るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十六 斬殺二つ(3)

 次第に日が赤くなり、西に傾いていく。土方と斎藤は、三本目開始の合図があってからもう十秒以上になろうというのに、身構えたまま全く動かなかった。風やススキの音でも動ぜず、ひたすら己の意識を集中させ、相手の気配を探っている。
 土方の気が、静から動に変わった。ほぼ同時に斎藤の気も変わり、両者はほぼ同時に前方へ突進する。
   バキッ!!!
 互いの間で、木刀同士が衝突した。双方押し合うも一歩も引かず、一瞬離れて斬撃の応酬が数合続いた。再び離れて土方が間合いを取ろうとした瞬間、音もなく接近してきた斎藤が斬撃を浴びせかける。
「土方さん!」
沖田が叫んだ。相手の木刀を辛うじて受け止めた土方だったが、自らの得物は横向き、体は膝を曲げ、かなり不利に追い込まれている。斎藤が押し切ろうと更に力を込めた、次の瞬間。
 土方は自分の木刀の先端を斜め下に向けることで、斎藤の木刀を滑るようにその方向に導き、木刀同士が離れた瞬間、その型のまま相手の懐に飛び込んで一撃を叩きつけた。相手の体が数間ほど飛ばされ、地面に落ちる。
「土方歳三、一本!」
永倉の声を聞いて、沖田が土方に駆け寄った。

 「さすがに、酒井先生を斬り捨てただけの腕だ」
肩で息をしながら、土方は倒れている斎藤を見やって言った。
「負けたらどうしようかと思いましたよ、土方さん。僕に心配かけないで下さい」
沖田がほっとした様子で横から言う。原田も歩いてきて
「しかし、こいつも偉そうなこと言う割にあっけなかったな」
「自分の槍を折られた男には、言われたくない台詞だな」
低い声が聞こえた方を見ると、斎藤がちゃんとした姿勢で立っている。土方は驚いた顔をしていたが、原田は地面に唾を吐くと
「けっ。何だかんだ言っても貴様は土方先生には負けたんだ。強がり言いやがって」
「何なら、俺ともう一度戦うか? ──と言っても、そちらの槍は折られてるがな」
「はい。お二人とも、そこまで!」
沖田が二人の間に割って入った。そして土方が
「斎藤」
「──分かってます、決着は自分でつけます」
斎藤は、既に背を向けていた。そして、強い一撃を二つも叩き込まれたとは思えぬほど普通の足取りで歩いていく。
 その場の六人は、それを黙って見送った。


 それから数日後の夕方、ある小料理屋の扉が開いた。
「鏡心流の酒井の弟子が集まっている店というのは、ここか?」
簾髪の男が、周囲を見回して訊く。隅で数人ほど集まっている客の一人が顔を上げて
「俺たちは確かに酒井先生の弟子だが、あんたは何用だ?」
「果たし合いに来た」
一瞬にしてその場に緊張が走った。残りの男たちも顔を上げて、刀に手をかける。
「貴様、まさか…」
「そのまさかさ。──折角こっちから出向いてやったんだ、感謝しろ」
簾髪の男──斎藤一は、薄い笑みさえ浮かべていた。相手の男たちは怒って
「何だ、その薄笑いは!」
「我らを愚弄しおって、目にもの見せてくれる!」
「──まあ、待て」
中の一人が片手で制し、斎藤との間に割って入る。そしてその目を見据えて
「我らが師の敵討ち、させて貰うぞ」
と言い、そのまま店を出た。斎藤もやれやれといった感じで一息つき、それに続く。

 着いた場所は、江戸郊外の荒れ地だった。遠くに川も見える。結局小料理屋にいた鏡心流の五人は、斎藤を囲むように全員ついて来た。
「俺は鏡心流師範代、木内兵衛」
斎藤の前を歩いていた男が、刀を抜くとそう名乗った。それに続いて残りの四人も次々と身構えながら名乗っていく。いずれも目録以上の使い手の男たちだ。その後木内が
「仇の名も知らぬでは、先生の墓に報告出来ぬ。──貴様の名は?」
訊かれた側は、一瞬軽く驚いた様子だったが
「一刀流の斎藤一だ」
「そうか。では斎藤、観念しろ!!」
木内の声を合図に背後から襲ってきた一人を、斎藤は抜き打ちで斬り捨てた。

 江戸の町に衝撃が走ったのは、翌日のことだ。
「聞いたか、新八っつぁん」
「ああ聞いた。何でも鏡心流の木内兵衛君以下五人が、荒川の近くの荒れ地で斬殺されてたそうじゃないか」
試衛館の道場前の縁側で、藤堂と永倉が話し合っている。そこに沖田が現れて
「多分、あの人の仕業でしょうね」
「──ああ。間違いない」
声を落として頷いた。そこに空を切り裂くような音が聞こえる。
「あの二人も、相変わらずだな」
「まあ、相当衝撃だったんでしょうね。原田さんは槍を斬られてますし、土方さんも勝ったとは言えかなり苦戦してますから」
三人の視線の先には、それぞれ真剣に稽古している話題の二人の姿があった。するとふと土方が稽古の手を止め、三人をじろりと見て
「こら、総司。見てるくらいなら俺の相手をしろ」
「あ、はいはい! 僕は僕で稽古しますから!」
沖田は慌てて竹刀を取りに行く。苦笑混じりに残る二人が続いた。

 それから更に数日経って、斎藤がひょっこり試衛館に姿を見せた。
「あ、斎藤さん…」
気配に気づいて玄関に行った沖田が声をかけるのを全く無視して家に上がり、廊下を歩いて空いている部屋を見つけると、無言でそこに入って畳の上にじかに横になる。気になってついて来た沖田が見ているのを知ってか知らずか、百を数える間には眠りこけていた。
「総司、どうだった?」
道場に戻ってきた沖田に、土方が様子を訊く。
「疲れてるみたいで、眠ってます」
小声で応じた。そして
「しばらく様子を見ましょう。五人も殺した直後だけに、気味が悪い」
「分かった」
どうやら、斎藤からただならぬ気配を感じ取ったらしい。沖田の言うことなので間違いなかろうと思い、土方は敢えて止めなかった。
 その日の夕方、斎藤は不意に起きてきて、食事前の近藤や土方・沖田その他居候たちの末席に腰を下ろした。原田や藤堂が色めき立つのを永倉が抑え、近藤が妻のお常に視線を送り、新たに一食分の箱膳を持ってこさせる。持ってきた彼女に会釈して、斎藤は食べ始めた。食べている間中、一言も言葉を発しないし笑顔も見せない。密かに気味悪がる周囲に、彼は気づいている様子もなく、食後も黙って部屋に戻り、沖田が様子を見に行った時には既に眠っていた。翌朝もそんな調子で、僅かに道場に誘われて「怪我をしているので稽古は無理だ」と断った時以外、眠っているのか部屋で音を立てずにいる。
 そんな様子が数日続いたある日、斎藤は朝から外に出て行った。帰る気になったかと内心ほっとしたのもつかの間、昼頃どこからか背中に行李を担いで戻ってくる。気になった沖田と原田が泊まっている部屋までついて行き、訊いた。
「何ですか? これ」
「見ての通りだ」
常の素っ気なさで応じられ、顔を見合わせる。
「開けてみてもいいですか?」
「ああ」
開けたところ、下着が数枚に道場着が二着と普段着の浴衣が三着、正装用の羽織袴が一着。それに薄い掛け布団が一枚入っている。
「これは…どういう気だ?」
原田が険しい声で訊く。斎藤は掛け布団を出して押入にしまいながら
「見ての通りだが。君と同じだ」
一瞬後、原田は頭に血が上って怒鳴り散らした。
「俺は認めねえぞ! てめえと同じ屋根の下にいるなんざ、絶対にごめんだからな!!」
「だったら、出て行けばいいだろう。こっちも君には用はない」
「な…何だと!?」
原田が完全にキレて掴みかかってきたのを脇にさっとよけ、倒れそうになるのを見やって更に
「また槍を折られたいんなら、勝手にしろ。阿呆が」
「あ…あああああ阿呆だと!!? てめえ、絶対にぶっ殺してやる!!!」
「はい、そこまでですよ、お二人さん」
沖田が二人の間に入り込んで、両腕で押しやって離れさせる。そして
「まあ、僕もある意味で居候ですから、人のことあんまり言えませんけど。──本気ですか?」
斎藤は無言で頷いた。沖田は苦笑混じりの顔で
「じゃあ、好きにして下さい。原田さん、行きますよ」
そう言って、さっさと部屋を出た。突然のことに狼狽して呼び止めた原田だったが、沖田はどんどん遠ざかっていく。ややあって
「いつか絶対、槍の借りは返してやるからな!」
言い捨てて、道場に戻った。斎藤は唇の端に微妙な笑みを刻みつつ、行李を押入の下段に押しやる。

 こうして、斎藤一は試衛館の居候の一人に数えられることとなった。