るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 八王子(2)

 洋子と沖田の二人が帰途についたのは、夜になってからだった。
「この付近、幽霊が出るかも知れないなあ」
「え、幽霊!?」
辺りはほぼ真っ暗で、先の方に町の灯りが見えるだけだ。提灯を下げて数歩先を歩く沖田の一言に、洋子はびくっとなった。
「昔、鎌倉幕府と新田義貞が戦ったのが、ここからそう遠くない場所でね。無念の霊があちこち彷徨ってるかも。ほらそこ──」
ぎょっとなって相手の指した方を見ると、何やら幽霊がいそうな気配がしてきた。慌てて駆け寄り、腕にぐっとつかまる。
「アハハハ、大丈夫だって。僕がついてるから」
「だって、相手は幽霊ですよ。取り憑いて何かしないとも限らないじゃないですか」
洋子は本気で怖がっているらしい。沖田は苦笑と微笑の混ざった笑みで
「だけど、彼らは僕らには何の恨みも持ってないじゃない。幽霊ってのは恨みがある人間に取り憑くんだろ? 大丈夫、見物のつもりでいればいい」
「幽霊見物ですか。あんまりしたくないですね」
「僕もだ。──そこの御仁たちも」
沖田の声色が違う。洋子はハッとした。さっきから妙な気配がすると思っていたら…。
「隠れてないで、出てきたらどうです? 僕は逃げも隠れもしませんから」
「──よく分かったな、坊主」
低い、ドスの利いた声が辺りに響いた。足音と提灯の光で見える人影から、声は一つだがいるのは五人程度と見当をつける。
「とは言え、こっちの用事はそっちの小娘でな。大人しく引き渡してもらおうか」
「洋子さんに、何の用です?」
沖田は本気で疑問に思って訊いたのだが、相手はそうは取らなかったらしい。
「とぼけんじゃねえ! 昨日の今日で忘れたとは言わせねえぞ!!」
「──ああ、あのことですか。でもあれは、向こうが──」
昨日、洋子はちょっとした騒ぎを起こしていたのだ。その因縁らしい。
「嫌なら力づくでかっさらうだけだ。かかれ!!!」
「洋子さん、ちょっとじっとしててね」
沖田は提灯を置いて言うと、洋子が応答するより早く敵の方に突入していった。

 

 闇の中なので、彼がどう戦っているのかよく見えない。ただ彼女は、後になって自分でも驚くほど悠然としていた。こんな奴らに、沖田が負けるはずがない。
『──前に誰かが言ってたけど、子供同士のケンカに大人が口を出すなんて見当違いも甚だしいわ。まあ親分の子供って言う事情はあるんだけどね』
誰が言ったっけ、と思い出していて、突如むっとなる。斎藤の台詞だったからだ。
「いずれにしても、沖田さんなら大丈夫よね」
「ちょっと来てもらおうか、小娘」
呟いた次の瞬間、背後からいきなり声がする。洋子は声を出す間もなく右腕をねじ上げて後ろに回され、喉元に短刀を突きつけられてしまった。咄嗟のことで反応できない。
「洋子さん!」
慌てて沖田が駆け寄ろうとするが、敵の男は
「おっと。提灯で見ればそんな状態じゃないってことは分かるはずだぜ」
と言って、沖田にことを悟らせる。
「与助さまがお待ちかねだ。昨日の恨み、倍にして──グヘッ!」
叫んだ瞬間、沖田が突進してきてその男を峰で斬った。

 

 「大丈夫? 洋子さん」
沖田が心配そうに、かがみ込んで訊く。平気ですよと彼女は応じた。
「そうか、良かった良かった。しかし、さすが洋子さんだ」
彼の呼び声で正気に返った洋子は、咄嗟に自由に使える左の肘で敵の脇腹を突いたのだ。そして、その一瞬を見逃すような沖田ではなかった。
「ああいう時にあんな反応が出来る子は、そうそういないよ。日頃の成果だろうね」
「そうですか? ──あ、それで……」
洋子は声を落とし、沖田にこう頼んだ。今の事件、斎藤には一切言わないでくれと。
「あの人の今までの言動だと、こっちの反応より相手に捕まったこと自体が問題になってぶっ叩かれますからね。流石にそれはごめんですから」
沖田は苦笑した。自分の師匠のことをよく分かっている。
「分かった。秘密にしておくよ」

 が。翌朝、二人が目覚めたときには既にこの事件は広がっていた。「侠客・八王子の仁太の片腕である長吉を、一刀の下に斬り捨てた男がいるそうな」
「へえ、そいつは凄い」
「しかも、聞けば仁太の子供とその男の連れてきた子供のケンカが発端なんだと。仁太も落ちたねえ。子供のケンカに親が報復することはあるまいに」
「いや、何でも与助が勝手に長吉に頼んだそうだ。仁太はカンカンで、与助は今日一日寺子屋を休んで家の蔵に閉じこめられてるらしい」
「そりゃあいい。あの生意気なガキもこれで少しは大人しくなるだろ」
宿屋から長沼の家に向かう途中、周りでそう話しているのを聞いた洋子は顔をしかめた。
「これは隠そうとしても無理だね、洋子さん。帰る頃には江戸まで届いてる」
沖田が苦笑混じりに言う。言われた側はますます顔を渋くした。
「向こうが私の足を踏んだのに謝らないから、謝れって言っただけなのに」
でもって押し問答からケンカになり、洋子の木刀であっけなく与助は負けてしまった。そこで一応謝ったのだが、どうやら向こうは納得がいかなかったらしい。
「あーあ、弁解の言葉を考えておかないと」
「大丈夫だって。倒した経緯さえごまかせばいいんだから」
洋子は一瞬きょとんとして
「──あ、そっかあ」
一つ頷き、それから明るい顔になった。
「そうですね、そうですよね。私が捕まったなんて言わなきゃいいんですから。ああほっとした、これで殴られずに済みますね」
「そうだよ。だから大丈夫」
心配しなくていい、と沖田は笑いながら言った。洋子の表情の変化が可笑しかった。

 長沼の家につくと、洋子たち相手に客が来ているという。
「お二人とも、昨日こちらにいらしたばかりなのに何でそのお客が知ってるのか。不審に思って客の名前を聞いたら、何と侠客の仁太本人じゃないですか。びっくりしましたよ、もう。何かあったんですか?」
言いながら、案内役の下男はニヤついている。見当がついているに違いない。
「うん──まあ、ちょっとね」
沖田は曖昧に返事をして、洋子とともに客間に向かった。侠客の親玉が来ると聞いても彼女が平然としているのは、生まれと育ちの影響だろう。度胸だけはあるのだ。
 扉を開けた瞬間、下座で土下座に近い状態で頭を下げている男が二人いる。一人には包帯が巻かれていて長吉だろう。さすがに呆気に取られて立ちつくす二人に
「一昨日からのうちのせがれの件、大変申し訳ございませんでした!」
一人が言った。こちらが仁太だろう。沖田はとぼけて
「えーっと、そちらのお名前は──」
「あ、申し遅れました。私が八王子の仁太、こいつが長吉です」
「仁太さんと長吉さんですね。私は沖田総司、この子が──」
「天木洋子です」
洋子はそう言って、一礼した。沖田は更にとぼける。
「早速ですが、ご用件の方は──」
「うちのせがれの与助が、そちらのお嬢様に大層なご無礼を働いたそうで。おまけに子守役の長吉までがケンカを吹きかけ、親として侠客として恥ずかしい限り。そのお詫びにこうして参上した次第で」
「これで、なかったことにして下せえ」
長吉が差し出した包みを沖田は取り、中を覗いて投げ出した。
「闇夜に不意打ちしておいて、これだけですか」
常日頃に似合わない、強い口調で彼は言う。傍の洋子は驚きと焦りが混じった表情になった。思わず止めようとすると
「無傷で返り討てたからいいようなものの、あの状況だと普通はこうは行きませんよ。ましてこの子はさらわれるところだった。それに対してこれは安すぎやしませんか」
「──もう少し欲しい、と?」
仁太は、こちらの真意を探るような表情をした。
「嫌なら別にいいんですがね。僕一人でそちらに乗り込んで、組織ごと潰してもいいんですから。冗談だとお思いなら、そちらの長吉さんに不可能かどうか聞いてみればいい」
「ちょ、ちょっと沖田さん」
声をかけた洋子に、沖田は片目をつぶって見せた。
「──分かりました。ではこれで──」
さっきより更に大きな包みが加わる。中身を確認し、小さい方ともども懐に収めた。

 「いいんですか、あんなことして」
道場に向かいつつ、洋子は沖田に訊いた。
「いいじゃないの。どうせ近藤さんも土方さんもほとんど金くれなかったんだから」
「そうなんですか?」
意外な事実に目を丸くした洋子に、沖田は笑った。
『土方さんなんて、『どうせ洋子が騒ぎを起こすだろうから、それで滞在費巻き上げろ』だもんな。実際そうなっちゃったけど』
よく当たるというか何というか、と彼は苦笑混じりに土方の顔を思い出した。
『それに、他ならぬこの子をさらおうとしたんだから。いくら子供同士のケンカが発端とは言え、そうそう簡単には引き下がれないよ』
そう思って、傍の少女の頭を軽く撫でる。道場への入り口の扉があった。
「今日、稽古が済んだら、美味しいもの食べに行こうか」
「あ、はい!」
洋子は明るい声で頷いた。