るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十一 静暗殺計画(3)

 「これでカタはついたな」
斎藤が、懐紙で剣に付いた血を拭いながら言う。山の手言葉を話す武士が飲みに来ているかと言って見廻組を探すと、地図もいらずに見つかった。幸い敵は私服姿だったので、普通の浪士たちと見分けがつかない。飲みに行った先で浪士たちを発見したので手入れしたという、この事件に関する口上まで用意していた。
「しかし、随分弱っちい奴らだぜ。こんな奴らに京都の守りは任せられねえ」
原田左之助が言う。三人で十数人をほぼあっと言う間に倒してしまったのだ。
「で、これからどうします?」
「帰るさ。これ以上は面倒見切れん」
沖田の問いに、斎藤はあっさりと応じた。
「俺たちと御庭番衆で、半分は倒すだろう。この程度の奴の十人や二十人、倒せない奴は俺には必要ない」
「──ちょっと無茶がありますよ、それ」
と、沖田は言いかけた。その時原田が
「あれ、洋子じゃねえか?」
遠くに見える河原を指した。見ると、洋子と決闘相手と思しき男が身構えている。

 

 《──本当は、気が進まないんだけどね。手先と戦うのは》
内心そう思いながら、洋子は相手に片手平刺突の構えで正対していた。こいつと戦って勝っても、次が来れば同じことの繰り返しである。どうせなら本丸を倒したい。
「──どうする? 動かないならこっちから行くよ」
洋子は、どうやら予想外の事態に脅えているらしい相手に言った。反応がない。
「!!!」
目にも止まらぬ速さで突進する。一瞬後、彼女の刀は敵の心臓を的確に貫いていた。
「ぐはっ…!!」
鳥羽辰郎が口から血を吐いて倒れる。刀を引き抜き、軽く息をつく。
 次の瞬間、傍の川から急に四、五人の男が浮かぶように出てきた。服に特徴がある。
「──あんたたちが本番ってわけ、闇乃武さん?」
「まあそういうことだ。やれ!」
中の年長者が指示を出す。身構えた洋子に、手下たちは一斉に襲いかかった。
 爪を使う一人をかわし、二人目の槍を繰り出す下をかいくぐって刺突を入れようとするも三人目が横から斬りかかるので飛び下がらざるを得ず、そこに待っていたように現れる拳法使いに打撃を受けながらもやっとのことで刺突を入れることが出来た。繰り出される拳を引いた瞬間に出来る隙から、肩を狙ったのだ。
「くっ…」
大量の血が出て、思わずその男は後退した。洋子は深入りを避けて周囲を見回す。
 今度は剣客っぽい男が襲いかかってきた。両手に刀を持ち、片方は普通の刀だがもう一方は小太刀である。小太刀は小回りが利くので、通常の攻撃などすぐに受け止められてしまうのだ。となると──。
 次の瞬間。洋子は片手平刺突、それも『逆牙突』で身構えて突進する。狙うはただ一つ、小太刀を持っている方の手だ。

 

 「あの程度ならどうにかなるだろ。帰るぞ」
「──はーい」
拳法男が後退するまで見た後、斎藤は言った。
 五十人というのは大げさな数字だったらしい。帰ろうと思って下におりかけた斎藤と沖田を、原田が呼び止めた。決闘している場所より更に奥、河原の端に立っている巨木の付近で乱闘があっているらしい。しかもその一方が、目のいい彼によると人斬り抜刀斎だというのだ。思わず戻ってそこを見ると、確かにそれらしい光景があった。
「何で抜刀斎までここにいるのかよくわからんが、折角出会ったのに刀を交えないのも士道背反だぜ。どうする、行くか?」
「当然だ。これでやっと久方ぶりにまともな敵に巡り会える」
斎藤が凄絶な笑みで応じ、沖田も帰るよりはましだと思って頷く。そして三人が揃って店を出て数歩歩くと、突然斬撃にも似た甲高い金属音がして、斜め前の店の二階から五、六人の男が飛び降りてくる。
「げっ、し、新撰組!!!」
見たところ普通の武士だが、どの顔も脅えている。新撰組隊士が連れだって街を歩いていれば誰もが顔を背けたりするものだが、この怯えは普通ではなかった。
「どうする、今泉殿」
「そう言う貴殿こそ、どうなさるおつもりか。板倉殿」
口調からして、旗本出身の見廻組のようだ。
「まさか、三条河原での決闘がらみじゃねえだろうな」
原田が訊く。ただでさえ脅えた顔が、一層恐怖に満ちたものになった。
「やっぱりな。どうする?」
「どうするもこうするも、一対一の決闘に邪魔を入れようなんてのは、常識的に士道不覚悟でしょう。ねえ、斎藤さん」
「ああ。斬り捨てるのみだ」
二階を見上げていた斎藤は、視線を戻してそう言った。──どうやら御庭番衆が、そこにいた見廻組の隊士どもを取り逃がしたらしい。半分は倒したようだが、と内心判断する。
「じゃ、行くとすっか」
原田の声で、三人はそれぞれ身構えて斬りかかった。

 何か予想外に騒ぎが大きくなりつつあるな、と二人目の槍使いを斬り倒した洋子は思った。さっきの二つの喧噪が収まったと思いきや、今度は少し離れた木の陰付近で何やら斬り合いになっているようだ。かと思えばまた河原沿いの店の方で騒ぎが起きている。
「さて、次はどっち?」
彼女自身も、傷は幾つかある。拳法使いの負わせた打撲傷以外にも二刀流の男の小太刀を狙ったときに左肩を斬られ、槍使いに右肩をやられた。だが鎖帷子を一応着ているので重傷ではなく、爪使いと傷ついた拳法使いを見やりながら言った。
「やあっ!!!」
左右から同時に襲いかかる。洋子は身体を沈めると、右から攻めてきた拳法使いの胸を斜め下から突き上げるような形で貫いた。もう一方の爪は手首まである帷子で受けとめつつ、突き上げた刀を抜いてそのまま横なぎで相手の胴を真っ二つに斬り裂く。そして飛び離れ、今まで手を出さなかった年長者に向き直る。
「──さて、あんたで最後だけど。何で旗本社会と縁の切れた私に、今頃になって暗殺の手を伸ばすことになったわけ?」
どうせ広助の意向だろうけど、と付け加える。
「御庭番衆が、貴様を売った責任を追及している。老中たちに莫大な金品を贈って、罰だけは免れているがな。貴様さえ死ねば、追及する必要はない」
やっぱり御庭番衆がらみか、と洋子は思った。
「甘いね。御庭番衆は私が死んだからって追及を止めるとは思えない」
軽い嘲笑混じりで言った。だが敵は怒ることなく応じる。
「確かに、そうとも言える。だが依頼主はそう信じ込んでおるのだ。敢えて否定して、仕事の機会を減らすまでもなかろう」
前半部分は洋子も、苦笑混じりながら同意出来る。だが後半の台詞の意味が分からない。
「──まああいつの頭脳なら、そうでしょうね。でも闇乃武は、朝廷の探索を命じられているはず。仕事はいくらでもあるはずでは?」
瞬間、敵の様子が変わった。冷静だったのが一気に感情的になる。
「抜刀斎のせいで、闇乃武が崩壊したのだ。奴一人のせいで!!!」
いきなり出された名に、洋子は驚いた。緋村が、闇乃武を崩壊させた…?
 そして彼女は、先日の桂小五郎の言葉を急に思い出した。あいつの妻が死んだのと、闇乃武の崩壊とは関係しているのかも知れない。だがそんなことは差し当たってどうでも良かった。こいつらの動機がはっきりしたのだ。
「──要するに、闇乃武が崩壊して、あんたたちは食うに困っている。だからうちの従兄弟のバカな依頼にも乗って、金をせしめようとしたってわけか」
洋子は、嘲笑を顔全体に露わにした。
「つくづく最低の奴ね、闇乃武もうちの従兄弟も」
「何だと…!?」
怒りの表情で睨みすえる男に、洋子はそのままの表情で
「かつては御庭番衆と並び称されるほどの実力がありながら、今は単なる金目当ての暗殺集団に成り下がったあんたたちと、ことが解決するはずもないのにわざわざ都まで刺客を送るあいつ。そんな奴らに、私が倒せるとでも思ってるとしたら大間違いよ」
敵にせよ味方にせよ、彼女が今付き合っている人間はもっと誇り高く、もっと真剣だ。人斬りにしても己の信念をかけて斬るのだし、問題を解決するためには考え抜いた上であらゆる手段を使う。金目当てと中途半端な対抗意識で暗殺に加わるような腐った根性の輩はいないし、御庭番衆対策には関係者を殺せば済むだろうという甘い考えでいる奴もいない。自分を殺すこと自体が御庭番衆に狙われることになる、その程度の認識も持てないような奴なのだ、彼女の従兄弟は。
「一度、出直してきなさい。どうせあんた一人じゃ私には勝てない」
「黙れ!!! ではこれでどうだ!!」
敵は襲いかかってきた。拳打と蹴りを連続して加える。間合いを正確に計り、自分が攻撃する一瞬だけ間合いの内に入るが、こちらが反撃する間もなく離脱する。両手両足、四つの攻撃の起点を自在に使い分けるため、刺突の方向を決められないのだ。
「さっきまでの余裕はどうした? 壬生狼とはこの程度か?」
「──」
こうなったら攻撃の起点は無視しよう、とあちこちに痛みを感じながら洋子は思った。接近する一瞬に、攻撃されるのは覚悟の上で心臓を貫く。
「ほれ、そっちが攻めて来ねばこちらから行くぞ」
敵は再び、接近戦を挑んできた。洋子は動かず、片手平刺突で身構える。奇妙に思った敵が立ち止まった瞬間、彼女は凄まじい勢いで突進した。闇乃武の男が逃れるより前に、自分の間合いから心臓を一突きする。
「ぐはあっ!!!」
口から血を溢れさせて、闇乃武の残党は倒れた。

 「──これ以上、私に手を出すつもりなら、それ相応の代償は覚悟して貰う」
死体を見下ろしつつ、洋子は呟くように言った。血を懐紙で拭き取り、刀を鞘に納める。
「どこかにいるだろう広助の手先、聞こえてる?」
何故顔が思い出せないのか、何となく分かったような気がした。つまり、広助は今の自分にとって、その程度の人間でしか過ぎなくなっていたのだ。過去における一時の知り合いのことを、いちいち深く覚えているほど暇ではなかった。
「それにしても、いつの間にか静かになってるし。何だったんだろう、あれは」
決闘場所の周辺に伏せていた見廻組の下っ端と闇乃武の残党は、言うまでもなくそれぞれ斎藤たちと御庭番衆、そして剣心の手によって全滅している。洋子はそんなこととは露知らず、ケンカ騒ぎ程度かなと思っていた。
 そして剣心は、残党を倒した後すぐに帰ってしまい、洋子が姿を消した後で斎藤たちが訪れたとき、そこには誰もいなかった。