るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十六 寒い夜(5)

 伊東が殺されたという知らせが役人によって月真院に届いたのは、それから一刻後だった。遅い帰りを待っていた最中だ。
「な…!!!」
伊東の弟の鈴木三木三郎が、それを聞いて絶句する。その傍で篠原は
「やっぱりやりやがったか」
と、この上なく苦い顔で呟いた。だから警戒しろと言ったんだとも。鈴木が訊く。
「それで、これからどうします?」
「遺体を拾いに行く。恐らく奴らと戦うことになるだろうがね」
「よし、分かった!」
服部が応じて、奥の部屋まで行こうとした。篠原が呼び止めて
「服部君、どこへ?」
「着替えるんです。鎧を着ていきます」
「それは駄目だ。後世の笑いものになる」
服部は篠原のところにもの凄い勢いで歩み寄ると、ほとんど詰問調で
「しかし、敵は我々より遙かに大勢で待ち伏せしているでしょう。それを──」
「それでも、遺体を拾うのが目的である以上、臆病とのそしりは免れまい。平装でいい」
「──分かりました」
この時、月真院にいたのは十人ほど。そのうち篠原、鈴木、服部、毛内、藤堂など七名と遺体を運ぶ人足二人で、伊東の遺体のある七条油小路に急行した。本当はあと四名多いのだが、関東への募兵などで一時的にいなくなっている。

 旧暦十八日はまだ月明かりがあり、さほど暗くはない。篠原たち七人は七条油小路に着くと、伊東の死体を発見して駆け寄る。
「伊東先生!」
毛内は、その無惨な様子にくずおれて膝立ちとなり、慟哭した。その傍では、服部が怒りに震えながら立ちつくしている。遺体を覗き込んだ篠原が、ややあって押さえた口調で
「喉を一突きか。──運んでくれ」
「へい」
人足が戸板に遺体を載せようとした瞬間、無数の足音が聞こえた。見回すと新撰組の隊士たちが、周りを取り囲んでいる。吐く息が月光を浴びて白く見えた数から推測するに、三十人以上はいた。
「来やがった」
「伊東先生の仇!!」
篠原の呟きに服部の叫びが重なり、藤堂は無言で隊士たちに斬りかかる。眼前の一人を逆袈裟で一刀のもとに斬り捨て、死闘が始まった。


 洋子は、遠くから甲高い金属音が聞こえたような気がして、目を覚ました。少し気配を探っていると、また同じような音がして声も聞こえる。妙に騒がしい。
 取りあえず外に出ようと、簡単に着替えて大小を帯び、部屋を出る。廊下を歩いていると、低い話し声が聞こえた。他の客の中にも、起きた者がいたらしい。
「何だね、あれは」
「新撰組と御陵衛士ですよ。ついにおっぱじめたようで」
『──ええ!!?』
洋子は心臓が止まるかと思うほど驚き、次いで詳しい話を聞こうと声のする襖に身を寄せた。若い男の説明が続く。
「何でも、御陵衛士の伊東甲子太郎という人が、つい一刻前に近くで新撰組に殺されたそうです。それを聞いた残りの皆さんが遺体を拾おうとやって来たところに、新撰組が待ち伏せしていて、現場はかなりの死闘らしいです。逃げた人足の者が言ってましたが」
「そうか」
洋子は、それを聞くともの凄い勢いで駆け出した。すぐ近くで新撰組と御陵衛士が戦っているのに、自分がここでじっとしていていいわけがない。戦いを止めるのは無理にしても、自分も現場で剣を振るって戦い、彼らの最期を見届ける義務がある。剣術師範云々は置くとしても、御陵衛士の面々は仮にも数年間、同じ部屋で古典を勉強してきた者同士なのだから。
 早く行かないと間に合わなくなる。そう思いながら、洋子が玄関へ通じる最後の角を曲がった時だった。
   バキッ!!!
それは寸分違わず、走っている洋子の頭を直撃し、卒倒させた。

 「阿呆。こんな夜中に何をバタバタ走ってやがる」
「──聞いてないんですか!? 新撰組と御陵衛士が、まさに今そこで戦ってるんですよ!!」
「知ってるさ。今更じたばた騒ぐな」
斎藤の平静さに、起きあがった洋子は返って苛ついた。
「だって、私が行かなきゃいけないんです。行って、彼らにとどめを刺さなきゃいけない。それが武士の節義ってもんでしょう」
「武士の節義? 百年早い」
斎藤の口調に、今度は嘲笑の色が入る。洋子は反発して
「何でです? 私は伊東先生や御陵衛士のみんなとも」
「阿呆。前も言ったがお前はここで大人しくしてればいいんだ。現場に出て行って、混乱させる必要はない」
「私が行ったからって、何で混乱するんです!? 新撰組の一員として戦いに行く、ただそれだけなのに!!」
そう言って廊下の端をすり抜けようとする洋子の前に、斎藤は立ち塞がった。
「どうしても、止める気ですか」
彼女は、刀に手をかけている。鯉口を切り、まさに今抜こうとした瞬間
「うっ…」
みぞおちを強く突かれ、意識を失って崩れ落ちた。ふう、と一息ついて
「阿呆が。俺を抜けようなんざ、百年早い」
弟子である少女を見下ろしつつ、斎藤は言った。そしてその体を肩に担ぐと、寝室まで運んで布団の上に寝かせる。その幼さの残る寝顔を見やりながら
「こんな卑劣で非情な作戦に、お前を参加させたくない。既に赤い血に染まったお前が、また敢えて黒に染まる必要はない。だから、三浦の護衛としてお前をここにいさせたんだ。──俺を監視役につけてな」
今日でそっちの方は終わりだがと、斎藤は呟いたのだった。


 「くっ…」
服部は腕に浅い傷を負った。服が斬り裂かれ、血が新たにその付近を染めていく。既に全身に斬り傷があり、服も真っ赤に染まっているが、彼に傷を負わせた相手は、ほとんどが一刀のもとに絶命していた。
 そこで、服部は不意に背後に気配を感じた。振り向きざまに横なぎで一太刀浴びせようとするも、辛くもよけられる。月明かりの中で正対した相手は、顔も知らない男だった。
「新入りか?」
応答はなく、代わりに中段で斬り込んでくる。予想以上に鋭い攻撃に、服部の手が軽くしびれた。まずいと思った瞬間、敵が二合目を加えようとする。
「ぐはっ!!」
「──毛内君。助かった」
倒れた敵の斜め後ろには、毛内がいた。間を取ろうとする敵の様子に気づいて素早く近づき、背中合わせに会話を交わす。
「どうやら、篠原先生たちは無事に逃げられたようです」
「そうか。君も逃げれば良かったものを」
「斎藤君に習った、平刺突の対策を生かしたくて」
吐く息が白く曇る中、毛内は微笑を浮かべた。次の瞬間に突っ込んでくる敵の一撃を受け止め、押し返す。次の瞬間、相手は平刺突の姿勢を取った。毛内は一歩前に出て、改めて身構える。構えは下段。
「うおおおっ!!!」
毛内の雄叫びにつられたのか、相手は突進してきた。毛内は下段の構えを変えずに、刺突の向きを変えられないぎりぎりの範囲まで素早く横によけ、第二波の横なぎをまともに受け止める。甲高い金属音が響き渡り、一瞬後に敵が離れようとした。その瞬間、毛内は踏み込んで一閃する。確かな手応えに、彼がやったと思った瞬間だった。
   グサッ!!
 毛内の背中に、斬りつけた者がいた。肩に激痛が走り、血が噴き出す。それでも彼は、反射的に背後に向き直って、声を上げて突進しつつ斬りかかった。決死の形相で敵である新撰組隊士のただ中に飛び込み、彼らが間合いに入り次第刃を向ける。右腕を斬り飛ばされるも、左で脇差しをつかんでなおも敵を引き受けていた。だがこれまでの出血のせいか、次第に意識がもうろうとしてくる。
「やあああーっ!!!」
最後の気合いを奮い起こして突進した毛内を、真正面から上段横一線に刀を走らせて斬り捨て、首を飛ばしたのは吉村貫太郎だった。
 同じ奥州出身の、脱藩浪士である。

 「毛内君!」
味方の一人が倒れた時、声を上げたのは藤堂だった。そちらに駆け寄ろうとして、見知った人影に気づく。そちらを見ると、かつての友人だった。
「永倉君か」
「──ご挨拶だな、君付けとは」
永倉はゆっくりと刀を抜き、身構える。藤堂も身構え、二人の間には余人を寄せつけぬ気迫が感じられた。永倉がそのまま数歩横に歩き、味方の少ない場所まで移動するのを見て藤堂も後を追った。そして両者は、そこから動かない。
 不意に藤堂が、猛然と突っ込んできた。永倉はその斬撃を真っ向から受け止めると、右足を軸にして左足を踏み込み、体を回転させつつ力任せに押し返す。藤堂は軽く跳ね飛ばされ、辛うじて着地したものの数歩よろめいた。そこには戦闘の初期にできた死体が幾つか転がっているだけで、永倉は自分を見つめてはいるものの、攻めてくる気配はない。
「新八つぁん…」
永倉の意図を悟った藤堂は、そう呟いた。そしてその場を離れるべく背を向けた瞬間
「ぐあっ!!」
その背中を、斬り裂いた者がいた。平隊士の三浦常三郎が、藤堂の一瞬の隙をついて袈裟斬りにしたのである。振り返った彼は鬼神のような形相で、怯んだ三浦を一刀のもとに斬り捨てたが、出血多量で程なく倒れた。
 残る一人は服部武雄である。かつて新撰組の剣術師範だったこの男には、途中から十番隊組長の原田が自ら相手していた。隙あらば周りを囲んでいる他の隊士も斬りかかる手筈だが、凄まじい気迫と原田ですら傷を負う剣腕で、なかなか加われない。
「──俺が出るか」
それまでずっと、離れたところで戦いを見つめていた土方が呟いた。そして歩き始めた直後、二つの視線を受ける。永倉と吉村だった。
 二人は共に、無言で首を横に振った。それを見て、土方は歩みを止める。だが、視線は原田と服部の戦いを見据えたままだった。
 原田も服部も、軽傷ならば既に幾つか相手に与えている。ただし、それ以前の戦闘で負った傷も含めれば、服部の方が多い。吐く息が月光に照らされて一層白く見え、他の隊士たちが二重三重に周りを取り囲む中、二人はほぼ同時に動いた。
「はあっ!!!」
「うおおおっ!!」
手元に付け入ろうとした服部に、原田は一瞬大きく槍を引いた。そして次の瞬間には敵の刀の鍔元付近に繰り出し、絡めて弾き飛ばす。しまったと服部が思った一瞬後、低い音と共に原田の槍が彼の体を貫いていた。


 翌朝、洋子は日の出と同時に宿舎の天満屋を飛び出した。決闘の現場にはまだ新撰組隊士と御陵衛士の遺体があり、奉行所の下っ端が野次馬たちを遠ざけている。小柄を生かして中に入り込み、見知った顔の幾つかを確認して、思わず声を上げそうになった彼女の口を、背後から誰かが手で塞いだ。
「──!!!」
顔など見ずとも誰か分かると言わんばかりに暴れ出した洋子を、今度は肩をつかんで強引に野次馬たちの外に連れ出す。数間ほど離れてやっと解放された彼女は、悪人面の師匠の顔を見上げて
「何で放っておいてくれないんですかね、斎藤さんは」
「お前に騒がれるのは御免だ」
「いつも騒ぎの種をまいてるような人に、言われたくない台詞ですね」
無言で一撃食らわせた斎藤は、数歩歩いてふと、ある一点に視線を止めた。
「いくら死体とは言え、昨日の夜は寒かったろうな」
洋子がその方を見ると、地面に流れた血に、霜がおりてきていた。

 

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