るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の一 仙台・蝦夷にて

 戊辰戦争の最中、劣勢の会津藩を助けるために、奥羽列藩同盟の核ともいえる仙台伊達藩に支援を求めに来た、元新撰組副長の土方歳三は、城下町で宿を取ることにした。
「あの、お客様。ご面会になりたいという方がいらしてますけど…」
翌朝、城内に赴いて説得工作をしようと宿屋の部屋から出たとき、女将に土方は呼び止められた。女将自らが来ているところを見ると、その相手は大物らしい。さては城内からの使者かと思いつつ、何の気なしに相手の身分を聞いてみると
「鴻池の者だそうです。内々のお話があるそうですわ」
 そう言って、女将は特別に(土方にではなく、鴻池に対する待遇だろう)用意した部屋に土方を通した。中には、土方も見覚えのある男が座っている。顔を見るなり、頭を深々と下げた。
「京都で、お会いいたしましたな」
と、土方が言った。大阪の大商人である鴻池は、大名をもしのぐ力を持っている。新撰組は京都の鴻池別邸を襲った盗賊を斬り殺したことから鴻池と親しくなり、時々献金を受けていた。
「今日は何のご用で参られた? 私などと交わっていると薩長にばれたら、面倒なことになるのではないかな」
薩長、すなわち後の明治政府のことである。土方の言葉は商人である鴻池の立場を思いやってのことだったが、相手は笑って首を振った。
「薩長の軍資金は、全部我々の懐から出とります。うちらが嫌だと言うたら、会津を攻めるどころか自分らの生活自体が危うくなりますわ」
そう言って、やや小声になり続ける。
「しかし、薩長はんもひどいことなさいますわ。例の偽官軍の件、あれ濡れ衣でっせ。年貢半減令出したはいいが、お金がのうてすぐ撤回。そんでもって布告した赤報隊の皆はんがたを処刑してしもうたんや。それでうちらに『金を出せ』ときた。…まあそう言うわけやから、何も気にすることないんよ。土方はん」
 言われた側は苦笑した。そして時間がないことを思い出す。
「で、今日は…」
次の瞬間、相手は土下座して謝罪していた。
「申し訳ござらん。新撰組の皆はんがたに頼まれていた天木洋子はんが、行方不明になってしもうた」
一瞬後、土方が呆然として呟く。
「――洋子が…行方不明…?」
それは、新撰組の幹部であった者たち全てにとって、非常に重い意味を持っていた。 

 天木洋子というのは、新撰組の隊士の名だ。隊士としての名は天城洋というが、土方たちが京都に上る前から天然理心流に弟子入りしていたため、当時を知る幹部の間では洋子と呼ばれていた。彼らの後を追って京都に上り、新撰組に入隊。女とも思えぬ剣腕で維新志士や浮浪の徒と渡り合った。だが土方たちは、鳥羽伏見の戦いで敗れたあとの大阪で彼女を置いてくる。まだ十代の彼女を、これから起こる戦いには連れていけない。そう思ったとき、置き去りにする場所は大阪しかなかったのだ。
 関東で別れようとしても、洋子は必ずついてくる。沖田の世話をさせようとも思ったが、労咳(肺結核)が万一移りでもしたら大変だし、立つことも出来なくなっていた沖田の先が長くないのは目に見えていたため、死んだら必ず後を追ってくるものと思われた。鴻池に預ければ残党狩りの憂き目にも遭うまいし、大阪ならば洋子も後追いを諦めるだろうということで、眠っている間に家の者に引き取りに来てもらったのだ。
「目覚められたあと、しばらく泣いてはりました。近藤先生がお亡くなりやしたとき、江戸に帰ると言い張られましてなあ。その時はどうにかお静めしましたが、今月の五日にいなくなってしまわれました。土方はん、ほんとに申し訳ない」
土下座して頭を畳にすりつける。それが儀礼でないことは、この男にはすぐにわかった。恐らく鴻池も・敗者・に対するものとしては異例の厚遇を洋子にしてくれたのだろう。第一、普通ならこんなところまでそういうことを教えに来たりしない。
 土方は、一息ついてこう言った。
「分かった。あれは気の強い奴だったから、多分自分の意志で飛び出したんだろう。わざわざこんな奥州まで教えにいらして下さったこと、本当に感謝している」
嘘ではない。大阪から仙台までの距離感は現在(1998年)とは比べものにならぬほど遠かったし、実のところ土方は洋子が鴻池で召使い同様の待遇しか受けられないのではないかと覚悟していた。そうではなかったと分かっただけでほっとする。
「ほんとに申し訳ないことをしました。斬り殺されるのも覚悟しとったんですわ、いやほんまに。皆はん方にとって洋子はんがどんなに大切な存在だったかちゅうのは、よう知っとりますんで。ああよかった」
土方は苦笑した。そして、ふとあることを聞いてみる。
「泰三さん、あなた方が我々に気を使ってくれるのはありがたいが、なぜ朝敵である我々にそうまでして下さるのか、理由を知りたい」
今度は泰三が苦笑する。こんなことを聞かれたのは初めてだ。
「時局が変わったからちゅうて簡単に世話になった人を見捨てるようやったら、商人としての信用を失いますやろ。確かに金の貸し借りはある程度の見込みがないと出来まへんけど、それかて相手の信用が第一なんですわ。だから、そう簡単には見捨てられまへん」
納得して、土方は席を立った。

 

 仙台藩の説得には失敗したものの、その地で榎本武揚に出会った土方たちは、彼が乗ってきた元幕府軍艦の開陽丸に乗って一路蝦夷(北海道)を目指した。その途中で土方は、新撰組時代からの同志である斎藤一に、洋子の失踪を語った。
「――そうですか」
斎藤はそう応じたきり、何も言わない。土方も黙った。甲板を冷たい風が吹き抜ける。
 実を言うと、洋子に剣を直接教えたのは斎藤だ。教え方はかなり無茶苦茶で、素振り五百回などと言う人間の限界に挑戦するような基礎鍛錬+比古清十郎まがいの実戦型練習。それも彼女が疲れてきて少しでも手を緩めると、竹刀で頭をぶっ叩く。たんこぶや痣が出来た程度ですんだのは、彼なりに配慮した結果だろうか。
「だからどうしたということもないが、洋子のことだ。今頃俺たちを追ってるだろうから、どこかで遭遇する可能性は大いにある。注意しておけ」
それだけ言って、土方は船室に戻った。

 斎藤は、船室で蝋燭の灯を見つめていた。洋子のことが脳裏をよぎる。
「……馬鹿馬鹿しい」
苦笑して横になった。あいつが何をしようと知ったことではない。第一函館まで来る可能性はほとんどないのだ。考えるだけ無駄である。
 洋子とのつき合いは、ああだこうだ言って斎藤が時間的に最も長い。表向きは天然理心流道場・試衛館・の居候兼門下生だったが、実質的に同じく道場の居候の一人である斎藤が中心になって教えていた。夜中に竹刀を持ち出した洋子を斎藤が見つけ、それを近藤・土方に言ったところ「教えてみてくれ」と言われて引くに引けなくなったのである。
 初めはそれこそ不承不承だったのだが、予想外に彼女の筋がいいのにほどなく気づき、本腰を入れて教えざるを得なくなる。そしてあしかけ七年のつき合いになり、洋子は緋村抜刀斎と直接対決して生き残った数少ない人間の一人になるまでに剣腕を上げた。年齢は、今年で十八歳。
「恨もうが憎もうが、知ったことか。もうあかの他人だ」
こっちは彼女のためを思って大阪に置いてきたのだ。それを無視する方が悪い。
 そう思いつつ、斎藤はこの夜、船の揺れに伴って蝋燭の灯が揺れるのが妙に目障りだった。

 

 さて、蝦夷についた開陽丸一行はまず拠点となる城を落とさねばならなかった。候補は決めている。幕府がつい数年前にたてた要塞、五稜郭。
 函館にあり、今史跡となっているこの要塞を落として榎本武揚たち(もちろんその重役として土方たちもいる)が箱館(現在の・函・になったのは明治以降)を占領したのは上陸してから約十日後の十一月一日だった。箱館は日米和親条約で開港された港町であり、外国公館や商社も多い。これから外国の文物を取り入れなければならない彼らの本拠地としては上々だろう。
 ところが蝦夷には、松前藩という藩がある。これが箱館陥落後も降伏もせずに居座っているのは軍事的に脅威であるし、政治的にも都合が悪い。一刻も早く攻め落とさなければならず、その司令官に選ばれたのが土方だった。 こうして、土方たちは松前城へ進軍した。

 

 松前城を攻め落とした際、なぜか藩主の奥方が逃げ遅れて付近の小屋にこもっていた。身重ゆえ、急いで動けなかったのだろうとは思うが、殺すわけにも行かない。藩主本人は江差にいると判明していたので、取りあえずそこまで送ることにした。土方はとっさの判断で付添人を二人指名する。その内の一人が、斎藤一だった。

 

 その次の言葉に、斎藤は珍しく驚きと不満を露にした。
「江戸まで付き添え、ですと? ――正気ですか」
「正気さ」
この時勢で江戸まで行けば、二度と箱館には戻れない。当然斎藤は断った。
「冗談じゃない。蝦夷もこれからという時になって帰れなんて御免こうむる」
「そうです。江差までならともかく、江戸までとは…」
と、もう一人も口を揃えた。だが土方は恐ろしい表情で二人を睨み付け
「隊長の命令は絶対である、と言う法度を忘れたか」
と厳しい声で言い、有無をいわさず承諾させてしまった。その後もう一人の方に部隊の会計役を呼びにやらせる。斎藤が口を開いた。
「土方さん、あんた…」
「洋子を頼む」
重ねて言った短い言葉に、斎藤は不満を飲み込んだ。

 土方の表情は真剣だった。顔色には少しも出なかったが、ずっと気になっていたらしい。斎藤自身、洋子失踪の話を聞いてから夜に落ちつかなくなっている。自分でも馬鹿馬鹿しいと思うのだが、どうも夜中の風の音が気になるのだ。
 「いつかあいつに会えたら、これを渡してくれ」
そう言って土方は手紙を渡した。
 洋子の過去には秘密がある。それを新撰組の幹部たちは知っていたのだが、当の洋子は彼らがそれを知らないと思っている。
「あいつには、謝らなければならんことがある。今となっては、それを頼めるのはお前だけだ。…引き受けてくれるな?」
斎藤は、この男には珍しく神妙な表情で
「――分かりました。もし会えたら…」
「頼む」
随分重い頼まれごとをしたものだ、と斎藤は思った。

 

 その後二人は蝦夷を脱出し、江戸までおちのびた。残った土方は、翌年の五月に箱館で戦死している。

 

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