るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 紅葉狩り

 「洋子さん、早く早く!」
「お夢、そんなに走らないの。後で絶対疲れるに決まってるんだから」
先に行きがちなお夢を、洋子がたしなめている。
 慶応元年(1865年)神無月、山の木々が色づいている頃だった。

 奈良出張から帰り、残務処理の済んだ洋子たち三番隊の隊士は、幾らかの手当と共に数日ほど休暇を貰っていた。そこで洋子は、お夢が前から行きたいと言っていた大原に行くことにしたのである。今なら紅葉も綺麗な頃だろう。
 大原そのものは、山間の比較的小さな集落である。京都からは細い道で繋がっており、この時期は紅葉を見に来るのか、案外人が歩いていた。
「すみません、寂光院ってどこですか」
そろそろかなと思いつつ、歩いてくる人に訊く。
「ああ、少し行って左に入った奥のところだよ。ついでに言うと、その角を真っ直ぐ行くと三千院だ」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
頭を下げてそのまま歩いていく。お夢は傍で並んで歩いていた。

 寂光院への階段は、子供が上るにはちょっときつい。洋子はお夢に手を添えてやった。
「ふう、はあ…どうも」
上りきったお夢を見届けてから、洋子は振り向いて寂光院の建物を見た。
 背景の紅葉と本堂が見事に調和して、浮世絵のように美しい。息を飲んだ洋子の傍で、お夢が「綺麗──」と呟く声が聞こえた。そのまま数秒立ちつくしていると、強風が吹き抜ける。色づいた葉が新たに木の枝を離れて舞い、うちの一枚がお夢の頬に張り付いた。
「ついてるわよ、ほら」
「うわー、綺麗!」
お夢が叫んだのも無理はない。見事なまでに紅く色づいた紅葉だった。
「これ、持って帰っていいですか?」
「もちろんいいわよ。あ、ちょっと待ってね」
洋子はそう言って懐から紙と筆を取り出し、何事か書きつけた。
「何書いてるんですか?」
「俳諧よ、俳諧。和歌は決まり事多くてね」
 もみじ葉の 風に離れて 頬につく

 それから寂光院の本殿まで、二人で歩いた。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、か」
平家物語の冒頭を暗唱し、思ったより小さな建物を見やる。
 建礼門院も、時の最高権力者の娘として一時は絶頂を極めたはずなのだ。それが平家一門の衰亡で、こういう山奥に住むことになる。一門とともに死を迎えるはずが、彼女だけは助けられて生き延びた。──死のうとか、考えなかったんだろうか。
 私だったら自殺してるな、と洋子は思った。武器は取り上げられたとしても、人間は食べなければいずれは死ぬ。食べずに餓死する、という死に方もあるのだ。──そう言えば昔、そうやって死のうとしたっけ。
 まだ試衛館に来る前の薬屋だったか、それより前の英集会だったか。試衛館後でないことだけは確かだが、記憶が曖昧で思い出せない。かなり思い詰めていたはずなのに…
「洋子さん、何ぼけっとしてるんですか?」
お夢に声をかけられ、我に返った。
「あ、ううん。何でもない。奥の方見に行こうか」
奥の方が紅葉は綺麗である。先に行くお夢を気配で感じつつ、洋子は振り返った。
「──従兄弟と同程度、ってことか」

 三千院の門前に、茶屋がある。ちょうど昼飯時でもあり、洋子たちはそこで食事を食べることにした。店の奥の座敷に腰を下ろし、ふと周りの客を見回したところ
「────!」
緋村剣心、またの名を緋村抜刀斎という男が、店の隅で座っているのを見た。

 十字傷こそ隠しているが、紛れもない剣心である。先方も気づいたらしく、こちらを向いて互いを見据えた。一瞬刀に手をかけた洋子だったが、相手はすっと服の袖を引いた。露わになった腕に、包帯が広い範囲で巻かれている。負傷中であり、戦う気はないということらしい。
「──」
洋子は取りあえず、刀から手を離した。すると剣心は
「やあ、久し振りだね」
と言いつつ、何を思い立ったかこちらに歩いてくる。思わず緊張する洋子に、お夢が
「お知り合いですか?」
「──まあ、そんなところかな。昔の修行仲間だ」
剣心の方が答えた。洋子は無言のまま、相手を見据えている。
「ところで、三千院には行ったのかい?」
「──まだだけど」
素っ気ない口調で応じる洋子に、剣心は腰を下ろして
「じゃあ、一緒に行こうか。俺もまだだし」
がたっ、と音がする。思わず大声を出しそうになった目の前の少女の膝を、彼は机の下から思いっきりつねっていた。顔をしかめて小声で
「何で私があんたなんかと一緒に行かないといけないんだ? 冗談じゃない」
「いいじゃないか。俺は療養中の武士、君は子供連れの参拝客。第一、制服着てなきゃ君が誰かなんて絶対に分からない」
「──」
確かに。むしろ気づかせないために私服で来たのである。
「大丈夫だよ。少し離れてるから」
「──勝手にしたら」
やれやれ、と洋子はため息をついた。

 食事の後、三千院の階段を上って歩いていく。下駄や草履は脱いで室内に上がり、他の客に混じって三人は進んでいった。
 本尊以外にもところどころに仏像があり、三人でお参りするのだが、洋子は自分が終わっても他の二人が何故か真面目に祈り続けているので席を立つわけにも行かず、少々苛立ち始めていた。幾つ目かの仏像の後で
「お夢、随分長い間祈ってるけど、何祈ってるの?」
「何って、死んだ両親の冥福です。洋子さんもそうじゃないんですか?」
「えっ…?」
洋子は、虚を突かれた様子で戸惑っていた。
「──まあ、祈る内容は人それぞれだが」
そこに、剣心が脇を通り過ぎながら言う。咄嗟に彼女は、以前桂に聞いた剣心の妻とその婚約者に関する話を思い出した。
『──そっか…』
この手で人を斬ったからとて、祈るような人間は新撰組にはまずいない。部下や同僚である隊士が死んでも、葬儀の後まで墓参りや供養に行く人間もほとんどいない。そんな中で過ごしてきた洋子には、自分もそうあるのが当たり前になっていた。普通ならば、もう少し祈ったり仏壇に参ったりするものらしい。
『けど…相手もいないのに祈れって言われてもね…』
敵との戦いにおいて、頼るは剣のみである。また彼女にとって両親は既に、冥福を祈る相手ではなくなっていた。大体両親に関しては葬式にも参加しておらず、まして墓参りなどしたこともない。数年前には風邪にかこつけて私を殺そうとしたのかも知れないという話さえある。祈るには、生みの親は余りにも遠い存在だった。
 ため息をついて、廊下を曲がる。そこは縁側から庭が見え、その庭には地面一杯に紅葉が散らばっていた。見る間にも一枚、また一枚と舞い落ちてくる。
「綺麗──」
「座って見る?」
剣心が言った。洋子が躊躇っている間にも、お夢がさっさと赤い布の引いてある所に腰を下ろしてしまう。もう、と唇を尖らせる洋子に
「少しのんびりしようか。この様子だと、よそ見回ってる余裕もなさそうだし」
「あんたに指示されたくない」
ぶっきらぼうに言って、顔を背ける。庭が目に入り、二人はしばらく無言で紅葉やその他の色づいた葉を見つめていた。

 「柴漬けなんていつでも買えるでしょうに、何で人に頼むんだか」
帰り道の途中でおみやげに柴漬けを買いながら、洋子はぼやいた。──問題は頼んでない斎藤さんにも買っていくかどうかなんだけど、と内心呟く。買っても買わなくても、皮肉を言われそうな気がする。だったら買わない方がいいかとも思うが、斎藤はともかくお妙は喜ぶだろう。──お夢に頼んで、お妙さんに直接渡すか?
 そうしようと洋子は決め、他にも何だかんだで漬け物を入れた箱が二桁になってしまった。剣心が覗き込んで
「重そうだね。持とうか?」
「あんたに持って貰わなくても大丈夫。大体なんでついて来るのかなあ」
「帰り道が一緒だから。それはそうとあの子は?」
「もうすぐ追いついてくるって。──ほら来た」
お夢が下り坂を歩いてくる。やや疲れた顔で
「もう少しゆっくり歩いて下さいよ。二人とも足速いんですから」
文句を言いつつ、洋子が大きな風呂敷に包んで貰っている途中で追いついた。
「ああ、済まない。もう少しゆっくり行こうか」
剣心が言う。洋子は不機嫌そうに、きつめの口調で
「何でもいいけどさ、もしばれたらどうする気?」
「ごまかすさ。知らぬ存ぜぬ、あかの他人だと思ってました──って」
「それで通用すると思う?」
「やけに心配性だな、君は」
彼は苦笑混じりに言った。そして
「大体、さっきからそういう気配がないことくらい分かるだろう。心配ご無用」
「そりゃそうだけどさ、──」
不満はあるのだが言葉にならない。それを隠すように、洋子はぷいと横を見て歩き出した。お夢と剣心が顔を見合わせて、どちらからともなくくすっと笑った。

 ほとんど一本道となっている下り坂を下りても相変わらずついてくる相手を振り切ろうとして、洋子は歩く速度を上げた。だがその相手も、全く変わらぬ距離でついてくる。山道に入ろうかと思った瞬間
「──連れの子供はいいのかい?」
声をかけられ、はっとなって思い出す。振り返ると遙か後方にお夢がしゃがみ込んでいた。不安になって駆け戻り、目の前で声をかける。
「大丈夫、お夢。どうかしたの?」
「足が痛くて、歩けないんです…」
下を向いたまま、疲れ切った声で応じる。洋子は一瞬後
「足が痛くて歩けないって、血豆か何か出来てるの?」
「いいえ、ただその…足の裏からすねの付近が…」
どうやらただの疲労らしい。洋子は苛ついた声で
「だから言ったでしょう、疲れるって。人の言うことちゃんと聞かないから」
知らない、と言おうとしたのを剣心が制した。そしてお夢の前ですっと屈んでみせる。負ぶされ、ということらしい。
「ちょっとあんた──」
「いいのさ。──お夢殿、どうぞ」
お夢は素直に、剣心におぶさった。洋子が呆れと戸惑いの混じった表情で、剣心を見やる。そして怒ったような口調で
「知らないからね、何があっても」
「いいよ。町に着く前までなら、ばれないだろうし」
そう言って歩き出す。洋子はやや離れた後方を、一人で歩いていった。

 

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