るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十八 粛正(6)

 宴会開始から、一刻は有に過ぎた。武田は場の中央であぐらをかいて座り、思い出話に花を咲かせつつ堂々と酒を飲んでいる。このままではまだ時間がかかりそうで、そろそろ帰らねば、と家に妻子のいる永倉や原田が思い始めた頃、近藤は
「さてと、そろそろ武田君も帰る頃だろう。──斎藤君」
と、隊の剣術師範である男の名を呼んだ。
「武田君を、薩摩藩邸までお見送りするように」
言われて焦ったのは、むしろ武田本人である。
「いや、近藤先生、それには及びませぬ。如何に酔っていてもこの武田観柳斎、一人で歩いて帰れますし、そう大げさにせずともまた会う機会もありますので」
「まあそう言うな。誰か他の者が襲って来ぬとも限らぬ」
「武田君、行こうか」
斎藤が背後から声をかける。一瞬躊躇った後、武田は立ち上がった。そして
「本日まで、諸君には色々と世話になった。特に近藤先生、土方先生、伊東先生のお三方には足りぬ面をご指導いただき、感謝の念に耐えぬ。──薩摩藩邸に移っても、もし何ぞ用のあるときは遠慮なく訪ねてきて下され」
場をぐるりと見回してそう言い残すと、部屋を出た。それに斎藤が続く。

 二人は提灯持ちの小者も断り、黙々と歩いていた。北に折れると薩摩藩邸に行くはずの河原町筋も横切って、東に歩いていく。
 鴨川を流れる水の音が聞こえるようになった頃、血のにおいがし始めた。更に歩いて銭取橋が見えるようになった頃には、死体がその一帯に倒れているのも見えるようになった。遠くから見えるものだけで、その数は五人を下らない。
「誰か知らんが、随分なやられようだな」
他人事のように、武田は漏らした。近づくと、十人近くが倒れているのが確認できた。
「──どこまで行くつもりかな、武田君は」
橋にさしかかり、ちょっと聞きには穏やかそうな声で斎藤は訊いた。目も、開いているのか分からないほどに細めている。武田は星空を見上げて
「そうだな、故郷の出雲まで戻るとするか」
「そうか」
と応じたが、武田が柄に手をかけているのを見逃す彼ではない。
「──武田君」
言うのと刀を抜くのと、ほぼ同時だった。武田が刀を抜くのとも。
 だが、振り向きざまに横なぎで浴びせかけようとした武田の剣より、斎藤が駆け抜けながら左切上で抜き打つ方が僅かに早く、左脇腹から右肩まで一直線に斬り裂かれた武田は、ほぼ即死状態で絶命した。

 「──随分、呆気なかったですね」
たっぷり一呼吸分の間を置いて、斎藤には聞き慣れた声がした。
「こいつら倒すまでもなかった──って、あれ?」
付近の物陰から姿を見せた洋子は、斎藤が自分を驚いた表情で見つめているのに気づいた。数秒無言で見つめ合った後、普段の調子で斎藤が口を開く。
「何故、お前がここに」
「──土方さんから聞いてませんでした?」
「副長から?」
問い返され、洋子は相手が本当に何も知らないのだと悟った。一息つく。
「私は土方さんに言われて、ここに待ち伏せしてた薩摩藩の手先を倒しに来たんです。武田先生と討手の隊士と、両方を殺しに来るって言われて」
「──ちょっと待て。てことはこの付近に散乱してる死体は──」
「私が倒しました」
彼女は言い切った。斎藤は複雑な顔で周りを見回し
「一人でか?」
「ええ。土方さんに呼ばれた後、『ちょっと用事が出来たから』って屯所出ましたよね。あの時命令されたんですよ。──全部で九人程度かな、斬ったのは」
「──そうか」
そう言って、斎藤は来た道を戻り始めた。洋子がその後を追う。

 町中に戻り、やや明るくなったところで、斎藤は洋子の肩の傷に気づいた。──いや、肩だけではない。小さいが腕もやられたらしく、制服の羽織が少し赤くなっていた。
「──その傷はどうした?」
「ああ、さっき敵と戦ったときに斬られたんですよ。囲まれて攻められましたから。前に闇乃武と戦ったときみたいに、やられっ放しにはならずに済みましたけど」
更に洋子は、比較的明るい声で続けた。
「今回の件で実感しましたけど、こう見えても結構強くなってるんですよ、私って。土方さんもそれを分かってくれたから、こういう重要な仕事を任せてくれたわけで。斎藤さんだけですよ、認めてくれないのは」
「阿呆。そういうことは俺に勝ってから言え」
鞘ごと叩きつけられた刀をかわして、洋子は応じた。
「沖田さんに言わせると、私が斎藤さんに勝てないのは私の癖を斎藤さんが知り尽くしてるからだそうで。もし初対面同士だったら、どっちが勝つか分からないそうですが」
「それごと折り込み済みで戦えない阿呆には、言われたくない台詞だな」
それにしても副長は、一体何を考えているんだと斎藤は思っていた。多少強くなったかも知れんが、こいつをたった一人で放り出して、何人いるか分からん敵と戦わせるとは。今でさえ数カ所に傷を負っているのに、もし万一のことがあったらどうする気だ。
「大体、強くなっただの何だのは、完全に傷を負わなくなってから言うもんだ。袈裟斬り食らった分際で抜かすな」
「あれは斎藤さんでも食らったと思いますよ、あの敵の強さと数から言って」
三方から同時攻撃食らったんですからね、と洋子は言った。斎藤は数秒黙った後で
「とにかく、お前は先に家に帰れ。報告は俺がしておく。いいな」
「──いいんですか?」
「ああ。こっちにはこっちの話があるからな、色々と」
「──ふーん……」
洋子は首を傾げた。珍しいと思ったのだ。だが数秒後
「分かりました。よろしくお願いします」
一礼し、その場を離れた。

 このすぐ後に起きた事件については、また別に語ることとする。