るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十九 嵐山(4)

 十五夜直前ということもあり、空の月はかなり明るい。洋子たち三人は、この付近では一番の大通りを北に向かって歩いていた。
「ちょっと寒いな、今日は」
「大丈夫ですか? ホントに急に寒くなるんですから」
紅葉の季節でもあり、夜とは言え開いている店もある。何か買ってきましょうか、と洋子は言ったが、沖田は首を振った。
「大丈夫だよ。心配するほどのことも──コホン」
襟巻きを巻いたり中に一枚多めに着たりと、沖田には寒さ対策はしてあるのだが。
 これは長居しない方が良さそうだ、と残る二人は同時に思った。そして無言で歩いていく。いきなり沖田が声を出した。
「あ、これ面白そう」
何かと思えば、多色刷りの浮世絵である。売ってある店の明かりで見てみると、どうやら嵐山の紅葉を描いたものらしかった。
「土方さんたちに、お土産に買っていってあげましょうよ」
「それはいいですけど、これから大覚寺に行くんですよ。持っていったら邪魔になりません?」
洋子がたしなめた。そこに店の主人が現れて
「何か用どすか」
「いえね、この浮世絵の版画が欲しいんですけど、今から大覚寺に行くもんですから。帰りに買おうかなと」
沖田が説明した。店の主人が頭をかいて
「今日は今から店じまいどす。買うんやったら明日──。何でしたら、預かって置きまひょか。手付け金気持ちだけ貰うて」
「あ、それでいいんですか? だったらお願いします」
そう言って沖田は小銭を幾らか払い、主人は奥にその絵をしまった。

 大覚寺の近くになると、店はさほどない。往年は門前市が盛んだったようだが、今はその中心が南に移ってしまった。だが、その分だけ月の明るさがよく分かる。歩くのに困らないだけの明るさは充分あった。
 そして寺の中に入り、門から庭の方へ歩いていく。本堂の前にある大沢池には、月がそのまま映っていた。
「綺麗──」
洋子が呟くように言った。風が吹き、水面を波立たせる。池の奥の方にある木立が、さわさわと音を立てた。
 複数の人の気配が、微かにする。どこだ、と三人はそれぞれ周囲を窺った。
 木陰の奥に、人が二人ほど見える。ほぼ同時にそれに気づいて近づいていったところ、向こうもこちらに気づいた。互いの顔を確認して、驚く。
「緋村──」
剣心こと緋村抜刀斎が、桂小五郎と共に立っていた。

 五人中四人が、咄嗟に刀に手をかけた。
『まずいな、これは。──沖田さんが戦えない…』
一瞬の斬り捨て程度は出来るだろうが、沖田の体力は剣心を相手に長時間戦えるものではない。そして敵としては当然そこを狙ってくるだろう。私か斎藤さんか、どっちかが傍についていなければ。
「ここは、大覚寺の敷地内だ」
刀に手をかけていない一人、桂小五郎がやや間の抜けた声で言った。
「ここでの殺生は仏罰に触れる。やめた方がいいだろう」
剣心の肩に軽く手をかける。しかし、と言いかけたところに
「そう──ですね」
洋子が応じた。助かった、と思ったのだ。
「ここは、嵯峨天皇の昔から朝廷に関わりの深い寺。その方々がご覧になっているやも知れませんから、ここでは殺生は慎んだ方がいいでしょうね」
「そういうこと。──それにしても、いい月だなあ。満月でないのが惜しいが」
桂は腕を組んで月を見上げた。洋子が応じて
「月には兎がいるそうですが、一匹で寂しくないんでしょうかね。毎日団子作ってたら、絶対飽きると思いますけど」
「僕は、多分恋人か奥さんかと一緒に作ってると思うけどなあ。一匹でなくて」
沖田がその横で、独り言のように言った。そして洋子の方を見て
「前に試衛館で年末に餅つきやったときのこと、覚えてる? お常さんがこね役だったんだけど、近藤さんがついたら息が合うのに僕や土方さんだと全然息が合わないの。あの時はさすが夫婦、って感じで」
「覚えてますよ。年末の恒例行事でしたよね、あれ。──それにしてもお常さん、今頃何やってるんでしょうねえ」
「さあね。親子揃って無病息災らしいよ」
家も広くしたらしいし、と沖田は応じた。そして剣心と桂が離れていくのを見つけて、のんびりした調子で声をかける。
「お二人さん、どこへ行くんです?」
「今日はもう遅いから、宿屋に帰るよ」
桂が、こちらもややゆっくりした口調で応じる。
「明日の朝にはここを出るつもりにしてる。君たちはゆっくり楽しんでくれ」
「はーい。そうします」
沖田が応じて、そのまま見送る。姿が見えなくなった途端、激しく咳き込んだ。
「! 大丈夫ですか!?」
咄嗟にまずいと思った洋子は、しゃがみこんだ彼の背中をさすった。約十秒後にやや落ち着いてきたとき、横からすっと手が入る。見上げると斎藤だった。
「こっちもすぐに帰るぞ」
「あ、はい」
言うが早いか、彼は沖田を背負って帰りだした。

 翌朝、洋子が目覚めたときは斎藤は出ていった後だった。どうやら日の出前に出たらしく、彼女宛の書き置きが残っていた。
「『貴様が起きるのなんざ待ってられんから、俺は先に出る。上手く行けば抜刀斎にぶつかるかも知れんしな。お前は沖田君についてろ。間違っても沖田君が起きる前に一人で出るなよ、この阿呆』──。ったくもう」
最後の一言が余計だ、と洋子は思う。書き置きを持ってきた女将が
「あの、残るお一人は二日酔いだそうどすが」
「え?」
思わず問い返した。相手は続けて
「斎藤はんがそう仰ったんどすが──」
「──ああ、そうそう。済みません、寝ぼけてまして」
沖田の病状では、いつ起きられるか分かったものではない。怪しまれないように斎藤は二日酔いと言ったらしい。ならば合わせておくのが無難だろう。
「じゃあ、私だけ先に朝ご飯食べますから。二日酔いだからいつ起きてくるか分かりませんしね。出来ればここで──」
「分かりやした。持って参りやすんで、少しお待ちを」
階段を下りる女将を見送り、ふう、と一息ついて襖を閉じる。振り返った途端
「洋子さん」
沖田の声がした。びっくりして枕元に近づき
「沖田さん、起きられてたんですか?」
「ううん。今起きたばっかり」
青白い顔で、笑って見せた。洋子は腰を下ろす。
「大丈夫ですか? すみません、昨日はあんなことに──」
「いいんだよ。こっちこそ迷惑かけて御免」
「気にしないで下さい。それより──」
階段を上がってくる音が聞こえる。みそ汁の匂いが漂ってきた。
「あの、お持ちしました」
「開けていいですよ、どうぞ」
洋子の声で、襖を開ける。いつものお運びの少女だった。
「おまつさん、もし出来たら何か消化のいいもの持ってきてくれる? この人用の」
近づいてきた少女に、沖田を軽く指した。頷いてすぐに部屋を出る。
「──別に、食欲ないんだけど」
「ダメですよ、沖田さん。食べないと」
健康に良くないんですから、と言う。
「それに、食べさせなかったなんて斎藤さんにばれたら絶対殴られるんですから。お願いですから食べてください」
「はは。でも大丈夫だよ、僕がちゃんと説明するから」
あ、とそこで沖田は急に思い出したらしい。
「昨日の浮世絵のお店に行かないと」
「食べたら出してあげます。お店でもお寺でも、食べてから行って下さい」
洋子は強い口調で言い切った。同時にさっと沖田の刀を取って自分の背後に隠す。
「分かったよ。食べるから」
苦笑して、沖田は食べることに同意した。

 それから、時間は一刻前に遡る。斎藤は日の出直前の薄暗い中を、抜刀斎と桂小五郎を探して歩いていた。
 十字傷は、隠している可能性もある。それらしい気配を探っているが、なかなか見つからない。道を曲がり、左へ行ってみた。
「──」
小柄な武士の後ろ姿が、十歩ほど先に見える。髷は結っておらず、腰を低く落とし剣術に長けた者独特の歩き方をしていた。
 無言で突進し、斎藤はその武士を串刺しにしようとした──が手応えがない。
「──桂はどうした?」
「昨日のうちにお帰りいただいた。他の志士たちと一緒に」
剣心は、付近の寺の屋根の上に飛び上がっていた。
「なるほど、貴様は身代わりか」
見上げて応じる。降りてくれば新式の牙突の餌食にするつもりだが、先方もそれは承知と見えてその気配さえない。
「俺も近いうちに京都に戻る。再戦はその時にお預けだ」
「別に今でもかまわんぞ、俺は」
斎藤はニヤリとしたが、剣心は日の出寸前までに明るくなった東の空を見て
「いや、遠慮しておこう」
屋根を伝って走り去るのを、斎藤は見送った。

 こうして新撰組の三人は、その翌日には屯所に帰ってきた。
「天城先生、嵐山どうでした?」
「綺麗だったよ。大覚寺で月も見れたしね」
平隊士が数人、どこからともなく現れて、洋子の周りを取り囲む。
「いいですね、仕事で嵐山に行けるなんて。俺も行きたいです」
「沖田さんが浮世絵買ってきたから、それでも見て我慢してね」
「浮世絵と実際の風景はまた違いますよ。なあ、小笹君」
そこに、更に後方から厳しい声が入る。
「十年早い。まず伍長になってから言え」
「──げ、前野先生! こ、これは…」
どうやらこの数日間、前野に相当しごかれたらしく声が引きつっている。そのまま伍長二人の間には道が出来た。
「お疲れさまでした、天城先生」
「大変だったでしょう、前野君。平隊士教えるの」
「ええ。まさかこうまで骨が折れるとは…」
近づいて話し込む。ふと思い出して「あ」となった洋子は
「斎藤さん、報告の方よろしく頼みます!」
振り返って一声かける。そして土方が姿を見せるより前に、彼女たちは道場前の庭に歩いていった。

 「──何なんだ、あれは一体」
「だから納得しなかったんですよ、土方さんは」
その光景を見て意外なのと不愉快なのとが混じった声で言う斎藤に、沖田は応じた。
「人気というか人望はありますから。あの子の場合」
そこに土方が、何の前触れもなく姿を見せた。洋子たちの後ろ姿を視線で追いつつ
「斎藤君、例の件だが──」
と、彼は言った。ピク…と反応するのに気づいたかどうか、
「当分、お預けだ。──当分の間、な」
「──分かりました」
応じた斎藤は、内心軽く息をついた。

 

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