るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 餅つき

 旧暦の十二月二十五日は、ほぼ真冬である。試衛館道場の隅で裸足で稽古をしていた洋子は、足が冷たいのに内心参っていた。
「こら、洋子」
   バキッ!!
呼ぶとほぼ同時に竹刀を頭に叩きつけたのは、言うまでもなく師匠の斎藤だ。
「集中がなっとらん。ったく阿呆が」
「だって、足が冷たいんですよ。半分以上感覚がなくて──」
次の瞬間、斎藤は竹刀の先端で洋子の足を思いっきり押した。「痛っ」という声と共に顔を歪める弟子を見て、彼は鼻で笑うと
「痛みが分かれば正常だ。あと一本やるぞ」
「踏み込みが出来ないじゃないですか! そりゃ痛みは分かりますけど、床踏んでる感覚も曖昧なのに!」
   バシッ!!!
「阿呆。それも稽古のうちだ」
そう言われては逆らえない。不満そうに一息つき、洋子は数歩歩くと間合いを取って身構えた。斎藤は無形の位を取っている。
「──行きます」
言うなり、彼女は突進した。

 実のところ、明日は試衛館の皆で餅つきをやるので稽古はない。斎藤は早めに終わったらやると言っていたが、去年の例からして多分一日中かかるだろう。下準備はお常と近藤の義母のおふでに任せ、洋子は早めに布団の中に潜り込んだ。足が温まらないと眠れないのだ。
「お餅、か……」
旗本時代には結構食べていたような記憶があるが、今は滅多に食べられない。確か八月くらいに収穫祝いで食べさせてもらって、それきりだ。
 ただ洋子は、試衛館に来るまでつきたての餅を食べたことがなかった。旗本の頃はちゃんとしたお菓子や料理になった「お餅」しか食べたことがなく、薬屋では餅自体を口に出来なかったため、原田に誘われてつき上がった餅を冷ましている傍からつまみ食い的に食べた時は、非常に美味かった記憶がある。思い出しただけで、よだれが口の中から出てくるくらいだ。
「楽しみだなあ、お餅」
洋子は、幸せそうな顔で呟いた。

 さて翌日、試衛館では餅つきの準備で大わらわだった。
 ここでは餅は三回に分けてつく。正月に向けて玄関や道場に供える鏡餅をこれで作るのに加え、お雑煮など食用の餅が十数人分いるのだ。しかも半分以上が居候たちの分であり、従って土方や永倉なども手伝うつもりにしていた。
「私も手伝った方がいいんじゃないですか?」
今日は青空が見え、昨日に比べて少し暖かい。原田や藤堂が洗った石臼とそれ用の台を持ってきて、庭で準備しているのを道場前の縁側で見ながら洋子は訊いた。
「阿呆。お前に合い取りは出来ん」
斎藤の返事はにべもない。合い取りとは餅をついている時にさっと手を出してこねる役のことで、確かに難しいのは事実だが、洋子にはその言い方が気に入らなかった。
「他の仕事があるじゃないですか。大体、私は斎藤さんがここにいろって言うからいるだけで、頼まれれば手伝いますよ」
「物を運べもせんくせに、ガキがぎゃあぎゃあ言うな、阿呆」
視線の先で、沖田が井戸で洗った杵を持って歩いて行っている。まだ準備段階なので物を運ぶ仕事が多く、非力な洋子ではかえって邪魔になるという斎藤の判断だった。餅米を蒸かす仕事もあるが、何しろ彼女は料理を一回も作ったことがない。
「まあ、餅をついた後の仕事もあるし、今のうちにゆっくりしてた方がいい」
二人の背後から、山南が言った。彼自身も、つき上がった餅を冷ましたり適当な大きさに丸めたりするための、低い台を運んでいる。更に三人の傍を、永倉が同じ台を持って通り過ぎた。
「特に天木君には、餅を冷ます役を頼もうか。済んだら丸める方に加わってもらって」
「はい、そうします」
洋子の頭を撫でておいて、山南は斎藤の方をちらっと見た。そして、そのまま歩いて横を通り過ぎながら
「監視役、ありがとう」
囁くように言い、軽く会釈した。

 そうこうしているうちに、蒸かしの終わった餅米がせいろごと運ばれてきた。手順としては、臼に移してまず細かく叩く。米の粒々がなくなってまとまってきたら、餅つきに入るのだ。せいろから移された餅米を見て、近藤が立ち上がって杵を手に取った時、土方がやって来て
「俺が代わりにやろうか? 後でつく方が大変だろう」
「いや、大丈夫だ。それに皆が働いてるのを見たら、体を動かしたくなってきた」
応じて笑う。仕方ねえなと土方は苦笑し、取りあえず引き下がった。
 近藤が叩いている餅米を、井上が時々飛び散らないようにまとめる。そのうちお常が庭に出て来た。
「向こうの方は大丈夫なのか、お常」
「はい。義母上と沖田さんがいますから。──井上さん、交代しましょうか?」
「いえいえ、大丈夫ですよ。もう少しで終わりますから、お常さんは合い取りの方をお願いします」
井上はそう言った。実際、餅米の粒々はかなりなくなっている。
「そうですか、じゃあちょっと準備してきます」
お常は、素直にいったん自室に戻った。

 そして少し経った後、いよいよ餅をつく作業が始まる。引き続き近藤が杵を持ち、合い取りはお常だ。ドン、ドンという音が庭に響く。
 「あ、もう始まってますね」
厨房から出て来た沖田が声を出した。土方が振り返って
「そっちはいいのか?」
「井上さんがこっちに来たから、僕が代わりに出て来たんです」
応じつつ、洋子たちの方に歩いてくる。そして斎藤の傍に立つと
「洋子さん、今日はずっと見学ですか?」
「今のところはな。後で山南さんの方を手伝うことになってはいるが」
「そうですか」
座って見ている少女に、視線を落とす。本人は手で餅つきの真似ごとをしていた。微笑ましくなった沖田は、屈んで視線の高さを合わせると
「楽しい? 洋子さん」
「楽しいというか、凄いなあと。あれだけ何度もやってて、一度もお常さんの手をつかないなんて」
「確かに、あの息の合い方は凄いね」
毎年のことながら、沖田も素直に感心していた。そして彼は斎藤の方に、意味ありげな視線を向ける。簾のように前髪のかかった顔を微妙にそらすと
「言っとくが、こいつに合い取りは無理だぞ」
「分かってます」
万が一のことを考えると、彼女に危ない真似はさせられないことも。
 ただ、あそこまで息が合いそうなのは、他にこの二人しかいないだろう。本人たちは──特に洋子の方は否定するだろうが、何となく沖田にはそんな気がしていた。

 餅がかなりそれらしくなってきた頃、近藤の杵を振り下ろす勢いが落ちてきていることに気づいた土方が、傍に近づいて訊いた。
「ちょっと代わるか? 疲れたろう」
「いや、まだ大丈夫だ」
真冬にも関わらず額に浮き出た汗を片手の袖で拭いながら、近藤は応じる。
「そうは言っても、まだ次がある。ちょっとは休め」
半ば強制的に杵を取り上げた土方は、脇で様子を見守っているお常に
「お常さんも大変でしょう。何でしたら総司辺りに」
「いえ、私はまだ大丈夫です。そんなに時間経ってませんから」
「そうですか。では取りあえず、これがつき上がるまで」
と言って、杵を振り上げた。そして振り下ろそうとしたとき──
「おおっと」
ヒヤリとして杵を止める。餅をこねているお常の手をつきそうになったのだ。それを見ていた近藤が
「そういう時は声をかけるものだぞ、歳」
顔はニヤッと笑っている。土方はバカにされた気分になって
「自分は声かけてなかっただろうが」
「俺とお常は夫婦だからな。声などなくても分かるものだ」
土方は「ふん」と鼻で応じたが、傍らのお常を見やると低い声で
「それっ」
振り下ろすと同時に声を出した。三回目くらいから原田が声かけに加わる。
 それでも十回に一回はずれて、すんでの所で杵を止めることになる。それが数度繰り返された時、見かねた沖田が
「土方さん、ダメだなあ。僕がお常さんの代わりにやりましょうか?」
「うるさい。だったらお前がついてみろ」
「そういう意味でなくて、お常さんが危ないから言ってるんです。ねえ」
中腰姿勢のお常に同意を求める。彼女は曖昧な笑みを浮かべて、近藤の方を見やった。
「お常も少し休むか。総司、代わりを頼む」
その声で決まりだった。いささか不満そうな土方だったが、取りあえず沖田を相手に餅つきを再開する。

 合い取りをやって沖田が驚いたのは、土方が杵を振り下ろす間隔の短さだった。一応声かけはしているのだが、振り上げてすぐ振り下ろすのでこねている時間が余りない。たまに臼の反対側まで手を伸ばそうとすると、手を引くのが間に合わないのだ。
「土方さん、つくのが速すぎますよ。僕はあんまりやったことないんだから、もう少し──うわっ」
餅をこねていた手を、慌てて引っ込める。杵がその前を通り過ぎて餅をついた。
「今のはわざとやったでしょう、土方さん。怒りますよ」
土方は顔をそらしてとぼけている。沖田はますます腹を立てて
「土方さん、いい加減にしないと」
「おーい、歳。交代だ」
そこに近藤が声をかけた。沖田は気勢をそがれるが、お常が戻って来る気配もないのでそのまま合い取りを続けることにする。背後からは洋子の「沖田さん、頑張れー」という声が聞こえた。

 「ほとんど出来上がってるじゃないか。歳、疲れたろう」
戻ってきた近藤は、臼の中を見てそう言った。実際、かなり餅らしくなっている。杵を取り、軽く水につけると
「総司、いいか?」
沖田は頷いた。近藤が杵を振り下ろし、再び振り上げたところにさっと右手を伸ばす。軽くこねて手を引いたが、一呼吸置いても何もない。
「──?」
思わず近藤の方を見上げた瞬間、杵が眼前を通り過ぎた。ひやっとして一瞬手が止まった沖田に
「驚かせたか、すまん」
「いえ、いいんです。続けて下さい」
両手で餅をこねながら応じた。彼が手を引いたのを見て、近藤は再び杵を振り下ろす。

 それから間もなく、第一陣の餅がつき上がった。臼から取り出し、白い粉をひいた台に乗せて道場の奥まで運ぶ。細かい作業はここですることになっていた。
「洋子さん、仕事だよ」
「あ、はい」
山南に呼ばれて道場の奥に入る。それと入れ違いで、沖田が斎藤の傍に来た。庭では井上が新たに持ってきた餅米を、今度は藤堂と原田で細かく叩きながらまとめている。
「近藤さんはちょっとつくのが遅いんですよ、僕の速さだと。だから返って、お常さんにはちょうどいいんでしょうね」
「──そうか」
それだけ応じた斎藤に、沖田は庭を見ながら時折横目を使っている。
「沖田君は、さっきから何か言いたいようだが」
「洋子さんと斎藤さんで、一度餅つきやってみたらいいのに」
「断る」
即答した。沖田は苦笑混じりに、うちわで餅をあおいでいる洋子を見やる。

 

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