るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十五 洋子と近藤(5)

 もともと、監察方の面々は剣術面でも組長や伍長などと引けを取らない。単独行動で敵と遭遇することも多いため、その場を切り抜けるだけの剣腕がなければ任務遂行は難しいからだ。中でも洋子は昼間に近藤に言われた台詞のこともあり、手入れ自体にも加わるつもりだった。待ち合わせに使われた寺の境内に行くと、大石や二番隊組長の永倉を含めて二十人余りが待っていた。
「来たか、天城君」
奥にいる近藤が、笑って声をかけた。そして傍まで来ると
「例の件、ここの住職に頼んでおいたぞ」
「!」
洋子は一瞬驚き、深々と頭を下げた。それを見下ろして
「後は思い切りやってくれ。相手は上様を暗殺しようとする不逞の輩だ」
「はい、分かりました」
敵に手加減するな、ということである。後になってみれば、洋子の剣腕を最大限に発揮させるために、近藤は子供たちのことを引き受けたのかも知れなかった。

 戌の刻(午後八時頃)、駿河屋へ向かう。今回は新撰組が終始独自に活動していたので、手入れも他の部署とは一切関係なく行うことになっていた。
「ここか」
店の前に立って、近藤が低い声で訊く。誰ともなく頷いた。素早く手筈を確認し、永倉が先頭になって店の中へ入る。軽く見回すがそれらしい人影はなく、
「新撰組二番隊組長、永倉新八である。ここで幕府に逆らう重大な謀議が行われているとの情報により、手入れをすることにした。邪魔する者は斬る」
そこに現れたのは、駿河屋の女将と思しき妙齢の女性である。
「さあ、存じまへんなあ。場所が違いますやろ」
「しかし、ここで行われているというのは間違いないのだ」
立ち塞がるようにしている女将に、永倉は説明しようとしていた。そこで急に「そうだ」と彼女は言うと
「何でしたら私が案内しましょうか、それが一番確実やわ」
「しかしそれでは」
と言っている傍で、するりと店内に入った隊士がいる。
「桃井一刀流皆伝の徳田兵衛、槍の正太郎、水戸藩士秋津武彦! ここにいるのは分かってるんだ!! さっさと出てきやがれ!!!」
大石だった。床に刀を叩きつけて大声で呼ばわり、客が一斉に顔を伏せる。見回していた彼は、不意に奥の座敷に向けて歩き出した。その一角で立ち止まり、玄関にいる残りの隊士に振り返って頷く。止めようとした女将を突き飛ばして、近藤たちはそちらへ向かった。
 襖に手をかけた瞬間、その向こうから敵が飛びだしてきた。
 刀同士の金属音が響き渡る。先頭に立った近藤は数合で一人を斬り伏せ、二人目の青年と渡り合っていた。大石が相手を土間まで来させて戦っている傍を、残りの敵が斬り抜けようとして、待ち構えていた永倉以下の隊士たちと乱戦になる。悲鳴が上がり、近くの客は一斉に逃げ出した。隊士の一人が血しぶきを上げて倒れ、巨漢の男が道に飛び出してきた瞬間。
「待て、徳田! 貴様の相手はこの私だ!」
少年のような、聞き覚えのある声。思わずそちらの方を向く。
「貴様…!!」
数日前に見た、洋子の姿がそこにあった。

 無言で突進してくる。最初の一撃を手が痺れる覚悟で受け止めて、彼女は訊いた。
「お前たちの上にいるのは誰だ。薩摩か、長州か?」
徳田は詰まった。洋子はその一瞬で相手の斬撃を払いのけて後退させ、間合いを計りながら言う。
「もはや薩摩も長州も、攘夷派ではない。かつまた彼らは、上様を敵視している。彼らに体よく利用されているのが分からんのか!」
「違う! 奴らは関係ない! 俺はただ、この混乱の根本にある夷荻が憎い。夷荻を追い払うために攘夷をせねばならん、だから開国を推し進める慶喜を斬る!!」
叫びつつ斬りかかってきた徳田は、あくまでも純粋だった。その斬撃を全てかわすか受け止めるかだった洋子は、相手の隙が出来た一瞬に間合いを取ると逆襲に転じる。
「だからと言って何故、上様を殺そうとする! 上様が死ねば、きっと戦争になり、多くの血が流れよう。そうなればまた、お前が助けたのと同じような多くの孤児が生まれることになるのだぞ!」
「その孤児を作った側の人間が、偉そうに言うな!」
徳田は、洋子の斬撃を一振りで跳ね飛ばした。倒れそうになったが踏みとどまり、再び斜め青眼に身構える。今度は相手が攻めてきた。
「お前こそ、そんな若い身で何故新撰組などにいる! 直参の身分がそんなに欲しいか!!」
「違う! そんなもの、欲しい奴がいればいつでもくれてやる!!!」
洋子は一合目を押し返して絶叫し、二合目を受け流すと相手から間合いを取るべく飛び離れた。
「私は、自分が自分でいられる場所にいる。ただそれだけだ」
そして呟くように、抑えた声で言うと、腰を落とした。右手を引いて持っている刀を横に寝かせ、左手を伸ばして先端に軽く添える。
「その構え…。そうか、逆牙突か」
徳田も、呟くような声になった。
「ならば俺も、奥義を出そう」
刀を鞘に納め、抜刀術の型を取る。洋子の眉が一瞬歪んだが、すぐに戻った。正対し、周りの様子は完全に無視して互いに攻撃の機会を窺う。
「おーい、天城君…と、近藤先生」
呼びに来た永倉が、近藤に手で止められる。その彼は無言で、二人の勝負を見ていた。
 徳田の方が先に動いた。一気に間合いを詰め、刀を抜き打ちで斬りつけようとする。洋子は最初の構えのまま文字通り紙一重の差で後方に飛んでかわすと、がら空きになった相手の胸元めがけてつっこんだ。徳田も急いで刀を振り下ろそうとする。
 肉を斬る特徴的な音と共に、洋子は徳田の左胸を背中まで貫いていた。

 「グハッ!!」
刀を引き抜いた次の瞬間、徳田の口と胸からおびただしい血が迸った。そしてゆっくりと、その巨体が地面に倒れていく。
 その光景を見た近藤は、その場から無言で足音も立てずに離れていく。傍にいた永倉が、思わずそちらに視線をやった。そのとき
「お待たせしました、永倉さん」
洋子がもはや死体となった敵の傍で、軽く頭を下げた。そして近づいてくる。
「さすが師範だな。俺と引けを取らん」
永倉自身、今日はかなり激戦を演じたようで服が血で染まっている。刀が鞘に入らないらしく、手に持ったままだった。
「斎藤君なら、『もっと早く決めろ、阿呆』と言うところだろうが」
思わずびくっとして亀のように頭をすくめてしまった洋子を見て、永倉は吹き出した。
「笑い事じゃないですよ、永倉さん。ホントにもう、人が悪い──」
口を尖らせている。相手は笑いたいのをこらえつつ
「いや、済まん済まん。だけど見事だったと思うぜ、今の勝負」
洋子は相手の顔を、まじまじと見つめて
「ホントに、そう思いますか?」
「ああ、本当だ」
満面の笑顔に踊り出しかねない勢いで、洋子は歩いていった。

 

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