るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十 花火

 夏の夕方、試衛館の道場前の庭に洋子は突き落とされた。
「いーったーーい」
「いつになったら同じ手を食らわずに済むんだ、この阿呆」
縁側まで出てきて言うのは師匠の斎藤一。洋子は座ったまま不満げに応じた。
「同じ手って、前は袈裟斬りで今度は刺突ですけど」
「攻撃に力を入れすぎてかわされた後が疎かになる。そこに一撃を食らう。構造は全く一緒だろうが、貴様の場合」
「──でも──」
立ち上がり、服に付いた砂をはたきつつ彼女は言いかけた。それを遮って
「でももクソもない。さっさと上がれ、あと一本行くぞ」
「まだ行くんですか!?」
思わず大声が出る。お腹空いてるのに、と喉から出かかったが
「何だったら五本行くか」
「──一本で結構です」
ため息混じりに応じ、縁側に上がって道場に戻った。
 斎藤が叩かなかったのは、単に二人の距離の問題である。

 「ただいまー!」
稽古がようやく終わって竹刀を片づけている洋子の耳に、聞き慣れた声が届いた。
「あ、沖田さんだ!」
数日多摩の方に出稽古に行っていた沖田が、帰ってきたのである。片づけるのもそこそこに、彼女は玄関の方に向かった。
「おう、総司。多摩の方はどうだった?」
「皆さんお元気でしたよ。佐藤さんも」
迎えに出た土方の、義理の兄のことにさらりと触れる。
「そうかい、そりゃあ良かった。──と、その手荷物は?」
「花火ですよ。──洋子さんたちと一緒に、遊ぼうと思って」
そこにやって来た洋子に顔を向けて、沖田は続けて言った。
「この数日、大変だったでしょう? 斎藤さんと」
「はい、そりゃあもう色々と」
服は砂だらけ、頭にはこぶ。激しい稽古を想像させるに十分だった。
「沖田さんが帰ってくる直前まで、道場で稽古してたんですからね。他の人はみんな帰った後だってのに」
   バキッ!!
「貴様が何回も同じ手を食らうからだろうが、この阿呆」
「──だからって数をこなせばいいってもんでもないでしょう、アレは」
   バシッ!!!
「貴様が阿呆だから数をこなさないといけないんだ、ったく。大体付き合わされる俺の身にもなって見ろ」
「だったら付き合わなきゃいいじゃないですか、そん…」
   バゴッ!!!
洋子が言い終わる前に、斎藤が殴りつけて卒倒させる。
「誰のためだと思ってるんだ、この阿呆は」
その光景を見ながら、沖田は必死で笑いをこらえていた。

 「食事終わったら花火か、いいな」
みそ汁をすすって永倉が言った。沖田が応じて
「何だったら永倉さんもどうです? 僕と洋子さんと原田さんが確定済みなんですけど」
「あ、俺も参加していいか?」
別の方向から藤堂が言う。沖田は笑顔で
「もちろんどうぞ。多い方が楽しいですから」
「ちぇっ。折角三人でやろうと思ってたのによお」
原田が口を挟む。藤堂が
「楽しみは広く分け合うもんだと思うぜ。独占するんじゃなくて」
「参加する奴が増えたら一人あたりの本数が減るだろうが。それが嫌なんだよ」
「君は意外とケチな奴だな。そういう人間は嫌われるぜ」
永倉が横から言う。ケチとは何だ、と原田が大声を出したところに
「喧嘩するなら二人でやりますよ、三人とも」
沖田が平然と言ってのける。これで静かになった三人を見やってくすっと笑う洋子を知ってか知らずか、彼は隣の斎藤に小声で
「斎藤さんはどうしますか?」
「──ん、俺は…」
一瞬黙ったが、洋子をちらりと見やって
「遠慮しておこう。あの阿呆と遊びまで付き合おうとは思わん」
「はーい、分かりました」
沖田は笑顔で応じた。素直じゃないな、と言いたげな笑顔で。

    シューッ!
 沖田が蝋燭から花火に火を付け、洋子に持たせてやる。永倉、藤堂、原田の三人が集まってきて、それぞれ自分の花火に火を付けた。
「火が消えたらこの桶に入れてね、洋子さん」
水を入れた桶を用意して、沖田は言った。そして自分も火を付ける。
「すごいですね、この火の勢い。色も変わるし」
「そう? そう言えば、花火ってやったことあるの?」
「線香花火って言うんですか、パチパチ火が出る奴。あれはやったことあるんですけど、こういうネズミ花火は初めてです」
「そっか。──火が消えたね、取り替えてきたら?」
洋子は桶を探してそこに入れ、新しい花火を持ってきて蝋燭に近づけた。先の方の紙がひらひらしたところに火がついたので上げてみるが、すぐに消えてしまう。
「おかしいな、うまくいかない──」
「大丈夫?」
また蝋燭に近づけたとき、沖田が背後から近づいてきて声をかける。
「うまく火がつかないんです。
「ああ、それねえ。ひらひらした部分の根っこの──太くなってるところに火を付けるといい。そうすると──ほら」
   シュウーッ!!
「あ、ついたついた!」
洋子が歓声を上げた。そして後は一人で楽しんでいる。

 斎藤は、自室で布団を引いていた。横になろうとした瞬間、庭から楽しげな声が響く。
「花火なんざ、ガキのすることだ」
沖田や原田が、次の花火をどれにするか相談しているらしい声に混じって、例の独特な音に子供のものらしい歓声。
「──ったく、あの阿呆は早く寝ろ。明日も稽古があるんだ」
斎藤は、珍しくため息をついた。ひときわ大きな声が耳にはいる。
「──」
再びため息をついて、斎藤は立ち上がった。そのままの格好で部屋を出る。

 庭前の縁側にひょっこり姿を見せた斎藤を、目敏く見つけたのはやはり沖田。
「あ、斎藤さん。折角来たんだから一本くらいどうです?」
「いや…いい。様子を見に来ただけだからな」
応じたところに、子供の笑い声が聞こえる。
 洋子が笑っていた。昼間は決して見せない、屈託のない表情で。
「────」
斎藤は、言いようのない感覚に囚われた。そして自分でも戸惑った。
「──何言い出すんですか、原田さんは!」
そこで傍を通りかかった原田に、何か言われたらしい。洋子の声の調子が変わった。
「お、実は結構図星じゃねえのか、え?」
「違います! それ以上言ったら怒りますよ、本気で!」
思わず火のついた花火を振り上げかけた、そのとき。
「振り回すな阿呆。危なっかしい」
斎藤が、その腕をつかんで押さえつけたのだ。彼女は振り返って、不機嫌そうに
「──いたんですか、斎藤さん」
「騒がしくて寝つけん。──どうせなら火が消えてから振り回せ」
「──はーい」
さすがに自覚はあったようで、洋子は頷いた。手を離してやると、すぐに花火の燃えかすを持って桶の所に向かう。戻りかけた斎藤に、原田が
「よ、斎藤。遊びに来たんじゃねえのか?」
「──ガキの遊びに興味はない」
「そう言うなって。わざわざお前のために一本持ってきてやったんだぜ? 意外と楽しいからやってみろって」
今日は原田も機嫌がいいらしい。怒るそぶりもなく一本の花火を斎藤の目の前に示したので、ため息混じりに受け取った。そして蝋燭の方に行こうとして視線を向けると、洋子が燃えている花火を一心不乱に見つめているのが目についた。
「──」
「お前もすっかり師匠だな、斎藤」
思わず立ち止まったところに、永倉が声をかける。
「何だかんだ言って、目につくのは弟子の洋子の言動。様子を見に来たって言ったらしいが、誰の様子だ? おい」
ニヤリと笑ってみせる。斎藤は視線を逸らし、そして
「──脳天気に笑いやがって、あの阿呆が」
「そりゃ仕方ない。あいつはまだ、十かそこらのガキだぞ? 普通だったらもっと遊びたい頃だろう。むしろよく我慢してると思うぜ、俺は」
応答せずに蝋燭のところに行って、花火に火を付ける。シュウーッ、という音と共に、勢いよく花火が燃えだした。
 ふと、自分の幼い頃を思い出した。家は決して裕福ではなかったが、親兄弟と一夏に数回ほどずつ、花火で遊んだ記憶がある。最後に遊んだのはいつだったか…。
「楽しいでしょう、斎藤さん」
そこに、いきなり沖田がやって来た。
「斎藤さん、今笑ってましたもん。あ、すぐそうやって戻す──」
素直じゃないなあ、と沖田は苦笑混じりに言った。
「実は今日、少し多めに買ってきたんですよ、花火。近藤さんたちもやるかなと思って。でもあの人たち寝ちゃったから、余ってるんです。──はいこれ」
一本の花火を斎藤に示す。話が本当か疑問に思いつつ、斎藤は手渡された。良かった、と沖田は言い、続けて
「明日は洋子さんの寝坊、少しは大目に見てやってくださいね、斎藤さん」
言うが早いか、返事も聞かずにそこからさっと離れる。返事をし損ねた斎藤の耳に、洋子の笑う声が聞こえた。
「──まあいいか。珍しいものも見れたことだしな」
ため息混じりに、斎藤は呟いた。