るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十三 子供の喧嘩

 「頼もう!」
試衛館の門前から道場に、声が聞こえた。
 奥で座って門人や居候たちの稽古の様子を見分していた道場主の近藤は、一瞬目を瞬かせたが一言も発しなかった。
「頼もう!」
また、同じ声がする。混じって稽古していた土方と顔を見合わせ、困った様子で大きく息をついた。それから自分で道場の端まで出て、下男に用事を聞いてくるように言った。
 戻りかけた近藤に、ひときわ大きな音が聞こえた。
   バシッ!!! ドサッ!!!
「いっっったーーー!」
「気を散らすからこうなるんだ、この阿呆」
基本中の基本を忘れやがって、と続ける。更に
「とにかくすぐに上がれ。道場破りがこっちにくる前に、あと一本やるぞ」
「来る前って、もうそこに来てますけど──あ、どうも」
庭に落ちていた洋子と、門から入ったばかりの道場破りらしい剣客の目があった。座ったまま軽く一礼する。次の瞬間
   バキッ!!!
「いいからすぐに上がれ、この阿呆」
「何でそういうことでまで叩くんですか、斎藤さんは! 挨拶した分遅れただけだってのに!」
「ケッ。喧嘩かよ、門人同士で」
聞いただけで子供と分かる声が、前方から聞こえた。見るとちょうど洋子と同じほどの年令の少年が、道場破りの剣客の後から着いて来たらしく立っている。
「悪かったわね、喧嘩で」
むっとして洋子が応じる。その声を聞いて、少年は急に怪訝そうな表情をした。
「お前、女か?」
「そうよ。だから何か?」
数秒ほど、少年は洋子の全身を眺め回していた。それからプッと吹き出し
「お前、女の癖に剣術習ってんのか! とんでもねえじゃじゃ馬だな」
洋子は怒って立ち上がった。
「やかましい! 女が剣術習っちゃダメっていう決まりがどこにある!?」
「普通の女は習わねえだろ、剣術なんて。普通の女は、な?」
二度目の「普通の女」を、特に強調して言った挙げ句、声をあげて嘲笑う。これで完全にキレた洋子は、持っていた竹刀で相手の頭をボカッと殴りつけた。
「て、てめえ! 殴りやがって!」
「人を散々煽っておいて、よく言うわ。自分はぼーっとしてた分際で」
「うるせえ、この正真正銘のじゃじゃ馬女!」
「さっきからじゃじゃ馬じゃじゃ馬って、習いたくて習い始めたわけじゃないっての!」
斎藤も、少年の保護者に当たるだろう剣客も、面倒なのか放っておいている。そこに、不意に現れた沖田が庭に降りて来て
「二人とも、喧嘩したいなら道場でやる?」
と、洋子と相手の少年に言った。
「僕が見ててあげるから。思いっきりやりなよ」
「あ、はい!」
洋子が嬉しそうに頷き、道場に上がった。相手の少年は「え」という顔だったが、
「決闘放棄する気?」
今度は洋子が嘲笑めいた口調で言う。少年は
「うるせえな。お前こそ負けて文句言うなよ」
と言って、同じく縁側から道場に上がった。その後に続いた沖田に 
「沖田君──」
「斎藤さんが悪いんですよ、洋子さんのこと庇ってあげないから」
斎藤は目を瞬かせ、次いで笑った相手から視線をそらした。
「とにかく、人呼んでくるまでの時間稼ぎに、洋子さんに暴れさせますんで」
「──分かった」
小声で言われて同意する。この道場では、道場破りが来ると大抵、神道無念流の大道場である練兵館の門人を呼ぶのだ。三人以上の大人数なら試合を翌日にすることも出来るが、今日のように一人だとかえって翌日にはしづらく、時間を稼ぐために接待などを大仰にすることも多かった。

 「では、天木洋子対…」
三本勝負で決闘することにして二人の名前を言いかけ、沖田は少年の方を見た。考えてみれば彼の名前も聞いていない。
「小次郎だ。高田小次郎」
小次郎がぶっきらぼうな口調で答える。沖田は微笑して
「では、改めて。天木洋子対高田小次郎、はじめ!」

 小次郎と洋子が同時に突進する。中央付近でぶつかり、数合打ち合った。
「おい、いいのか? やらせて」
斎藤に永倉が訊く。不機嫌そうに応じて
「人が来るまでの時間稼ぎらしい。──しかしあの阿呆、あれだけ減らず口叩いておいてあんなガキといい勝負とはな」
視線の先で二人は押し合っていたが、小次郎の体勢を狂わせるのに成功した洋子が素早く間合いを取る。そして斬りかかった。
「そりゃしょうがないさ。大体お前さんは洋子に期待し過ぎだ」
心外そうな表情で自分を見つめる斎藤に、永倉は
「相手は道場破りの連れてるようなガキだぞ? 相応の実力があると見ていい。俺に言わせれば十分よくやってると思うがな」
「よくやってようが何だろうが、負ければ同じだ」
不機嫌に応じる斎藤の前で、小次郎が床に竹刀を叩きつけて言った。
「当たっただろうが、今のは!」
「軽くね。けど、あれじゃあ一本取ったとは言えないなあ」
沖田が応じる。天然理心流での試合の審判では、かなり強く打ち込まない限り一本は取らないのだ。そこに洋子が
「肩をかすっただけでしょう、全然致命傷じゃない」
「何だと?」
小次郎が近寄って来た。
「なら貴様は食らわせられるのかよ、その致命傷とやらを!」
「──食らいたい?」
洋子が一転して、静かな口調で聞く。そして身構えながら
「こう見えても、食らう方は結構食らって来てるんで。ふっ飛ばされて脳震盪起こしたことも数知れず」
「脳震盪は頭に直撃食らった時だろう、阿呆が」
「俺に言わせりゃ似たようなもんだ」
斎藤の独り言に、傍の永倉が感想を述べる。相手の小次郎は
「食らっただけで偉そうに言うな。食らわせられるもんなら食らわせてみろ」
「後で何が起きても、知らないからね」
言った後、突進した。
 一撃を加えて駆け抜けた洋子の背後で、小次郎は白目を剥いてゆっくりと倒れ込んだ。

 「一本! …と、言いたいところなんだけど」
「ちょっとやり過ぎましたかね」
小次郎の傍でしゃがみ込んだ沖田に、洋子が声をかける。
「やり過ぎだよ、洋子さん。いくら相手の台詞に腹が立ったからって」
「もう少し長引かせるつもりだったんですが、すみません」
   バシッ!!!
「阿呆。ガキの癖に何が長引かせるだ」
「だって、練兵館から人…」
沖田が慌てて口を塞ぐ。練兵館から助っ人を呼んで来ているなど、道場破りの相手に漏れたら最後なのだ。押さえ込まれて大人しくなったかに見えた洋子に、斎藤が
「ガキはガキらしく本気でやり合ってさっさと決着つけろ。いらん配慮はするな」
「いらん配慮って、人が折角心配してるってのにその言い方はないでしょう!」
   バキッ!!!
「そういうことは相手の攻撃を完全にかわせるようになってから言え、この阿呆。こんな坊主の袈裟斬りもかわせん分際で」
「あれはちょっと肩にかすっただけですって!」
「完全にと言っただろうが、阿呆。道場破り追い払ったら覚悟しろ」
またか、と苦笑しつつ顔を見合わせる沖田と永倉だったが、客間の方から近藤が歩いてくるのを見て表情を改めた。その後、道場破りの当人と思しき男が現れる。
 腰を落として歩き、眼光は鋭い。服は古く決してきれいではないが、それは諸国を歩いて剣の修行をしていたためだろう。道場を見回していたその男は、一角で固まっている五、六人に目を留めた。
「斎藤君?」
自分の名前を呼ばれ、ふとそちらを見た彼は、数回目を瞬かせた後
「太田先生じゃないですか」
「やはりそうだったか、君がここにいると聞いて来たんだが」
意外な展開に、その場にいた周りが驚いた。洋子が
「お知り合いですか?」
「まあな」
短く応じて歩み寄る。そして
「お久しぶりです。前に会ったのは──」
「三年前だな。しかし驚いた、君も修行の旅に出たと思っていたんだが」
「この通りです。色々事情がありまして」
軽く頭を下げる。そこで小次郎が目を覚ました。
「う…」
「どう、あれが致命傷ってもんよ。真剣だったら確実にあの世行き」
洋子が少し得意げに言う。一気に正気に返った相手は
「てめえ、覚悟・・・痛っ!」
太田が小次郎を背中からつねって黙らせ、代わりに自分が
「うちのが騒いだようで、申し訳ない。私からよく言って聞かせますので」
「いえいえ、気にしてませんから」
   バキッ!!
「阿呆。猫被るな、気色悪い」
洋子は頭の叩かれた箇所を押さえつつ、振り返って応じた。
「この間と言い今日と言い、何で人が礼儀作法を守ってるのに気色悪いなんて言い出すんですかね、斎藤さんは」
「似合わんから言うんだ。普段は俺にさえ平気で楯突く癖に」
「また喧嘩かよ。懲りねえなあ、お前も」
小次郎の、横からの台詞にカッとして手を出しかけた洋子だったが、斎藤と太田がそれぞれ自分の弟子を止める方が早かった。激痛に呻いている弟子二人を尻目に
「お互い、弟子にはついてないらしいな」
「そのようで」
顔を見合わせて苦笑する。その背後で洋子がぼそっと
「どっちかと言うと、私の方がついてない気がするんですけどね」
   バゴッ!!!
「ま、こういう弟子です。日頃の苦労は察して下さい」
おやおや、と太田は床に倒れ込んでいる少女を見やった。

 それから数日、太田とその弟子の小次郎は試衛館に滞在した。
 洋子は小次郎との通算成績が三十九勝一敗で、ほとんど一方的に薙ぎ倒していたと言っていい。もっとも、そんな結果よりも斎藤抜きで稽古が出来る事の方が、彼女には嬉しかったようだが。