るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 暴発の洋子

 慶応元年四月、初夏の京都。新撰組の屯所からは竹刀のぶつかり合う音が聞こえる。
「そこ、喋ってないで稽古稽古!」
「は、はい!」
庭の隅で話し込んでいる数人の隊士に、洋子の厳しい声が飛んだ。ばっと飛び上がり、慌てて稽古に戻る彼らを横目に、彼女はまた叫ぶ。
「はい、次! かかって来る!」
身構えつつ油断なく周囲を見回し、気配を探る。庭の中央にいる彼女には、四方どこからでも襲ってくる可能性があるのだ。
 背後からの気配。接近してきたそれが竹刀を振り下ろすより前に、洋子はそのままの姿勢から後ろに竹刀を突き出した。辛うじて相手はかわすも、怯んだ一瞬に彼女は振り返ってそのまま胴を叩き込む。呆気なく、相手は吹き飛んだ。
 更に周囲を見回すも、隊士たちは顔を背けて動こうとさえしない。洋子は苛ついて
「江戸から土方さんたちが帰ってきたら、あんたたちは先輩になるんだからね! こんな有様でどうする!? 情けないったらありゃしない!!」
竹刀を地面に叩きつける洋子の顔には、うっすらと汗がにじんでいた。そこに背後から
「まあ、今日はこの季節にしては暑いし、それにそろそろお昼だ。この辺で休憩だろう」
二番隊組長・永倉新八の声だった。斎藤が土方について江戸に行き不在の今、主な師範は彼である。洋子はやや物言いたげな様子だったが、軽く息をついて
「そうですね」
「よし、午前の稽古はここで終了!」
永倉の宣言で、皆庭から上がり始めた。

 「この数日、稽古が激しいな。どうした?」
「平隊士が強くならないからですよ。ちょっと目をそらすと、すぐに遊んでばかりで。もうすぐ先輩になるってのに、自覚がない」
近所の食堂で焼き魚の昼食を取りつつ、洋子は不満たっぷりの様子で言った。同じ定食を自分も食べながら、永倉は苦笑して
「先輩だろうと後輩だろうと、剣の強さには関係ないと思うが」
「それはそうかも知れませんけど、あんまり弱いと新入りにバカにされませんか?」
永倉はまた苦笑した。茶碗を持ち上げて食べながら応じるには
「それで奮起して、強くなることもある。お前が心配することじゃない」
「そうなればいいんですけど、内部の空気が不穏になったりしたら」
「どうも心配しすぎだな、お前は。別にお前の責任問題に──」
言いかけて、理由に思い当たる。
 ただでさえ、こんな年少者が師範代格なのだ。古参の者が見れば、師範が斎藤で代理が天城洋という認識であり、その剣腕も知っているので問題はないのだが、新入りにはその付近が分かっていない。昨年秋に近藤が江戸で隊士を募集して帰ってきた時も、弱い古参が新入りに「こんな若造が稽古つけてるからだ」と見下された経験があり、また繰り返されるのが嫌なのだろうと永倉は推測した。

 その日の夕方、伊東も土方について行っているため古典の授業がなく、早めに帰ってきた洋子は「ただいま」も言わずに中に上がった。みそ汁に入れる油揚げを切っていたお夢が、気づいて
「あ、お帰りなさい洋子さん。洗濯物そこに置いてますよ」
「うん、分かってる」
「何かあったんですか? 最近ちょっと機嫌が悪いみたいですけど。──月の障りのせいですか? お腹が痛いとか」
口調がいつもよりぶっきらぼうなので、お夢が心配して訊いてきた。下着がいつもと違うので、月の障りの時期が彼女には分かるのだ。洋子の方も素直に
「うーん……。少なくとも痛くはないけど、どうなんだろう。だけど先月までは何ともなかったのよ。お夢も知ってるだろうけど」
自分の行李に服を入れて横になりつつ、洋子は言った。屯所でのことは、お夢に言ってもしょうがないので黙っている。
 実のところ、今までは月の障りだろうと何だろうと、イライラは全て斎藤にぶつけていた。と言うより直接的には斎藤がほとんどのイライラの源だったので、洋子は他の要因に関係なく怒ったりぶっ叩かれたりしており、二人の喧嘩はいわば「毎日の儀式」にまで成り下がっていた。
 ところが今は、斎藤がいない。いれば月の障りも余り気にならないのだが、いないと何故か気になるし、平隊士のこともあってどうも落ち着かない。
「大体、斎藤さんがいた頃にはああまで遊んでなかったんだから」
お夢の作るみそ汁の匂いを嗅ぎつつ、不満そうにぶつぶつ呟く彼女だった。

 翌日もいつも通り、洋子は庭で稽古をつけていた。隅の方で喋っている隊士数人を見つけて、注意する。
「また喋ってる──。あんたたちもいい加減にしなさい。新入りにバカにされても知らないからね」
彼らは顔を見合わせ、仕方ないといった様子で稽古に戻っていく。その中の一人、背の高い生意気そうな隊士が、洋子の脇を通る際、不満げに言った。
「師範代だか何だか知らねえが、所詮ガキじゃねえか。偉そうに指図するんじゃねえ」
その言葉に、洋子の中で何かがブチッと切れた。数秒して振り返ると無言でその隊士に音もなく接近し、いきなり斬りつける。低いが大きな音がして、彼は卒倒した。周りの数人がその隊士を助け起こしつつ
「ふ、不意打ちとは卑怯じゃないですか!」
「黙れ!! 文句は私を倒してから言え!!」
聞いたこともない乱暴な口調に、道場にいた面々が一斉に自分の方を見たのにも気づかない。そう叫ぶなり、洋子は彼らの中に斬り込んでいった。

 「あーあ、怒らせちゃった」
瞬く間に周囲の数人を叩き伏せ、更に手当たり次第に平隊士に襲いかかっている彼女を道場から見て、沖田が苦笑混じりに言った。
「いいんですかね、放っておいて」
同じ三番隊伍長の前野が、心配そうに訊く。竹刀で斬りつける音が響く中、沖田は笑って
「いいと思うよ。斎藤さんが帰ってくるまで放っておけば」
「おいおい。斎藤君は今、江戸に行ってていないんだぞ」
自分の隊の隊士が肩に一撃を食らって倒れ込むのを見やりつつ、横から永倉が言った。沖田は虚を突かれたような顔で数秒沈黙して、
「それでも、僕らのせいじゃありませんから。彼らも少しは反省すればいいんだ」
「そういう問題かよ?」
今度は原田が訊く。皆この騒ぎで自分の稽古どころではなく、暴れている洋子の方を見ているのだ。と言っても、心のどこかで楽しんでいるのは否定出来ない。
「そういう問題ですよ。大体、あの子がバカにされるってことは、あの子に師範代を任せてる僕らが信用されてないってことなんですから」
「──確かにな」
永倉が応じ、道場に戻るべく背を向けた。

 

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