るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十四 「秘密」(4)

 柳田三次郎が失踪した件について、新撰組ではその日の午後になってようやく動き出した。実を言うと午前中だけの行方不明では、失踪として成立しない。特に幹部級ともなれば、祇園や島原に出かけて遅れて帰ってくることもあるだろうし、前に洋子がやったように風邪を引いて寝込んでいることもあり得る。特に柳田は、島原の某所に出かけると言っていたので、遅れているのだと見られていたのである。
 行き先について訊かれた洋子は、空とぼけていた。
「さあ。島原に行くって事くらいしか──」
少なくとも嘘ではない。実際に後を追って戦ったのは斎藤で、場所も聞いてはいない。
「そうか。他に島原に行った人をもし知ってたら──」
洋子は斎藤の方をチラリと見た。一応まともに仕事はしている。
「今のところ、聞いてませんけど」
彼女に来た質問は、それだけだった。息をついて仕事に戻る。

 「松原君と合流して行く予定だったという者が数名おりますが、本人は何も知らぬと」
土方に報告に来た監察方の山崎は、そう言った。
「ただ、最近柳田君と数回出かけたことはあるそうです。しかし昨日は違うと」
「──そうか、分かった」
土方には、無論見当はついている。山崎が下がった後、少し考えていた。
 松原忠司。個人的には、好きでも嫌いでもない。ただ、洋子に関して何か柳田から聞いているらしいことは最近の態度から推測できた。問題は、それがどこまでかである。

 「松原君」
失踪から数日経った昼下がり、道場に出た土方は松原を呼んだ。
「柳田君の死体が出てきた。市外の竹林で、敵に斬られたそうだ」
誰かに狙われているようなことを聞いてはいなかったか、と訊く。松原は否定した。
「そうか。何度か彼を励ましに、島原や祇園に出かけたと聞いているが、その時何か言っていなかったか」
「いいえ。私にも教えてくれませんでした」
声色に、特に隠し事をしている様子はなかった。恐らく詳しいことは聞いていないのだろう。土方は心持ち安堵した風に
「そうか。何しろ柔術師範の一人が殺されたとあっては、放っておくわけにも行かない。我々の名誉に関わる問題だからな」
と言って、話を打ち切った。

 いくら人気のない場所とは言え、前後に付近を通った人物を見た者がいないとは限らない。犯人が隊内にいると発覚した場合、誰に責任をかぶせるかが問題だった。『犯人』に自白させるわけにも行かない以上、濡れ衣を着せる覚悟がいった。
 事は更に数日後、意外な形で動き出した。
 京都における幕府の常駐機関である京都所司代に、密告があったのである。

 京都守護職とは、あくまでも開国以来京都が無法地帯になったがためにおかれた、臨時の職に過ぎない。これに任じられていたのが会津藩主の松平容保であり、新撰組はその御預浪士組という立場だった。これに対し所司代は家康以来の機関で、京都人にとってはこちらの方がなじみは深いのだ。
 また守護職と所司代が仲が悪ければ問題もあっただろうが、この時の所司代は容保の弟の定敏であり、両者の連携は密接だった。従って所司代に訴えればかなりの確率で守護職に達し、新撰組に睨まれることなく彼らの非道を訴えることが出来たのである。
「暗闇で顔は見えなかったが、柳田君がその晩新撰組隊士の誰かと現場近くで歩いていたのは間違いないそうだ。──どうする、歳」
近藤が訊いた。無論彼も一部始終は聞いている。
「で、他には? 訛りとか」
「二人とも黙っていたので、聞いてないらしい」
土方はほっと息をついた。出身地不明なら、どうにかなる余地はある。
「とは言え、手は打っておくべきだな」
近藤が真剣に言う。土方は応じて
「分かった。少し考えがあるんだが」

 「事件当日、松原君と柳田君が共に行く予定だったと言っていた隊士を呼んでくれ」
自室に帰った土方は、呼びつけた山崎にそう言った。
「は? あの、何かあったので──」
「所司代に密告だよ。我々は嫌われているらしい」
更に、近藤から聞いた概略を説明する。山崎は黙って、平隊士数人を連れてきた。意外にも、松原指揮下の四番隊の人間が一人いる。
「赤坂君、君は誰からその話を聞いたんだ?」
土方はその隊士に、単刀直入に聞いた。
「あ、いえ、誰かから直接聞いたわけではないです。ただ、その──」
「何でもつい最近、松原先生に紹介して貰った店の芸者が偉く気に入ってたそうです。確かまだ数えるほどしかその店に行ったことがないそうで、今回くらいまでは松原先生と一緒に行かれるんではないかと思ったんですが──」
京都の遊郭は、初めての客は常連の紹介がなければ決して入れないのが原則である。最初の何回かを紹介してくれた人間と行くのは、珍しい話ではない。
「なるほど、可能性としてはあり得るわけか」
「ええ。けど、屯所から一緒に行ったって事はないです。柳田先生が出かけたとき、松原先生はまだ屯所にいましたから」
「ふむ。となると、まずその柳田君の気に入っていた芸者に話を聞いてみる必要があるな。何か聞いているかもしれん」
土方はそう言って、彼らにそちらの方の情報提供を求めた。

 「時にあんさん、何かちょっと妙なことやっておまへんか」
松原は、事が終わった後、相手の芸者にそう訊かれた。
「いや、別に何も」
「何か最近、あんさんの同僚で死んだって言ってた──柳田はんか、その人が気に入ってたちゅう芸者が、新撰組の誰かに取り調べられたらしいんやわ」
「──」
真剣に疑うほどのことではないが、松原としては気になった。一つには、柳田を殺したのは隊内の誰からしいという噂が、隊内を流れていたからである。
「柳田はんをこの店に紹介したのはあんさんや。聞けば柳田はん、その日はここに来る予定やったらしいんやわ。で、あんさんが何か妙なことを計画しとったんやないかと、みんな心配しとるんや」
「おいおい、いい加減にしてくれよ。俺は何もしてないぞ」
苦笑混じりに応じる。相手は顔をやや起こして
「そんならええんやけど。柳田はんが悩んでるから気晴らしに、ちゅうて連れて来たんはあんさんや。そっちの方で何か聞いてないかって、うちの芸者が訊かれとったわ」
「──分かった」
そう言って、松原は横になった。そして初めて柳田がこの店に来た日の、謎めいた言葉を思い出す。天城君のこと、が悩みの種らしいことは分かったが、サラシという意味が分からない。ついでに言うと天城と松原は、双方が多忙なこともあり個人的には疎遠だった。試衛館出身ということで、上司にも盾突いている姿を見て笑うことはあったが。
『サラシ、か。傷口にでも巻いてたのか?』
そう言って、天城洋の顔を思い浮かべる。最近は余り大規模な手入れもなく、傷が出来るようなことはないはずだった。大体それなら、柳田が悩むことではない。
「なあ、お桐。傷口に巻く以外のサラシの使い方、知ってるか?」
何気なく聞いてみる。応じた側も軽い気持ちだった。
「うちらやったら、胸が揺れるのを止めるために使いますさかい」
そうか、と応じた一瞬後、松原ははっとなって目を見開いた。
 まさか──。

 その翌日、遊郭から直行した屯所より、休息所に帰ってきた松原は浮かない顔をしていた。同居している女性が訝ったほどだ。
 ──もし天城洋に関する秘密が原因だとしたら、自分も殺されるかも知れない。いや、監察部が付け回っているのは間違いなくそのせいだろう。彼らが事情を知っている可能性は低いだろうが、その上司である土方はそのつもりだと松原は直感していた。
 やましいことは何もないという自負はある。だがこの場合、その方が危ないのだ。切腹や斬首はないにせよ、暗殺はあるだろう。暗殺となれば新撰組では時と場所は問わない。長州系の間者などという口実がつけば、真っ昼間でも殺されるのだ。そしてやるのは、恐らく今回柳田を暗殺したような試衛館系の幹部に違いなかった。いずれ劣らぬ剣客たちで、自分でも勝てる自信はない。
 伊東甲子太郎に泣きつこうか、と一瞬松原は考えた。だが、彼らの仲間になれるほどの学問はないし、天城が伊東に古典を習っている現状では、相談しても自分に味方してくれるとは限らない。残る手段は逃亡だが、土方の策略に乗るようで嫌だった。第一、そう簡単に変節してもよそで使って貰えるとは思えない。
 かと言って、松原には知らぬ存ぜぬを決め込むだけの自信はなかった。発覚すれば事件になるのは目に見えていたから、気づいたと悟られた時点で柳田も殺されたのだ。自分が同じことを隠し通せるだけの演技力を持っているとは思えず、いずれ誰かに感づかれるだろう。そうなる前に、手を打っておく必要があった。
『手を打っておく? 何をして?』
何をやっても無駄ではないか。柳田もそう考えたから、落ち込んでいたのだろう。それを気遣ってやったまでは良かったし、彼が死んでも自分に無関係なうちは、取りあえず平然としていられた。だが真相を知った今、火の粉が飛んでくるとなれば……。

 自分の休息所で考え込んでいた松原に、ふと部屋の隅に置いた刀が目に留まった。逃げても留まっても粛正されるのであれば、いっそ自分で切腹した方がましだろう。スッと手を伸ばし、鞘から抜く。刀身に顔を映した。
「随分待たせてくれたじゃないか、松原君」
薄笑いを浮かべて呟き、刀の切っ先を自分に向ける。
 突き刺した。鈍い音がして、鮮血が飛び散る。
「あんた、何を──キャアアアアッ!!!!」
背後の女性の絶叫で、我に返った。

 

 松原は、それから数週間後になくなった。
 公式には『些かの失策のため』となり、洋子関係の一件は、闇に葬られた。

 

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