るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十六 暗殺(4)

 洋子は気配を消しながら、斎藤の後を付ける。或いは気づかないふりをしているだけかも知れないが、彼は取りあえず振り返ったり見回したりせずに歩いていた。
 と、いきなり立ち止まる。慌てて角に隠れた彼女を知ってか知らずか、斎藤は誰かを待っているような様子だった。しばらく動かない。
 洋子は、少しずつ身を乗り出していた。相手は土塀にもたれかかったまま、動かない。左手に手槍を持ったまま。彼女の存在が感づかれた様子もない。
『あの手槍、誰のだろう』
それが分かれば今日の目的も多分分かるのだろうが、如何せん新月の暗闇の中のこの距離では、手槍の細かい形状さえ判別するのは難しい。かといってこの人通りの少ない小路でこれ以上斎藤に接近すれば、間違いなく感づかれる。
 近づくに近づけない状態の中、時間だけが流れていった。

 そこに、複数の男の声がした。斎藤が顔を上げる。
 誰かが近づいてきている。洋子は声の一つに聞き覚えがあった。
『この声は──』
別れの挨拶のような言葉が聞こえる。声の質からして、少し酔っているらしい。
 その後、一人分の足音が聞こえてきた。徐々に近づいてくる。斎藤がもたれるのを止めて、そちらに歩いていった。角で通り過ぎようとした男を
「谷先生」
と、斎藤は呼んだ。振り向いた相手に、手槍を投げ渡す。
「立ち合っていただきましょう」
谷は目を瞬かせたが、すぐに悟って言った。
「──そうか、最近どうも暗殺される者が多いと思ったら──」
「そういうことです」
洋子は目を瞬かせた。──てことは最近の斎藤さんが変なのは──
「土方の差し金か?」
「さあ」
「──まあいい。どのみち貴様は倒さねばならんのだ」
そこで初めて、両者は正対した。

 『斎藤さん──』
洋子は咄嗟に物陰に隠れて、斎藤と谷を見ていた。谷は槍で、斎藤は刀で身構える。
『──あれは、牙突じゃない』
普通の斜め青眼。刺突を攻撃の中心とする槍相手に同じような攻撃で対処していたのでは、間合いが短い分剣の方が不利になる。まして斎藤の場合、斬撃から刺突への変化は恐ろしいほど早いので、どう身構えようと実際には大して差はない。
「──嘗めるなよ、斎藤」
「別に、貴方を嘗めてはいませんよ」
暗闇の中、顔は互いによく見えない。まして洋子に見えるはずもないのだが、彼女には斎藤の様子が手に取るように想像できた。──苦笑してる。
「そうか。ならばこちらから行くぞ」
空を裂く音。洋子は物陰から顔を出して覗いてみた。暗くて動きの細部まではよく見えないのだが、槍の先端が星の明かりを受けて、辛うじて光を放っている。
 槍が誘うように動いている。斎藤は微動だにしない。それがしばらく続き、洋子は唾を飲み込んだ。考えてみれば、斎藤の実戦を完全な第三者として見るのは初めてだ。
 今までは、斎藤が負ければ次は自分という前提があった。自分の闘いと彼のそれとが同時進行で起きることも多く、完全な第三者として彼が闘うのを見る機会はなかった。いくら実戦形式とは言え、稽古は稽古である。
「そちらから来るのを、待ってるんですがね」
斎藤の声が響く。谷は黙って槍を微妙に動かしていた。さすがに双方とも慎重だ。
 槍は、間合いが長いだけに死角が出来る。一撃で突ければいいが、引くのに失敗してそこに踏み込まれれば最後なのだ。無論、谷ほどの者の刺突をかわして踏み込むなど、そう簡単には出来ないのだが。
 上空で何かが羽ばたく音。洋子が見上げたが、暗くて何かよく分からない。──鳥が鳴いた。カラスである。
 それが聞こえた瞬間、二人はほぼ同時に動いていた。谷が槍を繰り出し──斎藤が先端を斬り落とす。そして次の瞬間には懐に踏み込み、地面に槍の先端が落ちるのとほぼ同時に奥の手を出した。
『牙突零式!!!』
食らった谷は、数間向こうに飛んでいって土塀にぶつかり、地面に叩きつけられた。

 「く…な、何故だ…」
「上層部の考えることは、私にはよく分かりません」
と、斎藤は言った。
「ただ、新撰組にあって貴方はもう用なしってことです。──いや、用より害の方が多くなったと言うべきか」
「──わ…わしの…、どこが…害だ…? 周平を──」
「違う、とだけ言っておきます。それ以上はあの世で考えて下さい」
刀を引き抜く。今まで止まっていた血が噴き出し、谷は息絶えた。

 もはや、ただの肉の塊となった谷三十郎を見やって、洋子は思った。
『人を暗殺することは、ああまで性格を変えるものだろうか』
斬り殺すこと自体は、手入れや巡察などで前からやっている。暗殺とは手段の違いに過ぎないはずなのだが、その差は殺す側の性格まで変えてしまうらしい。
『あれは、私の知っている斎藤さんじゃない』
だから何なのか。私の知らない彼に、どう接すればいいのか。
 そして、彼女は突如悟った。
『──いつか、斎藤さんが私を呼んでくれなくなる時が来る』
阿呆、とさえも言ってくれない日が来る。それがいつになるか、またどういう形でかまでは、分からないが。ただそれが何を意味するかだけは、分かっていた。
「──おい阿呆。何を見てやがる」
洋子は黙っていた。応じる気になれない。
「──こういうわけだから、俺を頼るな」
相変わらず返事がない。舌打ちした斎藤は
「ったく、人のやってることを見物する暇があったら修行でもしてろ。お前が当てにならんから俺が色々する羽目になるんだ」
 ──当てになったらなったで、それなりにやってたでしょうよ──
「と言っても、俺がお前を当てにするなんざ一生あり得んだろうが。せいぜい俺の足手まといにならんように努力する程度が関の山だな、お前の場合」
『どっちにしても、私は私で好きにさせて貰いますよ。今日のことは何も言いませんが、これからはあかの他人です』
そう思って、その場から離れようとした瞬間。
   バキッ!!!
 背後から思いっきり殴りつけられた。
「人に声かけられて、返事の一つも出来んのか。この阿呆は」
「──する必要もないでしょう。今回の件、私は見なかったことにしておきますから」
振り返らずに応じた洋子に、斎藤はやや苛立った声で
「それとこれとは話が別だ。師匠に声をかけられて、返事もせずにその場から立ち去る弟子なんざ聞いたこともない。──隊内ではどうであれ、お前はまず俺の弟子だ」
「────」
『まず俺の弟子、か』
その一言に、何故か救われたような気がした。
「だから、余計なことは考えるな。どうせ阿呆の考え休むに似たりだ」
「──それ、馬鹿の考えの間違いじゃありません?」
声が、普段の調子に戻ってきている。
「どっちにしてもお前には同じことだ」
「──さっきから聞いてたら、言うことが思いっきり矛盾してません?」
「ほう…。どこがだ、言ってみろ」
そこで洋子は、くるっと振り返った。いつもの雰囲気、いつもの調子だ。
「大体、斎藤さんを頼らないって事は色々考えなきゃ行けないって事なんです。余計なことだろうが何だろうが、色々と。それを──」
「阿呆。その考えたことが三歳児レベルだから、俺が苦労するんだ」
「さ…三歳児レベルって、それいくら何でも──」
「事実だろうが」
これで完全にキレた洋子は、刀を抜いて斬りかかろうとした。が、一瞬前に斎藤に腕を取られ、思いっきり投げ飛ばされる。民家の塀にぶつかって地面に落ちた。
「ったく、この阿呆が」
そう言った後、斎藤はさっさと立ち去った。