るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十九 人事異動(3)

 今年最後となる市中巡察で、井上源三郎以下の七人は盗賊に遭遇した。
「不届き者めが!!! 逃がさんぞ!!」
叫び声を聞きつけてその商家に来た彼らを見て、盗賊たちは驚いた。
「ここは通らないはずじゃなかったのか!?」
「知らん! まずは退け!!」
親玉らしい男の下知に従って、逃げようとしたのを追いかける。
「藤崎君、千代君、原君は回り込んで退路を断つ!! 残りは私に従って直進!!!」
洋子の指示に従って、三人は次の角を曲がった。本来なら井上が言うべき指示だが、最近は専ら腕の立つ彼女が出している。井上は助言が中心になっていた。
「待てーっ!!!」
洋子は先頭に立って追いかけている。刀にはまだ手をかけてもいない。
「そう簡単に捕まってたまるか! ついて来れるものなら来てみ……げえっ!!!」
笑みを浮かべていた盗賊の一人が、急に立ち止まった。別働隊が上手く退路を推測して、これから逃げる方角に立ちはだかっている。立ちすくんでいる間に
「やあああーっ!!!」
洋子は真っ先に踏み込み、盗賊の一人を斬り捨てた。この程度の敵なら、平刺突を使うまでもない。他の男たちも突進して、三人一組で敵一人に当たる。洋子はその脇を駆け抜けて、奥の男に対峙した。腕に自信があるのだろう、ゆっくりと刀を抜く。
「何だ、まだガキか」
相手は粗野な雰囲気の大男だった。しわがれ声が軽蔑の口調で響く。
「そら、かかって来い。新撰組の実力がどの程度か、試しに相手をしてやる」
他の者たちはまだ戦っている。どうやら本来は、剣の師匠と弟子と言った関係らしい。
「──地獄に行ってから、バカにしたのを後悔するよ」
井上が何か言ったようだが、洋子の耳には届いていない。敵を見据えて低く呟き、片手平刺突に構えて一気に突進した。相手が対応するより一瞬早く懐に飛び込み、喉を一突きして横なぎの要領で斬り裂く。
「ギャアアアッ!!!」
敵は断末魔の悲鳴を上げて倒れた。それが契機となったのか、他の敵も斬り倒される。
「大丈夫かね、天城君」
そこに井上が声をかける。彼が止めようとしたのを無視して突進したのだ。
「はい。見ての通り無傷ですし」
確かに、洋子はかすり傷一つ負っていない。他の隊士がそれなりに傷を負っているにも関わらずだ。だから井上の制止をしばしば無視して敵と戦うことになる。本来なら井上配下に留まっているような腕前ではないのだ。
『──歳さんに、また相談してみるか』
井上は考えながら帰途についた。

 

 「──やれやれだな」
土方は呟いた。数日前に斎藤を襲った少女は洋子の提案で葵屋に引き取って貰うことになったものの、今後またそういう事態が起きる可能性は充分にあった。巻き添え自体は仕方ない面もあるのだが、度重なると新撰組の信用に関わり、好ましくない。
 かといって巻き添えを恐れすぎて肝心の浪士取締りが緩くなってはならない。沖田は元来気が優しいのである程度は予防しようとするだろうが、他の隊士にそれは期待できないし、結局は現場の、それも戦闘中の一瞬の判断で事が決まるのだ。
「助勤の数を減らして伍長に組み込み、上の専行を制御させるか」
伍長と助勤の格差を減らし、伍長に参謀的な地位を与えて助勤による暴走をある程度止めようというのである。組み合わせによっては逆の場合もあるだろうが、どちらかが常に周囲に気を配っていれば、少なくとも無関係な町人の巻き添えは減るはずだ。
「そうですね、助勤は十人前後で伍長が二人ずつ。一組十人ほど」
内々の相談の席で沖田が言った。他はいない。
「それでいいと思いますよ。──あ、そうだ」
「洋か?」
沖田は頷いた。どうやらどこからか話を聞いていたらしい。
「あいつを実質的に従わせられる奴は斎藤しかおらんだろう。他人の暴走を止めながら自分が突っ走れるほど器用な奴とは思えんしな」
沖田は、本人は決して口には出さないが労咳(肺結核)らしい。これ以上苦労を増やすわけにもいかないし、訴え仏は余り深く事象に関わらない方が良い。
「今年中はまだいいとして、来年早々に組み替えよう」
「本人がどう思うかなあ」
多分嫌がるだろうけど、と沖田は声に出さずに呟いた。

 

 「分かりました、引き受けましょう」
異動先の斎藤には、内々に了解を求めておく。あっさり同意した。
「あいつには今回の事件で借りが出来ましたのでね。返すには丁度いい」
例の少女の一時預かりから事情聴取、葵屋への就職斡旋に初日の付き添いまでを洋子は一手にこなした。もともと自分の失敗から起きた事件だけに、借りという言葉も本気だ。
「そうか。頼むぞ」
今回の人事での懸案の一つを片づけ、土方は内心僅かにほっとした。

 「──げ」
正月明けに張り出された人事異動表を見て、洋子は頭を抱え込んでしまった。俄に頭痛がする。何の因果か知らないが、斎藤率いる三番隊の伍長にされてしまっていた。
 この時の編成が一番隊から十番隊までの有名な編成で、洋子は三番隊伍長の格上の位置づけである。要するに三番隊の伍長二人のうち洋子の方が格上という意味だ。
「新年早々これか。ろくでもない一年になりそうだわ」
「何がろくでもない一年だ」
背後から聞き慣れた声がすると共に、竹刀が飛んでくる。紙一重でかわして振り返った。
「そういうことするから、ろくでもない一年なんて言われるんですよ」
「そもそも貴様がいちいち盾突くからだろうが。──とにかく」
と、斎藤は一息分間をおいて言った。
「三番隊の控え室に連れていく。部下どもに会わせるから大人しくしてろ」
くるっと後ろを向き、さっさと歩き出す。一瞬遅れて洋子はその後を追った。
『──あーあ。何の因果でこうなったんだか』
最低最悪の上司、災難などと内心呟く彼女だった。

 何はともあれ、こうして三番隊伍長になった天木洋子は、師匠兼上司の斎藤一と市中巡察に出ることになった。沖田にわけを訊くと、井上が洋子の専行ぶりに手を焼いたのがそもそもの原因で、彼女を従わせられる人間ということで異動先が斎藤になったらしい。
 とにかく不満は言えないので、仕方なく受け入れた。今までなかった手入れも当然ながら任務に入ることになり、出動回数は以前の倍以上に増えたのだが。
「このみそ汁、結構美味しいじゃない」
「本当ですか? 良かった」
お夢は微笑んだ。本人に言えばどういう反応を示すか怖くてはっきり言えないのだが、斎藤の下で働くようになってから洋子の食欲は回復してきている。
 恐らく彼女一人にかかる負担が減って余裕が出てきたせいだろう、とお夢は思っている。敵の中で一番強そうな奴は斎藤が相手をし、他の数人を伍長以下で分担することになっているし、その伍長以下の十人もそれぞれかなりの使い手で、洋子が単独で出張らずとも良くなったのが背景にあるに違いない。
「おかわりしますか?」
「うん。お願いね」
みそ汁のお椀を相手に渡して、ご飯をかき込む。
『斎藤さんを襲った女の人の後始末も洋子さんがやったみたいだし、何のかんの言いつつ仲のいい師弟なんでしょうね』
と、お夢は当の本人から見れば勘違いも甚だしい感想を持っていた。

 

 ある日の、手入れの時のことだ。浪士たちの会合場所を襲い、逃げる彼らを追って三番隊は路上に下りた。洋子と斎藤は二手に分かれ、捜索を開始する。
「いたぞー!」
平隊士の一人がそう叫んだ。急行した洋子が見たのは、知人の顔である。
「桂さん…」
そこにいたのは長州派維新志士筆頭、桂小五郎だった。

 江戸にいた頃、何度か顔を合わせたことがある。喧嘩両成敗でお灸を据えられた経験もある。相手も自分の顔に見覚えがあったのか、記憶を辿るような表情をした。
 それは二人の間から発せられる声で途切れた。周りに数人、護衛と思われる男たちがいた。決死の覚悟で身構えている。
「桂先生には、指一本触れさせぬぞ!」
「まずは俺たちが相手だ!」
口々に叫ぶのを聞いて、洋子は決断した。こいつらには手加減無用だ。
「行け!」
斎藤から指揮権を委ねられている以上、彼女に従うしかない。平隊士たちは突進し、同時に洋子は護衛中最強と見られる男と正対する。
「──私の名は大井伯斎。少年。名は?」
「新撰組三番隊伍長、天城洋!」
言うが早いか、洋子は片手平刺突で突進した。

 「──只者じゃないと睨んではいたが…。やはりな…」
斎藤が呟くように言った。視線の先にいるのは赤い髪に十字傷の男。
 両者無言で身構え、突進する。一太刀目は真っ向からすれ違いつつの勝負だった。斎藤の腕から血が噴き出す。組長、としきりに心配する部下の目の前で、剣心の脇腹から血が流れて服を紅く染める。
「悪いが、時間がない」
剣心はそう言った。気がかりなのは桂小五郎の安否である。
「そう慌てるな。こっちには余裕はある…──!!!」
自分が立っている橋の、自分が立っている部分がぐらついている。踏み出した途端、その箇所が陥没して斎藤は橋の下へ落ちていった。慌てて殺到する他の隊士たちを斬り抜けて、剣心はその場から姿を消す。
 「──おい、引き上げろ」
静かになった途端、組長の声が見えないところからした。騒いであちこちを探す。
「阿呆。手が見えんのか」
は? と言ってよくよく見ると、陥没した穴から手が出て橋をつかんでいる。大慌てで引きあげられ、息をついた斎藤は
「抜刀斎め、牙突で突進した俺がどこで止まるかまで読んでやがった」
むしろ愉快そうに呟いた。そして表情を改め
「もう一方の手伝いに行くぞ。あっちが真打ちらしい」
すなわち、桂小五郎がいるということである。

 さすがに桂小五郎の護衛だけあって、剣の達人ばかりだ。夜半の、ほとんど人気のない通りで刀同士の衝突音が甲高く響く。洋子と大井の戦いも、どちらも決定的な一撃を加えられないまま続いていた。
「桂先生、早く逃げて下さい!」
護衛の一人が言った。大井が続けて
「我々は大丈夫です! 早く──」
洋子の刺突をかわし、派生する横なぎを受け止め、跳ね上げて振り下ろす一撃をかわして逆に胸元に一太刀入れようとしてあっさりかわされる。
「桂先生!」
そこに、上から声が聞こえた。全員がその声のした方を見上げる。
「──緋村──!!」
彼女の記憶に比べて顔は大人び、十字傷がついているが、紛れもない緋村剣心だった。そしてその姿は、噂される抜刀斎のものと同じである。

 「緋村! 桂先生を頼む!!」
「はいっ!!」
護衛の一人に言われ、剣心は屋根の上から飛び降りて小五郎に寄り添った。
「すまないね、緋村」
「いいえ」
改めて身構える。そして周囲の敵をチラリと見回し、見覚えのある顔に遭遇した。
《──あれは確か…》
「知り合いかね?」
剣心の顔色の変化に気づいたらしく、小五郎はそっと訊いた。
「──奇遇だな。私にもいる」
その声に驚いている間もなく、遠くから五人ほどの気配が急速に近づいてくるのを剣心は感じた。川の方からだ。
「急ぎます」
駆け出そうとした途端、大量の血を噴き出しながら大井が倒れた。軽い傷を負いながら呼びかけるのはその相手の少年だ。
「──緋村」
洋子は続けた。内心の緊張を押し隠しながら。
「何の因果か知らないけど、戦う羽目になったね」
「──ああ」
右の片手平刺突。さっき戦った男に似てるなと剣心は思った。
「行くよ」
逃げは許されない。洋子は覚悟を決め、突進した。

 さっきの男に比べて速度は僅かながら落ちる。洋子の刺突をかわした剣心はそう思った。だがこちらの攻撃の死角に確実に刺突を入れるため、受け身では思い切った攻撃が出来ない。となると一撃で決めるしかなかった。
 二度目の突進。洋子が刺突を入れた刀を剣心が下から逆風で斬り上げ、その衝撃に彼女の手がもろに痺れた。刀を取り落としこそしなかったものの、数瞬動けない。そこに
「飛天御剣流 龍巻閃・旋!」
その声に慌てて飛び離れようとした彼女だったが、見ると剣心が数間離れたところで止まっている。状況がつかめないでいると
「──大丈夫か、洋」
予想もしない、だが聞き慣れた声が言うので、びっくりして見上げた。
 生まれて初めて、洋子が斎藤に庇って貰った瞬間である。

 「斎藤さん……」
驚いた表情で、呟くのがせいぜいだった。
「──他の奴と戦ってろ」
顎で平隊士たちを指し示す。まだ他の護衛たちは奮戦していた。そこに残りが到着し、凄まじい戦いになっている。急いでそちらに向かう彼女を見送り、改めて身構える。
「──やむを得ぬな。緋村、頼む」
小五郎がやや重い表情で呟いた。剣心は頷き
「飛天御剣流・土龍閃!!」
刀で地面を斬り裂く。いきなりのことに驚いて反応しそびれた斎藤は、飛んでくる岩石や砂でめくらましをされた。その間に二人分の足音が遠ざかっていく。
 「肝心の奴らを取り逃がしましたね」
捨てられた形の護衛を全員倒した後、もう一人の伍長・前野五郎が言った。
「まあな」
斎藤は比較的機嫌がいい。強敵に巡り会えたことの方が嬉しいのだろう。
 洋子はというと、さっきから余りにも精神的ショックを受けることが相次いだので少々頭の整理に苦労していた。とにかく、四年余りの付き合いで初めて斎藤が自分を庇ってくれたのである。あり得ないと思っていたことが現実に起きたのだ。
『──何だかなあ』
やり場に困る感情を抱えて、洋子は斎藤を見やっていた。

 

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