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るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 剣心と楓

 その朝、飛天御剣流十三代継承者比古清十郎は機嫌が悪かった。
 もっともこの男の場合、元来が陰険でぶっきらぼうで人間嫌いなので、端から見るといつも不機嫌そうに見えるのだが。顔が良ければ不機嫌面、顔が悪ければ悪人顔、とは斎藤一を知った後の楓の評である。
 さて、そもそも不機嫌の原因は何かというとバカ弟子二人である。一人は剣心、もう一人は楓と言い、剣の才能は自分には及ばないまでも二人ともそれなりにある。上達が遅いので不満というのではない。
「昨日の水汲み、俺がやっただろ! 今日は剣心がやれよ!!」
「だったら朝飯くらい作れよな! あと師匠の服の洗濯!」
昨日はふもとで祭りがあったので二人に留守番を押しつけて比古は飲みに出かけ、今日はひどい二日酔い状態なのである。それに朝っぱらからガキのキンキン声…。
「げ、そんなのまで俺にやらせんのか!? だったら部屋の掃除くらいはお前がやれ!!」
「やなこった。大体いつも寝相が悪いの楓だろ! 今日も寝ぼけてゴミ散らかすし」
「うるせえ。昨日またおねしょした癖に!!」
「おい、もう少し静かにしてくれ…。頭が痛いんだ…」
思わず、寝床から比古はそう言った。ところが剣心と楓は
「俺たちに留守番押しつけて自分だけ楽しんでおいて、二日酔いになったからって静かにしろなんて身勝手だよなあ」
「そうそう。自業自得ってのはこういうのを言うんだよな」
と、まるで無視している。剣心が立ち上がって数歩歩き、何かを開けた。
「ほらよ」
と戸棚からほうきを投げて寄越す。咄嗟に取った楓は一瞬後
「てめえ、俺にやらせようって魂胆だな!? その手に乗ってたまるか!!」
そう言うなり、玄関に向かった剣心の背に思いっきりほうきを投げつけた。
「痛あっ!!!」
まともに命中し、剣心はそこで倒れ込む。そのまま数秒ほど動かないので、さすがの楓も心配になって様子を見に接近した。
「おーい、剣心…。大丈夫か──?」
応答がない。顔を見ようと思って真上まで来たとき
「飛天御剣流・龍翔閃!!!」
いきなり足元からそう声がして、次の瞬間には楓の喉元にほうきの柄が叩きつけられる。かわす間もなくそれを食らった彼女は、まともに数間飛ばされて頭から比古の身体に落ちていった。幸い脳震盪以上の事態にはならずにすんだが。
「いってえ……。わっ、師匠! ごめ…」
楓が気づいたときには、すでに遅かった。そーっと家を出ようとした剣心にも向けて、立ち上がった比古から雷が落ちる。
「剣心!!! 楓!!! てめえら二人とも、今日一日飯抜きだっ!!!」
一食抜きは何度もあったが、三食抜きは滅多にない。二人して顔をしかめてしまった。

 「──おい、剣心…。どうする、三食抜きなんて自信ねえよ」
楓が言った。空の桶を二人で二つずつ、合わせて四つ下げている。体力節約のために急遽共同作業に切り替えたのだ。
「俺もだ。まあ師匠は少なくとも午前中は寝てるだろうから昼食まではもつにしても、問題は今夜を無事に越えれるかどうかだ」
「修行中に餓死なんて、どう見たってかっこ悪いよなあ」
「そりゃそうだ。絶対に御免蒙る」
今は秋であり、常識的に言えば一日飲まず食わずでも死ぬことはないのだが、育ち盛りの二人には死活問題なのだ。
 小石を蹴って剣心はそう応じた。川に落ちて付近にいた魚が一斉に逃げる。
「──いっそのこと、今日はここでじっとしてるかな」
何か思いついたらしく、剣心は川底を覗いて言った。楓の顔も映る。
「ここに今日一日いるのか? まあ確かに、食うものには困らねえだろうけど」
魚に木の実が数種。数日いても大丈夫なだけの食糧は調達できる。
「よし、決めた。たまには師匠を心配させてやろうっと」
剣心はそう決意した。無論楓も否やはない。

 楓が魚を捕まえている間に、剣心は木の実とキノコを集めていた。
「ふう。こんなもんでいいかな」
イワナを一人二匹ずつ、合わせて四匹捕まえた楓が言った。
「ああ、それで充分だと思うよ。こっちの木の実とキノコを足したら上出来さ」
ちょうど桶に木の実とキノコを集めてきた剣心が応じる。
「お、山ブドウに木イチゴか。美味しそうだな」
剣心の桶を覗いた楓はそう言った。その後二人で薪を組んで火を付け、付近に転がっていた棒でイワナを串刺しにしてあぶる。ついでにキノコもあぶった。
 「今頃師匠、どうしてると思う?」
食べ始めた頃には、太陽が中天近くに上っている。楓の問いに
「さあ。いくら何でもそろそろ起きてて欲しいけど」
「だよなあ。一日中寝てられたんじゃあ折角心配させようとしてる俺たちの立場がない」
イタズラをしかける側はしかける側で、妙なところに気を回すものである。身のあまりない魚にしゃぶりつきながら、剣心は言った。
「まあ場合によっては明日の朝帰る。さすがに一晩中帰らなきゃ師匠も心配するさ」
「そうだな、そうするか」
ほぼ同時に二匹目のイワナに手を伸ばした二人は、顔を見合わせて頷き合った。

 「なあ、剣心。お前、師匠とどうやって知り合った?」
食後、横になりながら楓は訊いた。自分が弟子入りしたときには既に剣心がいたので、彼女は二人の出会いの経緯を知らない。
「俺は貧しい農民の子で、売られて京都の商家で働くはずだったんだ。で、そこに行く途中に野盗どもに襲われてさ。みんなが庇ってくれたから最後まで生き延びて、いよいよダメかって時に師匠に助けられたんだ」
「──そうだったのか…」
隣で同じように横になっている剣心の、どこか遠い横顔を見やる。
「どうせ親はいないし、その一行のうちで男の子は俺一人だった。本当は敵わないまでも戦って、他のみんなを守ってあげるつもりだったんだ。けど現実には、逆に俺が庇われて──。目の前で優しい人達が殺されていくのを、黙って見ているしかなかった。せめて俺の目の前で人が殺されない程度の力が、欲しかったんだ」
「だから、師匠に飛天御剣流を習ったのか」
少し沈黙した後、楓はそう応じた。
「ああ。だけどその時はまさか師匠があんな人間だとは思わなかった」
いきなり剣心の顔が日常に戻る。力を込めて言うには
「陰険なことこの上ないし、暴力教師だし、すぐ人の食事は抜くし。ああ言う人間だと分かってたら、絶対に習ってなかった」
「そりゃそうだ。俺だって絶対習ってない」
楓が真顔で同意する。それから二人は、どちらからともなく眠ってしまった。

 

 夕方、ようやく二日酔いの症状が落ち着いた比古は家から外に出た。バカ弟子二人の姿が見えない。
「あのバカども、どこに行きやがった」
呟いた後、今朝のことを思い出す。おおむね見当がついた。
「俺のいない場所で食事って魂胆か。いい度胸してるじゃねえか」
軽くむっとして呟いた。さてどこだ──と見回すと、山のふもとの沢の近くから煙が上がっている。確かあそこには家もなかったはずだがと不審に思った途端、剣心や楓の声がそこから聞こえたような気がした。
「あのバカ弟子どもが!!! 火の後始末も出来んのか!!?」
全てを悟って、比古は大声で怒鳴り散らした。そして家を離れ、そこに向かう。いくらあの二人の自業自得とは言え、さすがに山火事は気が進まない。
 一方剣心と楓は、既にかなり燃え上がっている炎を前に、沢から水を運んできて消そうと悪戦苦闘していた。原因はイワナを焼いたときの火の消し忘れであるからして、比古が知ったらどうなるかの方が正直言って怖い。
「おい、剣心。どうする、消えねえよ!!」
「んなこと言ってる暇があったら、少しでも水をかける!」
すでに二人とも、かなり沢と炎の間を往復している。沢の方に戻りながら楓は
「分かってるって!! そろそろ何かヤバい予感がするんだよ!!」
剣心とのすれ違いざまにそう言った。そのまま炎に向かって水をかけようとした彼は、反対側から現れた男に気づく。
「よう、バカ弟子。何やってんだ?」
比古がニヤリとして訊く。全てを知りながらとぼけている時の顔だ。

 結局、それから間もなく火は消えたのだが、剣心と楓のやったことも全て比古にばれてしまった。当然のことながら二人は大目玉を食らい、今夜は一晩中家の軒下で立ちっぱなしという新たな罰まで受けることになる。
「あーあ。元はと言えば剣心が悪いんだぜ。心配して覗きに来た俺にいきなり龍翔閃食らわしやがって」
「うるせえなあ。楓が最初から俺の言うこと聞いてれば…」
「それ以上喋ると、明日の朝飯も抜くぞ」
前方を歩く比古に言われ、二人は気のない返事をして黙り込んだ。

 

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