るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の九 急ぎばたらき(3)

 夕刻、洋子は他の見習い隊士たち四人とともに屯所を出た。
 最終的に予測したのはある呉服店で、佐幕派の中川宮と取引のある店だ。薩摩藩の金が出るようになってから急速に取引が増え、儲かっているらしい。
「まあ最近刑部卿様に資金主が変わったらしいけど」
刑部卿、すなわち一橋(徳川)慶喜だ。薩摩の横暴に腹を立てた彼は、金のために薩摩藩の京都での朝廷との仲介役になっている中川宮にその点を詰問し、結果一橋家が代わりに養うことになったのである。当時の貴族や皇族の貧しさは「刺身用の魚が買えない」ほどのものだったので、誰かが金を出せばそれにつられて言うことを聞くのもある程度はやむを得ないだろう。実質旗本や御家人程度の収入しか彼らにはなかった。
 ともかく、今回の件は下手をすれば命に関わる。他の見習い隊士たちが余り当てにならないのが気がかりだが、洋子としては最低限の任務だけを果たすつもりだった。
「願わくは、もう一方の方に出ませんようにってか」
幽霊退治のような台詞をはきつつ、洋子は他の四人とともにその呉服店周辺で飯を食っていた。その後いったん別れ、亥の一刻(午後九時ごろ)に三人と二人で合流する。あとは物陰で待ち伏せだ。
「うまく行きますように」
別に誰かが死ぬという予感はないが、洋子はそう願っていた。

 今日はところどころに雲がかかっており、月を覆っている。星は見えるので特に暗さは感じないが、やはり月夜の方がやりいい。
「みんなどうにか無事か。良かった良かった」
取りあえず集合を済ませた隊士を見て、洋子はほっとした。彼女たちのいる小道から通りを挟んで反対側に、残る二人が隠れている。
「天城先生、賊はどこから出てくるつもりでしょうか」
「さあ。少なくとも屋根から侵入ということはなさそうだけど」
今までの手口と賊の人数を考え合わせて、それだけは確実なことだった。
「賊は十人近くと言うけど、大した腕利きはいないみたいだからね。いつも言ってる通りにやれば大丈夫、心配しないで」
もっとも、その『いつも言ってる通り』がこいつらには全然出来ない可能性が高いんだけどと、彼女は内心でため息をついた。最初に自分が出て賊を出来るだけ簡単に倒し、部下たちを安心させて残りに向かわせるという作戦さえ立てていた。
「そろそろ来そうな頃なんですがねえ」
と、もう一人の体格のよい見習いが言った。合流からどの程度時間が経ったのか、正確なことは分からない。さっきまで完全に雲の影だった月が、僅かに光を見せていた。
「人の気配がします」
「しっ。動かないで」
洋子は傍の痩せ型の隊士を制し、道路の反対側にいる隊士たち二人にも動かぬよう動作で指示すると気配を注意深く探った。一人と悟って緩めていた鯉口を締め、出てきた町人の格好をした男の様子を注意深く観察する。 男は周りをチラリと見回し、標的とされている呉服店の勝手口から中に入っていった。内から鍵をかけている気配はない。
《間違いない。こいつが手引き人だ》
となるとやはり襲撃は今夜、しかもこの場所だ。賭けに勝ってほっとした反面、いよいよかとなると緊張が高まる。鼓動が高まっていくのが自分でも分かった。
 どれほど時間が経っただろうか。下旬の月がやや西に傾くころ、今度は十人前後の集団の気配がした。明らかに攻撃的で、殺気も感じられる。洋子は周囲と反対の通りに頷いて見せ、今度こそ鯉口を緩めた。
《来た!!!》
近くの角を曲がって、それらしい集団が来ているのが確認できた。彼女は進んでくる相手を出来るだけ引き寄せ、隠れている小道のすぐ近くまで来たとき
「やあっ!」
一気に接近し、横から斬りつける。無論峰打ちだが、直撃を受けた一人はあっさり転倒した。何者かと思って彼女の方に提灯を向けようとした瞬間、つられた残る二人も突進してくる。それを利用して洋子は敵の中央にまで潜入し、刀を翻すと提灯二つを相次いで斬り落として闇を作る。その瞬間に敵が盗賊装束をしているのも確認していた。
 そのまま賊の二、三人を横なぎで防ぎつつ駆け抜け、反対側の見習いが突進してくるのを確認してそっと身をかわした。冷静に見ればこちらは一人で二人を相手にしており、袖が切られたり鎖帷子の上から斬撃を食らったりで結構苦戦している風なのだが、敵の盗賊たちはよほど恐怖をあおられたと見えてはや逃げ腰だ。
 だから彼女はその方向を予測してそちらに回り込み、逃げてくる敵を一人ずつ立ち会いらしい立ち会いもなく一刀のもとに倒すだけでいい。こうして全員を倒すのに、五分とかからなかった。刀を納めて一息つく。
「ああ、いたいた。洋さんだ……って、こいつらは?」
そこに従者一人を連れた沖田がやけに急いで走ってきて、驚いた顔をする。
「こいつらはって、例の盗賊ですよ。それはそうと何か?」
沖田が一瞬きょとんとする。ややあって一人納得し、
「そうか。別に盗賊がいたんだ」
と、意味深な台詞を吐いた。その場の数人は瞬きを数回した後
「どういう意味ですか。まさか別の家が…」
「逆だよ。長州の人斬りが盗賊を全員斬り殺したんだ。ついさっき、ある場所で物音がしたんで周囲の住民が様子を見に行ったら、盗賊団が皆殺しにあってて。『我が藩の誇りを汚した罪により天誅す』って書き置きしてあったらしいよ」
その場の五人は顔を見合わせた。ややあって洋子が沖田に向き直る。
「分かりました、ご連絡どうもありがとうございます。これから奉行所まで行って、報告と引き取り依頼をしてきますから」
「僕もついて行くよ。保証人代わりだ」
見習いだけだと奉行所がいい加減な対応をしかねない。歴とした幹部の同行できちんとした対応を取らせようと言うことだった。

 

 「あのう、ここだけの話ですけど」
二人で奉行所に向かう途中、洋子は沖田にそう切り出した。
「ひょっとして、かなり前からあの店の近くで見てませんでした?」
訊かれた側は頭を振った。
「違うよ。何かあったのかい?」
「いえ、ただ倒した直後に沖田さんが現れたものですから」
タイミングが良すぎる、とでも現代なら言うところだろう。沖田はくすっと笑った。
「偶然だよ。気にする事じゃない」
言われて、ある意味で洋子はほっとした。危険になったら沖田が助けに来る予定だったなどと言われては、こっちの面目が立たない。
「それにしても、今回の敵はあっけなかったです」
と、洋子は感想を漏らした。まあ他の見習たちへの心配が杞憂で済んでよかったが。
「そりゃ、あんな真っ暗闇でいきなり襲ってくれば、誰だって怖いさ。逃げ腰の敵と戦う気のみんなじゃあ、当然差が出るよ」
沖田は応じ、雲のかかった空を見た。
「しかし、まさか二つの盗賊団が同じ日に行動を起こすとはね。こっちの方は大したことなかったみたいだけど、長州の方は何か変なのが多かったんだ」
「変なのですか? 武器が変わってるとか?」
うん、とこの天才剣士は頷いた。
「毒塗りの吹き矢とか、暗器の類とか。普通の剣客じゃないな」
洋子には思い当たる節があった。以前監察方に聞いたことがある。盗賊の痕跡のいくつかにそういうものがあった。
「要するに、今回はみんな二つの盗賊団が同一だと思いこんでたわけだ。しかしたちが悪いなあ、長州藩を名乗るなんて。あいつら金充分持ってるのに」
この時期の長州は、外交がてら祇園で遊ぶことが多かった。遊郭だからそれなりに金もいるわけで、それを持つ長州が盗賊となるとは考えにくい。
「それにしても、その長州藩の人斬りってかなり強そうですね」
言った後、洋子はある人物を思いだしてはっとなった。それを見てか見ないでか
「ま、これで取りあえず一件落着だ」
沖田は背伸びをして呟いた。

 翌日、洋子は協力のお礼に葵屋を訪問した。
「どうも、この度はお手伝いありがとうございました」
「何の何の。この程度のことなら、いつでもどうぞ」
一通りの話の後で頭を下げた彼女に、翁が笑って応じる。
「それで、今夜盗賊たちを倒した祝いに宴会を開きたいそうなんですよ。お礼代わりと言っては何ですが、こちらを使わせていただいて宜しいでしょうか」
「ええ、それはもうご自由に」
下手な場所でやると、自分が女とばれて妙な事態になりかねない。ここなら既に分かっているので安心だという計算だ。そこにお茶の二杯目をもってお近が現れる。
「それで、ここからはいささか内密の話になりますが…」
彼女が再び出た後、声を落として翁は言った。
「お怒りになるやも知れませんが、お頭が静様には事の真相をお教え差し上げよとのこと。我ら御庭番衆内での機密事項です、他言なさいませんように」
静様、という言葉に洋子は苦笑したが、事の真相の方に興味があったので黙って話を続けさせた。

 長州が倒した方の盗賊団の黒幕は、実は闇乃武と言われる幕府直属の諜報集団だった。
 御庭番衆は八代吉宗の代に出来たもので、起源から行けば闇乃武の方が古い。恐らく長州を名乗ることで彼らをおとしめ、京都市民の間の人気を下げようという計画だったのだろう。武器に変わったものが多いのは、彼らの特徴だった。
「我らも手を尽くしてアジトを探しましたが、何分彼らもさるもの。味方にさえ容易に正体を明かそうとしません。そのうち長州が調査に乗りだし、我々もこの件に限り彼ら長州藩に協力することを内密に決めました。といっても、向こうは恐らく気づいてないでしょうが。昨日になってやっと闇乃武の京都でのアジトを突き止め、長州が動き出したのです。確か人斬りの名前は、緋村抜刀斎と言ってましたな」
緋村の名前に洋子はぴくっとしたが、翁は構わず
「あなたが倒した盗賊団は、話から推察するに恐らく闇乃武のやり方に便乗した浪士どもでしょう。我々ももっと速く気づくべきでしたが」
「つまり、私は幸か不幸か弱い方と当たったと。しかし…」
闇乃武という存在は初めて聞いた。しかもそれと御庭番衆はお世辞にも関係が良いとは言えないらしい。隠密の世界もかなり複雑そうだ。
 その後間もなく、洋子は葵屋を出た。翁が一人客間で呟く。
「やれやれ、まさかその浪士たちの黒幕も闇乃武で、こちらが弱い方にあの方を、強い方に抜刀斎を当てたなどとは言えぬからのう。あれで納得してくれたら御の字じゃ」

 その後、洋子は見習い隊士世話役という役目はそのままながら待遇は伍長格へと上がり、盗賊退治の報奨金が会津藩から一両出るなどの評価を受けた。ついでながら見習い隊士たちに稽古をつける仕事からも解放され、自分の実力を上げることに専念することになったのだが。
「で、何でまた斎藤さんと縁側でやる羽目になるんです?」
「手が空いてただけだ、つべこべ言わずにかかって来い」
仕方なく、洋子は身構えて突進した。

 

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