るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十五 夜桜見物

 「こういうのを、花冷えって言うんでしょうね」
と、洋子は言った。夜の桜並木を歩いている。今日は試衛館の仲間と共に、夜桜見物をすることになっていた。原田が先に行って場所取り、後で皆がそこに向かう。洋子と沖田は別に歌舞伎を見て合流、という手筈である。
「多分ね。洋子さんはこうして花見するの初めて?」
沖田が応じる。洋子は少し遠い目をした。
「家の庭に桜があって、みんなで見てはいましたけど。出歩くのは初めてです」
「そっか。じゃあ今日は楽しんで」
洋子には己の過去を思い出して欲しくない。深入りさせまいと、そこで話題を変えた。
「みんな結構飲むからね。飲んでいい気になって君にも飲ませようとするだろうけど、最初の一杯くらいはともかく二杯目以降はちゃんと断ること」
「はーい」
言われた側は素直に頷いた。

 「おーい、沖田君!」
と、人一倍大きな声がする。原田の声だ。周りを見回すと、やや離れた土手の上、大きめの桜の下で手を振っている。何故か永倉と藤堂が一緒にいた。
「あれ、永倉さんに藤堂さん。何でお二人ともここに?」
「喧嘩要員、らしい。原田がもめ事起こすと困るからな」
永倉が簡潔に事情を説明する。藤堂が続けて
「まあ実際には、どっかの寺子屋の花見の後を譲って貰ったから苦労はなかったけどな」
「そうだったんですか、良かったですね」
沖田は半分ほっとした表情で言った。数年前、つまり洋子が居候になる前だが、花見の場所取りでどこかの大工と喧嘩しそうになったことがある。
「それにしても遅いな、残りは」
と言って、永倉が周りを見回す。と、原田が
「あれじゃねえの?」
指さした先には、提灯の光に照らされた六人ほどの人影がある。近藤周斎(勇の師匠)以下、まだ来てなかった面々のようだ。斎藤も茣蓙持ちでいた。
「ちょうどいいや。じゃあ僕が呼んできます」
沖田はそう言って、身軽く駆け出していった。

 取りあえず下戸の土方と飲めるけれど好きではない沖田の間に陣を取り、洋子はほっとした。斎藤と離れられるだけで随分ましだ。
 間もなく宴会が始まる。重箱を開け、食べ始めた。酒も回る。
「洋子、試しに一杯飲んでみるか?」
既に一杯を開けた原田が、そう言うなり杯を投げて寄越した。咄嗟にハッと取る。
「一杯だけですよ、原田さん。洋子さんは子供なんですから」
間の沖田が注意する。分かってるってと相手は応じ、洋子の杯に酒をついだ。
「じゃあ、失礼します」
一礼して酒を口に含む。それが喉を通過した途端、何やら急にそこが熱くなった。飲みきったと同時に激しく咳き込む。沖田が背中をさすってやりながら
「大丈夫、洋子さん」
「大丈夫…だと思いますけど…」
「なあに、その程度じゃ死にゃしねえって」
飲ませた本人は平気なものである。そこに、更に隣から
「もう一杯飲むか? 酒は結構慣れだって言うぜ」
「藤堂さん!」
もう、と沖田がきつい目で睨んだ。だがほろ酔い気分の藤堂は平然と、やっと咳が鎮まって煮物を口に入れた洋子に
「原田の酒が飲めて、俺の酒が飲めないって事はないよなあ」
と、半分脅しめいたことを言ってのける。どうやら酔いが回ってきたらしい洋子は
「分かりました。飲みますよ、飲めばいいんでしょう」
杯を差し出す。沖田が心配そうな表情で
「洋子さん!」
なみなみと注がれる酒を飲み干し、また咳き込んだ。
「もう、繰り返しますけど洋子さんはまだ子供なんですから」
彼女の顔が真っ赤になっている。沖田は本気で心配していた。
「心配すんなって。もし寝ちまったら運んでやっから」
と、原田が赤ら顔で手を振る。沖田は完全に無視して、茶を飲ませた。
「少し涼んでくる? 顔が真っ赤だよ」
「そうれすか? らいじょうぶらと思いますけろ」
魚の煮付けの一切れを口に運びながら、完全にらりった調子で洋子は応じた。
「大丈夫じゃないって。言葉が普通じゃないよ」
「らから、らいじょうぶれすって。ほら立てるし…」
立とうとしてふらつき、座り込んだ。それでもまた立とうとすると
「阿呆。足元が完全にふらついてる癖に、何が大丈夫だ」
斎藤の厳しい声が、二人の背後から落ちてきた。

 「あー、斎藤さん。何かあったんれすか?」
洋子の間延びした声に、斎藤は
「ったく。自分の身体も考えきらんのか、この阿呆は」
ガキの癖に酒なんざ飲みやがって、と続ける。
「俺の言うことには散々盾突くくせに、原田や藤堂の言うことは聞く。で、挙げ句の果てがこのざまだ」
「この様って、そんなに凄まじい状態れすかぁ?」
「二人で涼んできたらいかがです? 斎藤さんは騒がしいの嫌いでしょうし」
そこで沖田が唐突に言った。二人が反応するより先に
「取りあえず、二人分のおにぎりとおかず詰めておきましたから。斎藤さん用のお酒も用意してと。はいこれ」
料理の入った木箱を手早く風呂敷に包み、小型のひょうたんと杯も添えて斎藤に押しつけるように渡す。思わず受け取った相手に笑いかけ
「じゃ、あとよろしくお願いします」
と言ってのける。貰った側がはっとなって声を出す前にくるっと後ろを向き、後は完全無視だ。斎藤は天を仰いでしまった。
 何の因果で俺がこんな酔っぱらったガキの世話をせねばならんのだ、と思う。下を見ると洋子が不思議そうに自分を見上げていた。ため息と共に言葉が出る。
「少し遠いが、人の知らない名所がある。来るか?」
「あーい」
完全に酔っぱらってるな、と思った斎藤は洋子を背負って歩き出した。無論帰りは歩かせるつもりだが、酔っぱらいと歩く方がこの場合面倒だ。

 

 「──斎藤さん、まだですかぁ?」
土手で延々と続く宴会の群を抜けてから、かなり経つ。もう声も全くしない。
「少し遠いと言っただろうが。まだかかる」
当初の目的地はもう少し近い場所だったのだが、原田や藤堂の脳天気な紅ら顔が気に入らず、慌てさせるつもりで遠いところにしたのだ。
「あんまり遠いと、後で帰るとき大変ですよぉ」
「原因の貴様に言われたくない言葉だな」
一瞬黙り込む。だが今日の洋子は酒が回っていた。
「だって、原田さんと藤堂さんが勧めるんですよぉ。断ったら失礼じゃないですか」
ヒック、と言いながら相変わらずの間延びした調子で言う。
「師匠の俺には盾突く癖にか」
「だって、斎藤さん私のこと嫌いなんでしょう? 自分のことを嫌いな人の言うことなんて、素直に聞いたら馬鹿を見ますからねえ」
斎藤は黙った。背中から聞こえた台詞の前半が、彼なりにショックだった。
 自分で自分のことを、人に好かれる性格だと思っているわけではない。だから洋子が自分を嫌うのも分かるし、それで結構だとも思う。だが彼自身は、洋子のことを好きとは言えないにしても嫌いではないのだ。確かに教え始めた当初は面倒なだけで、嫌々やっていたが故の冷たさもあったかも知れないが、彼女の才能や過去を知った後では生意気さに苛つくことはあっても嫌いになることはなかった。明らかに誤解である。
「──だったら、何で俺はお前をこうして背負ってやってるんだ」
普通の誤解なら放っておくが、何故かこの誤解だけは解いておくべき気がした。
「そりゃあ、沖田さんが言ったからでしょう」
「背負って連れていけ、とは言わなかった」
今度こそ、洋子は黙り込んだ。分かったか、と言おうとした斎藤の目に、目的地が映る。
「おい、もうすぐ着くぞ。あの神社だ」
やや先の高台の上に、鳥居らしいものがある。程なく神社の屋根が見えた。そして、奥に満開の桜の木。暗い遠目でもはっきりと咲いているのが分かるほどの大きな木だ。神主がいるのか、神社の背後にぼーっと明かりが見える。

 「お前はここで弁当でも食ってろ。自然に酔いも醒めるだろ」
神社の、桜と向き合う境内に洋子と風呂敷を下ろし、斎藤は言った。
「はーい」
どうやら少しは酔いも醒めたらしい。ひょうたんと杯を持って、彼は桜の木の根元に行った。そして幹に寄りかかり、蓋を開けて杯に酒を注ぐ。一気に飲み干した。
 と、今まで雲に隠れていた月がゆっくりと姿を見せる。洋子はその光を頼りに弁当を食べ始めた。満月ではないが、なかなか明るい。
 月の光に照らされた満開の夜桜の下、時折聞こえるのは酒を注ぐ音だけ。洋子も斎藤も、それぞれの場所で静かに時を過ごしていた。

 「あ、斎藤さん。ご苦労様でした」
何故か洋子を背負っている。沖田の視線に気づいたのか
「この阿呆が、勝手に眠りこけやがって。おい、こら起きろ!」
と言うなり、斎藤は洋子をすとんと背中から落とした。いったあ、という声と共に彼女は目を覚ます。次の瞬間
「また斎藤さんですか。いきなり何やるんです」
「この阿呆が。わざわざ神社との往復背負ってやったんだぞ。感謝しろ」
「行きはともかく、帰りは起こしてくれれば良かったじゃないですか。何で…痛あっ!!!」
刀が鞘ごと、洋子の頭に叩きつけられた。