経ってない分際で、偉そうに言うな」
「それを言うなら、私だって別に習いたくて習い始めたわけじゃないんです」
斎藤は舌打ちし、道場に入ったところで
「お前は今日一日、食事抜きだ」
「はあ!?」
洋子は一瞬目を瞬かせ、次いで反発した。
「そんなのひどすぎます! 死んじゃいますよ、ホントに!」
「阿呆。たかが一日で死にはせん」
「死にます! 百歩譲って死ななくても、午後の稽古に響きます!!」
   バキッ!!!
「自業自得だ。覚悟しろ」
洋子は脳震盪を起こし、返事が出来なかった。先に道場にいた沖田が、心配そうに二人を見つめている。

 その日は昼食も夕食も、洋子は食堂に姿を見せなかった。いれば食べたくなるからという理由で、自室で横になっていたのだ。
「大丈夫ですかね、洋子さん」
夕食の直後に箱膳を運びながら、沖田が彼女の部屋の方角を見やって、心配そうに斎藤に訊く。当の本人は
「たかが昼と夜抜いたくらいで死にはせんだろ。明日の朝も食いたくないと言い出したら問題だがな」
「でも──」
今日の午後の稽古で、洋子は明らかに元気がなかった。斎藤が気づいていないはずはないと思うのだが、無視していたので沖田は余計不安になっている。
「君が心配しなくても、あいつは人並み程度の強さは持ってる」
斎藤はそう言って、先に厨房で箱膳を置いた。

 夜、自室で寝る準備をしていた沖田は、廊下に人の気配を感じた。
「誰です?」
「お常です」
近藤の妻だ。彼は素早く立ち上がり、障子を開けると
「お常さん。何か用ですか?」
お常は辺りを窺った後、声を潜めて囁くように
「ちょっと、その──沖田さんに相談が」
「中に入りますか?」
お常は頭を振った。そうまでしなくていいですと言い、更に
「台所に鼠の化け物がいるかも知れないんです。さっき厠に行こうと思って外に出たら、台所の方から変な音がして」
「変な音?」
沖田は首を傾げた。お常は脅えた顔で
「がさごそやってて、怖いです。とにかく見に来て下さい」
頼むので、取りあえず行ってみることにした。

 台所の前で物陰に隠れて、しばらく気配を探る。鼠らしい鳴き声も聞こえないし、床を駆け回るような音もしない。どうも鼠ではなさそうだと沖田は思った。そしてお常を振り返り
「泥棒かも知れない」
「ど、泥棒!?」
お常は驚いて、大声を出した。がたごとっ、という音が奥から聞こえる。
「ちょっと素手では危ないかも知れないから、木刀持ってきますね」
沖田は小声で言って、道場に向かった。

 道場に近づいた沖田に、木刀か竹刀かで空を切る音が聞こえてきた。一瞬息を殺して気配を探るも、同じ音が繰り返し聞こえるだけで別に怪しい様子はない。誰かが稽古しているのだろうと思い、沖田が道場に入ると意外な人物がいた。
「あれ、斎藤さん──」
「沖田君か。どうした?」
竹刀を下ろして問う。沖田は取りあえず説明することにした。
「ちょっと台所に泥棒が入ってきたみたいなんで、捕まえようと思いまして」
「そうか。──万一の用心に、洋子に警告しておくか」
斎藤は竹刀と木刀を持ち替えると、洋子の部屋に向かった。

 「おい、洋子、話がある。起きてるか?」
部屋の前に着いた斎藤は、中から返事がないのに訝った。ひょっとしてもう眠っているのかも知れないと思い、扉を開ける。
「洋子?」
誰もいない。それどころか、布団も引いていない。
「──まさか」
斎藤はピンと来て、一瞬後には確信に変わった。あの阿呆が。
 そして歩いて沖田のところに戻る。泥棒と思しき気配はまだあるらしく、彼は気づかれないようにと遠巻きに様子を窺っていた。何しろ剣客揃いの試衛館で、台所まで入ってくるような凄腕の泥棒である。暗闇でもあり、用心に越したことはない。
「斎藤さんですか」
「ああ」
沖田は振り返らずに問い、斎藤が短く応じる。そして斎藤は更に
「俺は勝手口周辺を押さえる。君は正面から行ってくれ」
「はい」
頷いて、二手に分かれた。

 沖田が台所近くの角を曲がると、出入り口の前に複数の人影が見えた。無言で近づき、背後からいきなり
「何やってるんですか、お三方とも」
と訊く。ぎょっとした三人──原田、永倉、藤堂は揃って振り返ると、ほっとした様子で息をつく。そして永倉が
「沖田君か。いや、お常さんが台所に泥棒がいるって言うから見に来たんだが」
「大丈夫ですよ。裏は斎藤さんが押さえてますし、後は僕一人の方が動きやすいですから。お三方は万一泥棒に逃げられた時の用心に、庭と門と裏口にいて下さい」
「分かった。しかし何だ、お常さんは鼠だと思ってたそうじゃないか」
「──ええ。でも、僕の感じだとどうも気配が違うんですよね」
「そうか」
永倉は頷いた。確かに自分たちの感覚でも普通の鼠ではなさそうだったし、沖田が言うからには多分間違いないだろう。
「平助、ここは任せよう。左之助も来い」
二人に声をかけ、歩き出した。沖田はそれを一瞬だけ見送って、気配を消して台所の中に入る。息を殺して奥に行き、木刀を振り上げた瞬間
「いない!!?」
逃げられた、と思って周囲を見回すと勝手口が微かに開いていた。間違いないと思って駆け出し、そこを開けた直後
   バゴッ!!!
 近くでかなり大きな音がした。沖田ははっとして
「斎藤さん!!」
そちらに急行する。数間先の裏庭に立つ斎藤の足元に、倒れ込んだ人影が見えた。
「やっぱりお前か、この阿呆」
斎藤の視線の先、木刀で叩きのめされて地面にのびていたのは、子供のようだった。沖田が近づいて顔を覗き込み
「洋子さん!!?」
慌てて少女の体を抱える。そこにやって来た、永倉以下三人は顔を見合わせた。一瞬おいて、原田が爆笑する。
「つまり、洋子が腹減らしてこっそり食べに来てたってわけか。あーおかしい」
言った後も、クックックと声を殺して笑っている。背後に気配を感じた斎藤が振り返ると
「どうした?」
ようやくと言えるか、そこに土方が姿を見せた。

 「昼ご飯と夕ご飯食べてなかったからお腹空いて、寝ようにも寝られなかったんです。だから──」
「分かった。──やれやれだな」
道場で洋子の言い分を聞いた土方は、ため息をついた。自分が子供の頃を思い出してもそうだったが、この年代の子供が昼間あれだけ動き回っていて、腹が減らぬはずはない。
「斎藤君も、三度の飯くらいは何があってもちゃんと食わせてやれ。またこういう騒ぎになっても困るし、腹が減って眠れんようでは、まともに稽古も出来まい」
「──承知しました」
斎藤は無表情に応じた。土方は反対側の少女を軽く一瞥して
「洋子も、今度からこういうことはしないようにな」
「はい、分かりました」
洋子は素直に頷いた。土方が斎藤に食事を与えろと言ってくれたので、十分だった。