るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十二 四つの死(5)

 数刻後、当時新撰組が屯所にしていた西本願寺で四人の葬儀が行なわれた。
 降り出した雨の中を、遺体一つにつき隊士四人で黒谷から運ぶ。近藤・土方は会津藩からの籠使用の申し出を断り、編み笠を被って隊士たちの先頭を無言で歩いた。
 屯所では、洋子が中心となって葬儀の準備が進んでいた。普通は通夜の後で正式な葬儀なのだが、今回は急ぐらしくいきなりである。
「天城君は?」
屯所に戻ってきた土方が、そう訊いた。
「本堂で葬儀の準備をしていますが、呼びましょうか?」
「いや、いい。──死体を本堂まで運んでくれ」
後ろからついて来た隊士に、指示を出す。彼らは濡れたまま縁側に上がり、本堂に向かって歩き始めた。
 葬儀には参加できる状態の隊士がほぼ全員参加し、その大部分に当たる七十五、六人が新撰組の菩提寺である光縁寺まで葬列を組んで送った。近藤と土方も両方に参加し、彼らを『己の立場や思想に殉じた武士』として、最大限の敬意をもって葬ったと言えるだろう。ここに至る思想上の対立は、一切問題にならなかった。
 洋子は葬儀の終了直後、一枚の短冊を中村の棺に入れようとした。
「挽歌ですか」
そこにいた僧侶が取って、中身を一読する。
「『都にて浮世の夢やさめぬらん あかつきいそく夏の夜の月』──」
「ええ…」
暗い様子で、俯いたまま小さく頷いた。
「入れておきましょう。今日は色々と、準備などお疲れ様でした」
「いえいえ、こちらこそお世話になりました」
小さな声で言い、頭を下げる。戻る時も今にも消え入りそうな雰囲気で、誰とも会釈さえせずに俯いたままだった。
急なこともあって準備中はとにかく忙しく、感傷に浸る余裕などなかったのだが、いざ葬儀が始まると、四人の切腹の様子と苦悶に満ちた死に顔で心の中が一杯になってしまったのだ。さぞ無念だったろう。そして私は──
「洋、お前は残れ」
光縁寺まで行くつもりで本堂を出たところを、土方に命令された。
「ですが」
「総司についててくれ。でないとあいつまで行きかねん」
咳をしながら葬儀に参列していた一番隊組長のことを、そう表現する。
「沖田さんの監視役ですか」
「そういうことだ」
珍しく、土方は笑ってみせた。洋子は一瞬だけ作り笑いをして、沖田の部屋に向かう。

 その頃高台寺の御陵衛士では、佐野たちが近藤・土方の説得に成功せず、自ら黒谷の会津守護職本陣で切腹したという知らせを受けたばかりだった。
「早まるなと、私があれほど申したのに」
伊東はそれだけ言って、絶句した。立ち上がって新撰組屯所のある方向を見やる。
「さぞ無念だったろうに。四人には申し訳ないことをした」
「──せめて我々の手で、葬ってやりたいものだが」
弟の鈴木三木三郎が、兄に続いて立ち上がった。情報を仕入れてきた服部が
「新撰組では、遺体を燃やして埋葬するべく、近藤・土方以下の隊士が七十数名ほどで光縁寺へ向かっているとのことですが」
「隊士が七十人以上、ね」
意外そうな声で、篠原が言った。
「こいつは、今すぐ遺体を取り返すのは無理だな。──伊東さん、ここは一つ臥薪嘗胆といきましょう」
「あの四人の遺体を、みすみす近藤などの手に任せると言われるのか!」
新井忠雄が詰め寄った。だが篠原は、まあ落ち着けと言わんばかりの口調で
「今すぐ取り返すとなれば、光縁寺にいる新撰組隊士七十数名を相手にすることになる。今の手勢では勝ち目はないし、あの近藤たちがわざわざ出てくるってんだからそう悪いようにはせんだろう。いずれ取り返すにしても、今は動くべきではない」
「──何だったら俺が、我々を代表して埋葬に参加して来ようか」
と、藤堂が言った。そして立ち上がると
「新八つぁんにでも頼んで、末席に並ばせてもらうさ。その程度はせんと、四人に申し訳ない。──斎藤君も来るか?」
「いや、俺はいい。阿呆と喧嘩すれば埋葬どころじゃなくなる」
斎藤はそう言って断った。程なく藤堂は高台寺を出る。


 その日、全ての仕事を終えた洋子は一人、夜の雨の中を生気なく歩いていた。中村たちの死に様が、目に焼きついている。
「所詮、無理なんだよね。新撰組を出るなんて」
そしてそれは、斎藤が彼女にした約束が、実行不可能であることをも意味していた。
 約束。『お前が新撰組の他の奴らに捨てられるようなことがあれば、御陵衛士に来られるようにしてやる』という、二人の分離前の最初の話し合いで提示された、洋子の新撰組残留の条件である。背景事情こそ異なるが、伊東があくまでも中村たちの異動を拒んだ結果こうなったのであり、洋子が御陵衛士になることも恐らく無理だろう。まして斎藤は事実上、新撰組からの諜報として御陵衛士になっており、いざとなれば新撰組の方を取るに違いない。幸いにして今までは捨てられるような事態になっていないが、問題は直参になった後のこれからなのだ。いつ自分の正体がばれるか、いつ捨てられるか。
 闇夜に、古い記憶が蘇る。あの日の、あの夜の暗闇。従兄弟に背を向けられ、見知らぬ男に裏口から荷車に乗せられて屋敷から永遠に追い出された、あの夜。そしてその後、英集会では勿論のこと、そこから送られた薬屋にも、私の居場所はなかった。最後には、冬の寒い夜に文字通り捨てられた。その夜の闇は、死への暗闇のはずだった。
「──あの時、死んでいれば良かったかも知れない」
今頃になって捨てられることに脅え、苦しむくらいならば。死ぬ機会はいくらでもあったはずなのだ。助けてくれと、望んだわけでもない。
「助からない方が良かった」
呟いた途端、人の気配を感じた。いつの間にか家の近くまで来ているようだ。
「何やってるんですか、斎藤さん」
五歩ほど進んだ先の角で、一人立っている悪人面の男に声をかけた。その男は返事をせず
「『あの時』とはいつのことだ?」
問い返した。言葉に詰まった洋子に、嘲笑混じりの笑みを浮かべて
「ったく、阿呆が。心配して来てみればこれだ」
「──別に、心配してくれなくてもいいですよ」
ため息混じりに、力無く応じる。そのまま通り過ぎようとした彼女だったが、相手は立ち塞がるように回り込む。苛立った口調で
「何ですか、斎藤さんはもう」
「お前は、特別だ」
斎藤は、はっきりとそう言った。
「お前だけはな」
「──斎藤さん──」
自分に背を向けてどこかへ歩いていく彼を、洋子は見送った。

 

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