るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十七 天満屋事件(2)

 風呂から上がって寝ようとしていた洋子だが、その気配に気づいた。見ると斎藤も気づいていたらしく、既に立ち上がって着替えを始めている。自分も急いで着替え始めた彼女は、几帳越しに
「どうします? 三浦先生の部屋に入る前に攻撃しますか?」
「間に合えばな」
斎藤は刀を腰にはめつつそう応じ、気配を探っていた。廊下を隔てた向こう側が三浦の寝ている部屋で、今日は平隊士が二人、同じ部屋で泊まっているはずだ。
 不意に、廊下から人の気配がする。襖がいきなり開く音がした次の瞬間、刀が空を切る音が聞こえた。
「来たぞ!」
斎藤が叫ぶと同時に、甲高い金属音が聞こえる。それを聞きつつ襖を力任せに開け、一歩踏み出した瞬間に見知らぬ男に遭遇した。一瞬無言で睨み合った後
「何だ、貴様は」
「──新撰組三番隊組長、斎藤一」
「何いっ!!?」
互いに刀を抜いて身構える。まさに一触即発となったその時、斎藤は背後のことを思い出した。
「洋、行け!」
「はいっ!!」
出る機会を窺っていた洋子は反対側の襖を開き、廊下に飛び出して三浦の部屋の中に突入する。周囲にいた隊士が、既に刀を抜いて応戦していた。残る隊士たちもすぐに駆けつけ、たちまち斬り合いが始まった。

 雄叫びを上げつつ、突進してきた敵の斬撃を受け止めた次の瞬間、洋子は逆に逆袈裟に斬りつけた。肉を斬る、軽いが確かな手応え。そのまますぐ奥に向かった彼女は、立ちすくんでいる三浦の姿を見ると
「三浦先生、ご無事ですか!?」
「あ…ああ、何とか無事だ」
そのまま彼の前に立ち、再び浪士たちの斬撃を受け止める。そこに、自分も戦いながらやや遅れてやって来た斎藤は、暗闇ながら三浦の右の頬に血が流れていることに気づいた。
「洋子、洋子!」
咄嗟に、自分の弟子の本名を呼ぶ。彼女の方も敵と正対し、身構えながら
「はい!」
「お前は、三浦先生を安全な場所に避難させろ。いいな」
敵の刀を防ぎながら、洋子は一瞬戸惑った。そこに
「いいから早くしろ!!」
「分かりました!」
そう応じると敵の斬撃を押し返して体勢を崩させ、その一瞬に三浦の手をつかんで襖を力任せに開け、廊下に出る。そこに一人、浪士がいた。咄嗟に手を離して身構えつつ
「奥へ!」
叫ぶと同時に、敵が斬りかかってくる。金属音が響き渡った次の瞬間、袈裟斬りに剣を振り下ろした洋子の手に肉を斬る手応えがあった。そのまま後ずさりで後退し、角を曲がった数歩先にいる三浦を見つける。洋子は背後から声をかけると同時に、腕を抱え込むようにして早足で歩き出した。
 それを気配で感じ取った斎藤は、自ら先頭を切って屋外に飛び出した。

 他の隊士がそれに続き、三浦がいないことに気づいた浪士たちも後を追って外に出る。半月に近い月は余り明るくなく、敵と味方の区別は屋内からの明かりも含めてつくかどうか。その中で斎藤たちは戦っているのだが、敵もなかなかの手練れの上に数が多く、決して有利な状態ではない。
「斎藤一だな」
斎藤が敵を押しやり、踏み込んで追撃を加えようとした瞬間、横から声が聞こえた。そちらを見ると、男が一人立っている。気配からしてただ者ではない。
「貴様は?」
「中井庄五郎」
二人は数秒、周囲の戦闘など目もくれずに睨み合った。横から斬りかかってくる者もいない。
 斎藤は、無言で構えを変えた。刀を持つ左手をぐっと引き、腰を落として右手を軽く刀の先端に添える。それを見た中井は
「牙突か。──ならば」
自ら刀を鞘に納め、抜刀術の構えを取った。
 更にしばらくの間、二人は動かない。相手の実力を慎重に探り、間合いを計る。一瞬の気の揺らめきを待って、一気に攻め込むつもりだった。
 勝てるかという問いは、斎藤には不要だった。自分は勝たねばならないのだ。自分が負けた相手に、他の隊士が勝てるとは思えない。例えそれが、洋子であっても。
『あいつのために、というわけでもないがな』
だが、斎藤が倒れれば次に戦うのは恐らく彼女なのだ。──あいつが死ぬ? 冗談ではない。
 その時、近くで刀同士の衝突する甲高い音がすると同時に、火花が散った。次いでどちらか分からないが、肉を斬る音。
 次の瞬間、斎藤は目をカッと見開くと突進した。中井の間合いを破り、待ち受ける敵が刀を鞘走らせた刹那、大きく体を引く。
 斎藤の胸を、中井の剣が掠める。鋭い痛みを感じ、血がそれを追って噴き出した。だがそのまま、がらんどうになった敵の左胸へ、斜め上から刀を突き下ろす。
   グサッ!
 中井の背に、貫いた剣の切っ先が見えた。口から血を吐いて倒れる敵から刀を引き抜く斎藤を、周囲の者は息を殺してただ見つめるだけである。

 そこに、三浦を奥の安全な場所に避難させた洋子が戻ってきた。地面に下りた途端、倒れている二人の部下に気づく。
「宮川君! 船津君!」
彼らのところに近づこうとした彼女を、近くの敵が襲う。横からの一閃を咄嗟にかわした次の瞬間、手に持っていた刀を跳ね上げた。確かな手応え。
「ぎゃあああっ!!」
悲鳴が上がった。洋子の一閃は相手の篭手部分を直撃し、手を斬り落としている。それで脅えたのか、敵は周囲を囲んではいるものの斬りかかってこない。そのまま油断なく身構えつつ、囲まれたまま斎藤の傍まで来た。
「斎藤さん」
そして、小声で声をかける。胸の傷が心配だったのだが、気配を察するに重傷ではない。
「ちょっとやってみたい作戦があるんですけど、いいですか?」
洋子の言葉に胡散臭さを感じた斎藤だが、この敵の数ではこのままで追い返せるかどうか。次の瞬間、彼は決断した。
「構わん、やれ」
「分かりました!」
そう応じ、洋子は相手と斬り結びつつ突進した。そして数秒後、肉を斬る音がした直後に
「三浦休太郎、討ち取ったり!!!」
暗闇の中、大声が聞こえる。それを聞いた途端、敵の気配が変わった。自分から斬りかかるのをやめ、数秒ほど囁きあっている。
「撤退だ!!」
一人の男が指示を出すと、皆が一斉にさーっと退いた。三浦の暗殺が目的で来たのであって、新撰組と戦って倒す気はないらしい。後を追おうとする部下を斎藤は制し、死んだ宮川に重傷の船津と梅戸の処置を指示した。ご自分はと問う声を無視して先ほどの声の主に音もなく近づき、脳天から一発殴りつけると
「おい、阿呆。どういう意味だ?」
「ああ言えば逃げるかなと思ったんですよ」
洋子は落ち着いた様子で応じた。案の定といった風情である。そこに
「私は生きてるんだが──」
三浦が、辺りの様子を窺うように姿を見せた。

 事情が分からず、三浦を見上げて部下たちはきょとんとする。幽霊ではないらしいと足があるのを見て思っていると、その本人が
「まあ、敵が退散してくれてよかった。それはそうと、誰があんな嘘を言ったんだ?」
「こいつですよ。小賢しい真似を」
洋子の頭を叩くように押さえつけ、斎藤は言った。それが自分を別室に連れていった少年と知って、三浦は頭を振り
「いやいや、見事な計略だ」
この暗闇では、実際に彼を斬ったかどうか確認するのは難しい。従って敵にそう思わせることさえ出来れば、退く可能性は高かった。
「何にしても、君たちのおかげで助かった。かたじけない」
「いえいえ、ご無事で何よりでした」
洋子は笑顔で応じた。この数週間、三浦の色々な話に付き合って来たのは彼女なので、親近感がある。
「多分もうしばらく、奴らも襲っては来ないだろう。私もその間に紀州に帰ることになりそうだ。新撰組に連絡を取って、君たちの仕事も終わりにしたい」
三浦は続けてそう言った。洋子と斎藤は顔を見合わせ
「そちらがそれでいいというのであれば、そうしましょう」
斎藤が応じた。こうして、一ヶ月近くに及ぶ彼らの任務が終わったのである。

 その翌日、屯所にはこんな張り紙がされていた。
 『副長助勤斎藤一氏、公用を以て旅行中のところ、本日帰隊、従前通り勤務の事』。
 ここに至って、ようやく斎藤の御陵衛士入りの真相が、一般の隊士にも明らかになった。がやがやと騒いでいるところに本人がやって来て張り紙を一瞥し、無言で屯所の建物に上がる。そこに永倉が声をかけた。
「よう、久しぶりだな。無事で何よりだ」
「ああ」
短く頷く。それからふと周囲に視線をやると
「洋は?」
「さあ。まだ来てない──と、来た来た」
遠くから、屯所に入ってくる洋子の姿が見えた。入ってきてすぐのところにある張り紙にざっと目を通すと、ため息をついて奥に向かう。建物の中に上がろうとした途端
   バキッ!!
「遅れて来やがって、この阿呆が」
不意打ちの直撃を食らい、洋子はその方を見上げると
「いーったー……。いきなり何するんですか、斎藤さんは」
「阿呆。師匠が九ヶ月ぶりに屯所に帰ってくる時に、出迎えに遅れる弟子がどこにいる」
「それはそっちの事情でしょう。大体私は昨日まで──」
   バゴッ!!!
洋子は声も出ず、痛そうに叩かれた脳天付近を押さえている。斎藤はフンといって奥に入った。
「その顔は、承知済みだな」
永倉が、二人の顔を等分に見てそう呟いた。

 

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