るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十七 お夢登場(4)

 部屋に入ると同時に敵を一突きして殺した斎藤は、頭から刀を抜くとそう言った。お夢は声もなく彼の顔を見上げている。
「随分なご登場で。待ってたんじゃありません?」
現代で言うところの『タイミングが良すぎる』と言う奴である。皮肉混じりの洋子の問いには、意外な声が帰ってきた。
「嫌だなあ。僕らはあっちで目的が洋子さんだって聞いて、急いで戻ってきたんだから。確かにぎりぎりだったみたいだけど」
沖田の声だ。もう一人が倒れたのが、音で分かる。
「そいつはお前がやれ。一対一だ、出来るだろ」
「──言われなくてもそのつもりですけど」
背後からの斎藤の声に、洋子は不承不承応じる。そして今度は逆に攻め込んだ。
「さっきまでかわすのがやっとだった小娘に、何が……ギャアッ!!!」
嘲弄が絶叫に変わった瞬間、彼女は繰り出した拳に刺突を加えて貫いていた。

 その刺突に、骨を粉砕するだけの破壊力はない。だが洋子は貫いた刀を使い、横なぎの要領で腕の肉を半分以上斬り裂いた。血がおびただしく噴き出る。
「く…くそっ…!」
一瞬で形勢は逆転した。敵はもう一方の手で出血を押さえ、肩で息をしている。
「どうせどこかの隠密か何かでしょう? ──闇乃武、だっけ」
洋子の台詞に、相手は目を剥いた。
「確か御庭番衆と並ぶほどの隠密で、かなり前に対朝廷に専門化したはず。本業に専念してれば良いものを、なまじ対抗意識なんて持つからこういう羽目になるのよ」
「き…貴様…!」
何故そんなことまで、と言いたげに男は顔を歪めた。
「ま、今から死ぬ相手にこんな事言っても仕方ないけどね」
自嘲気味にそう言うと、洋子は防ごうとする相手の手をかわして、愛刀で心臓を貫いた。

 「──遅い。奴らめ、一体何を手こずっておる!?」
「いい加減にせぬか、平尾」
結界の森で部下が小娘を連れてくるのを待っている男のところに現れたのは、御庭番衆京都探索方の翁であった。忍び装束を身に纏っている。
「これ以上あの娘に手を出せば、新撰組と全面戦争になる。これから抜刀斎を相手にしようという時期に、彼らと戦争するのは愚の骨頂というもの」
言葉に詰まり、言い返すことが出来ない。辛うじて
「ならば貴様があの小娘の正体を教えろ。貴様は当然知っているはずだ」
「──教えても、多分戦争になるじゃろう。新撰組があの娘を手放さぬ限り」
二人は黙って睨み合う。翁がややあって笑みを浮かべ
「もっとも、こちらとしては新撰組と闇乃武が戦争して共倒れになろうと少しも構わぬ。そちらの作った情報網は、我らが吸収する故」
闇乃武の、恐らく京都における最高責任者である平尾という男は唇を噛んだ。
「取り戻せるなら、あの娘が江戸にいた時点で我らがしておる。そういう事じゃ」
それだけを言って、翁はすっと消えた。

 「あーもう。何でこういう羽目になるんです」
「仕方ないよ。君の家の屋根、壊れてるもの」
新撰組の屯所に戻る途中、洋子はぼやいていた。
「あれじゃあ雨が降った時が大変だ。しかしこの子、よく寝るねえ」
自分の背におぶさっているお夢を見て、沖田は笑った。あの後少し遅れて(途中で待ち伏せにあっていたらしい)原田が到着し、井上と永倉を待っている間に食べたり飲んだりしていたらいつの間にかお夢が眠ってしまったのだ。そこで沖田が屋根の破損を理由にしばらく屯所で暮らすように勧め、最後には半ば強引に決められてしまったのである。
「ま、いいんじゃねえ? よく寝る奴は大物になるって言うし」
寝顔を覗き込んで原田が言った。洋子が疑わしげに
「この子がどういう意味で大物になるんだか。ちょっと不安だなあ」
首を傾げつつ応じる。人殺しが目の前であっても食欲は減らないし、確かに度胸だけはあるようだが。尤も、さっきの場合は部屋が暗かったので血の噴き出る光景は鮮明ではなかったかもしれない。
「あ、言っておきますけどお夢には一切剣術は習わせませんので。からかい半分にでもやらせたりしないようにお願いします。もし本人が興味持ってもダメです」
思い出したように彼女は続けた。屯所が近づいてきている。
「──数年前のように、夜中に竹刀持ち出して振り回しててもか」
斎藤が言った。嫌な思い出に、思い切り顔をしかめて洋子は応じる。
「絶対にダメです。特に斎藤さんには意地でも教えさせませんから。師匠の横暴に耐える弟子なんてのは、私一人で充分です」
「横暴も何も、俺の言うことを聞かないのが原因だろうが」
「聞けないようなことを命令するのは自分でしょう」
そのやりとりに沖田が吹き出し、角を曲がると屯所の正門だ。見張りの平隊士が、妙な顔で一礼して中に通す。
「何だそのガキは。それに揃って」
服は返り血で真っ赤に染まり、洋子と原田には痣がある。何か巻き込まれたなと迎えた土方は見当をつけた。
「ちょっと洋さんの家で斬り合いになりまして、屋根が壊れたんです。雨が降ると行けないと思って、数日屯所にいることにさせました」
沖田が簡潔に事情を説明する。そして最後に微笑したのを見て、土方は取りあえず彼らを室内にあげた。詳しい話は後で個人的に聞こう。

 「──そうか」
沖田は副長室で事情を説明し直した。土方の眼が鋭く光る。
「ここ数日は、また奴らが襲ってくるかもしれませんからね。一応洋子さんもこっちにいさせた方が安全でしょう。本当は闇乃武なんか全滅させたいくらいです」
「その闇乃武だが。御庭番衆と別の組織というのは、間違いないな?」
土方の問いに、沖田は頷いた。
「ええ。洋子さんの正体を知らないようでしたから」
「そうか。──洋子の正体を調べに来たか」
沖田が間もなく立ち去った後も、土方は思案を続けていた。

 「へえ、君が噂の……」
「お夢と申します。以後お見知り置き下さい」
頭を下げる。翌日には彼女は既に人気者になっていた。
「ふう。人気があるのは良いけど、何かねえ」
チヤホヤされるのが気に入らないらしく、洋子は不満げに床を蹴った。
 自分が入隊した時とは、雲泥の差だ。まあ芹沢の目に止まることのないよう、影で苦心はしていたらしいが。大体あの時、彼女は誘拐されたのだ。
「──そう言えば、試衛館に来た時も沖田さんがおぶったんだっけ」
記憶はないが後で聞いた話によるとそうらしい。ああいう感じだったのかなあと思い出しつつ、あちこち案内されているお夢を離れて見やる。
「この阿呆が。何をぼけっと突っ立ってる」
そこに斎藤の声がした。竹刀の一撃をかわして振り返る。
「ぼーっとしてる場合か。稽古だ稽古。行くぞ」
「──はーい」
応じた後、ため息が漏れる。──少なくとも、こんな無茶苦茶な師匠に出くわすのは私で終わりにしよう。はっきり言ってお夢の性格が歪む。
 そんなことを考えながら彼の後を追っていると、道場に着いた。平刺突の稽古を始めている隊士もいて、既に沖田が来て指導に当たっている。
「お夢さんが来てるよ。ほら」
道場の隅で、お夢が稽古の風景を見ている。山南が傍にいるのは昨日いなかったからいいとしても、他の平隊士が周りにいるのは納得が行かない。ちょっと割り込むかと思って数歩そちらへ向かったところで、竹刀が飛んできた。反射的に取る。
「割り込む前に、やることがあるだろうが」
斎藤の声がした方を向く。派手に稽古をやって、こちらに向かせるのもいいだろう。
「じゃ、行きます。一本目、始め!」
沖田が告げると同時に、斎藤は踏み込んできた。

 「──あー、痛いっ!! しみるよ、そこ…。痛あっ!!」
半刻後。洋子は自室で完全に伸びていた。お夢が治療に当たっている。
 昨日の事件、斎藤としては大いに不満だったらしい。お夢を守るのに自分たちの手を借りることになった洋子の剣腕について、鍛え直す必要を感じたようだ。本気で打ち込まれてはまだまだ勝てる相手ではなく、あちこちに打撲やすり傷がある。
「斎藤さん、ですか、あの人。凄い実力ですね。洋さんだって弱くはないのに」
取りあえず治療が終わって、お夢がそう感想を述べる。
「言っておくけど、斎藤さんに近づいたら何されるか分かったもんじゃないからね。くれぐれも近づかないように。特に痛い目に遭いたくなかったら」
「どうしてですか? 洋さんの師匠でしょう?」
「だから言ってるの。二度と同じ過ちを繰り返して欲しくないから」
 剣の腕以外最悪の人だからな、と洋子はぼそっと呟いた。

 「──それで、そちらの要求は?」
土方から昨夜の事件について一通りの話を聞いた後、翁は訊ねた。無論土方からの話の内容は、昨日の時点で既に分かっている。
「要求というより、申し渡しです。今後とも洋子はこちらで保護しますので、余計な手出しは一切なさらぬよう。これは幕府側の隠密全体についてです」
「──しかし、そちらもご存じの通り闇乃武は我らの管轄ではありませぬ。隠密全体と言われても、少々困ります」
「ですから、隠密の問題は隠密内で片を付けていただきたいと」
この台詞に、翁の表情は鋭さを増した。要するに、洋子に対する闇乃武の行動を御庭番衆で止めろと言っているに等しいのだ。
「今回はたまたま助勤たちがその場にいたので助かりましたが、そう常に彼女の側に他の幹部をいさせるわけにも行きません。大抵の敵なら彼女一人でどうにか出来るでしょうが、今回のような事態がまた起きるようでは対応しきれません」
闇乃武は浪士たちではない。余程の理由がなければ新撰組としては戦いづらく、特に先制攻撃など不可能だ。洋子を守るのは言うなれば彼らにとって武士としての節義で、最善を尽くす義務はあるが、闇乃武と全面戦争して倒すわけにも行かない以上、対応に不手際が出るかも知れない。そこを補う意味でも御庭番衆の協力が重要なのだ。
「分かりました、出来る限りしましょう。──ついでに、今回の件について何かあれば、我らからも申し添えておきましょう」
「そうして下さると有り難いです」
土方はそう言って、頭を下げた。