るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 大掃除

 「掃除しろって言われても、別に汚れてないのになあ」
やれやれ、と洋子は息をついた。年の瀬のある日のことだ。
「大体普段、私はここにほとんどいないんだから。汚れようがないって」
それにそもそも、彼女の部屋にはほとんど調度らしいものがない。たまに山南が貸してくれる本を読んだり手紙を書いたりするための座卓が一つ、これも普段は部屋の隅の壁に立てかけているし、衣服も数えるほどしか持っていないため押入の中にある行李一つで十分間に合う。あと半畳ほどの床の間に刀を置くための刀掛けが一基。土方さん並みの殺風景さだな、と沖田は言うが、凝ろうにも洋子はこの部屋には『寝るためだけに帰ってくる』ようなものなので、仕方ないのだ。
 また息をつき、障子を取り外して壁にかけておく。こうしておけば、後で誰かが庭に運ぶだろう。試衛館のように家族以外の同居人が多数いるところでは、井戸の傍の庭でまとめてやるのが通例だった。
 手短に済ませてのんびりしよう、と思った途端、その場に風が吹いた。次の瞬間、洋子は思いっきりくしゃみをする。
「──風邪引いたかな」
だったら尚更早めに済ませよう、と思いつつ、洋子はほうきを持って部屋の中に入った。

 ざっざっ、クシュン。ざっざっざっ、クシュン。
「なんか鼻の様子がおかしいな、さっきから」
熱もないし、喉も正常である。洋子は首を傾げていた。
「どうも、このほうき使ってはわいてるとくしゃみするみたいなのよね。ほうきが悪いのかしら」
そう思ってほうきをひっくり返し、先端の方を見やる。別に変わったところはない。
「変なの。何でこんなにくしゃみが──」
「洋子さん、大丈夫?」
くしゃみの音を聞きつけたらしく、沖田が姿を見せた。

 「沖田さん、私どうもさっきからくしゃみばっかり出るんですよ、急に」
「そう? 風邪引いたのかな?」
沖田は洋子の額に手を当てた。別に熱はない。
「──大丈夫みたいだけどね。それにしてもこの部屋、埃っぽいなあ」
「埃っぽい? そうですか?」
言われて試しに口で息をした途端、洋子は数度咳き込んだ。
「大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です…。それにしても、確かにかなり──」
空気自体が埃っぽい。普段はこうまでひどくないのに、と洋子は呟いた。そこに沖田が
「この部屋、普段掃除してないでしょう?」
「だって、掃除するほど使ってないですもん」
「それでも、布団の上げ下げとか着替えとかするでしょう。その繰り返しで結構埃とかたまるんだから。例えば──ほら」
そう言って沖田がつまんで見せたのは、部屋の隅に落ちていた親指大の綿埃である。
「こんなのがあちこちに落ちてるんだよ。前に原田さんたちとこの部屋掃除したときもひどかったけど、今日はそれにもましてひどいなあ」
確かに部屋の隅を見れば一目瞭然、普段開け閉めしないところや六畳間の四隅には、大きな綿埃の塊がある。普段はそちらに全く目が行かないので、気づかなかったのだ。
「それに天袋も、ホラ。ちょっと触っただけで埃が出る」
そう言って、沖田は天袋の戸の付近に軽く触れ、指についている埃を洋子に見せる。非難されていると感じた彼女は、幾分か不満の混じった声で応じた。
「──仕方ないじゃないですか。ここにはほとんど寝に帰ってくるだけなんですから」
斎藤がいないときでも、稽古自体から解放されるわけではない。きつさではそれなりに違いがあるものの、いずれにしても掃除するほど精神的・肉体的余裕はない。
「それはそうだろうけど、だったら尚更今日は頑張って掃除しないと。刀や刀掛けにまで埃被らせてどうするんだい」
「──はーい」
不承不承、といった感じで、洋子は応じた。その様子を見て沖田は
「って言っても、僕らの部屋もそんなに綺麗じゃないんだけどね。押入の中とかはひょっとしたら洋子さんの方が綺麗かも知れない。──だけどね、刀に埃被らせたらダメだよ。鞘からして立派そうな刀じゃない。ちゃんと周りの掃除もしないと」
「──はーい」
答えた声が、複雑な響きを帯びている。沖田は微笑して言った。
「ゴメン、ちょっと言いすぎたかな。でもとにかく今日は大掃除の日なんだから、普段出来ない掃除もやること。いいね?」
「分かりました」

 沖田が戻った後、くしゃみを連発しながら取りあえず部屋から埃を出しきった。押入も掃除すること、と言われたので洋子は押入を開けて中の布団と行李を出す。
「──と、例の袋は…あった」
小さな袋を、押入の奥の方に見つけて一息つく。これさえあれば、もし斎藤に破門されても当面食うに困ることはない。改めて隅の方に隠すように置いた。
 それから中の綿埃を出す。ほうきを押入の中に入れた彼女は、何の気なしにその天井の方を見た。大きなクモが、更に大きなクモの巣を作っている。
 叫び声を上げそうになったのを必死で押さえ、洋子は見なかったことにしようと視線を逸らした。だが一度見てしまったものはどうしても気にかかり、掃除に集中できない。どうにもやりようがなくなって、洋子は掃除を中断すると押入そのものから背を向け、襖を後ろ手でバタン! と閉めた。
「取りあえずここは終わったことにして、刀掛けでも拭いてよう」
さっき床の間の床をはわいた時、妙なのがいないのは確認していた。

 その刀掛けは、無論洋子の持ち物ではない。蔵にあったのかどこかから貰ってきたのか、彼女がここに正式にいることになってから数日のうちに、沖田がこの部屋に持ってきてくれた。木製だが彫刻もついており、この道場の規模からすれば立派なものだ。
 刀を外して床に置こうと、何の気なしにそれを手に取った。次の瞬間、何故か今までのことが急に走馬灯のように思い出されてくる。
「──何で、私はここにいるんだろう」
英集会の連中と話はつけたと、沖田はあの時言った。そして実際、荷物を受け取りに行ったときも、薬屋の人々は誰も何も言わなかった。約一年前のことだ。
 それから一年。何のかんの言いつつ言われつつ、私はここにいる。そう、どこにも行かずに。苛めなのか稽古なのか分からぬものを受けつつ、毎日を必死で過ごしてきた、その理由は何だろう?
「──いつ死んでも、いついなくなっても、いいんだよね。私の場合」
所詮、そんな存在にしか過ぎないのだ。

 「洋子さん、ちゃんとやれてる?」
そこに声がした。はっとなって振り返ると沖田がいる。
「あんまりにも静かだから、どうかしたのかと思って。そっちの方掃除してたんだね」
彼は近づいてきて微笑した。そして傍に立ち
「この布団、上げとくよ」
「ああ、はい。どうも──あ!」
洋子はいきなり声をあげた。どうしたのかと訝る沖田に
「クモがいるんですよ、クモが。押入の中に」
と、焦ったような早い口調で言う。そうかと思えば布団を持った沖田の背後にぴったりくっついて、決して自分から押入を開けようとはしない。ははあ、と見当のついた沖田は布団をその場に置いて押入を開け、内部を見回しつつ
「ダメだよ、虫くらい慣れないと。──これ?」
「ああ、はい──キャアアアアッ!!!」
いきなりクモの現物を目の前に突きつけられ、洋子は絶叫しつつ全速力でその場から逃げ出した。その余りの慌てぶりに、沖田が爆笑する。
「ひどいですよ沖田さん。人をからかって遊ぶなんて!」
縁側まで飛び出した洋子は、そこから相手を非難した。
「ゴメンゴメン、そんなに慌てるとは思ってなかったんだ」
笑いをこらえながら、沖田は応じた。クモをつまんだまま縁側まで来るので、洋子は思わず後ずさりする。
「これは僕が処分するから、取りあえず掃除の続き頑張ってね」
「──はい」
その声に頷き、洋子は部屋の中に戻る。それを見送り、背を向けて数歩歩き出した途端、彼は声を殺しつつ肩を震わせて笑い出した。

 結局、一刻(二時間)ほどで一通りの掃除を済ませた彼女は、少し休憩するつもりで部屋を出た。途中の井戸端で五、六人ほどが集まって何かしているのが見えたが、そこに斎藤の姿がない。訝って訊いてみた。
「斎藤さんは?」
「買い物行ってるよ。近藤さんの付き添いで」
お常はおせち料理を作っているので買い物に行けず、代わりに近藤が買い出しに行くことになったのだが、何しろ十人以上分の食事その他正月用品である。いくら近藤でも一人で持てないだろうというので、毎年誰かついて行っているのだった。
 その説明には納得したものの、今度は作業のとろさが気になった。
「──何やってるんですか、そこで五、六人も固まって」
「何って、障子の張り替えだよ」
洋子は呆れた。確実に二桁の下男や侍女を雇っていた畠山家でさえ、こういう時一つの作業には二、三人しか割り当てないものなのに。
「そんなの二人か、せいぜい三人もいれば十分でしょう。残る人たちで廊下のほうきと雑巾がけでもやってれば能率上がると思いますけど」
「それはそれで、後でまとめてやるから」
「でもそれだと、ほうきと雑巾が完全に同時進行ってことになりますよね。はわいて汚れ取った後で雑巾がけした方が、遙かに綺麗になると思いますけど」
「────」
咄嗟に反論できるような人間は、斎藤不在のその場にはいなかった。
「とにかく、要領悪いのは一目見ただけで分かります。取りあえずそっちで役割分担決めてくださいね。誰がはたきで誰がほうきで誰が雑巾か、程度は」
「──って、おい」
「いいから早くして下さい。時間の無駄ですよ!!」
ドン!! と持っていたほうきで床を強く打った洋子に、弾かれたようになってそそくさと男たちは割り当てを決めた。藤堂と原田がその場に残って障子貼り続行、沖田がほうきで井上がはたき、永倉と山南が雑巾がけといった役回りである。
「──と、時に土方さんは?」
「多摩の方。実家とか佐藤さんとことかで、正月用の穀物貰ってくるんだって」
沖田が応じた。そう言えば今朝そんなこと言ってたっけ、と思いだした洋子は
「じゃ、これで全員いますね。取りあえず井上さんは端っこから順番にはたいてって下さい。沖田さんははたかれたのも床のゴミと一緒にはわいて、その後を山南さんと永倉さんが雑巾がけする、と。じゃあお願いします」
「お願いしますって、洋子さんは何かやるの?」
「仕事が遅れないように、見回ってますよ」
平然と言い切る。顔を見合わせた四人を知ってか知らずか
「それに、予備の人手の一人くらいは必要でしょう。途中で足りなくなったもの買ってきたり、ちょっとした物を動かしたりする人間が」
「──ま、確かにそうなんだけど」
沖田が苦笑混じりに応じた。どうやら怠けたいと言うより仕切りたいらしい。
「原田さんたちの方は取りあえず大丈夫だろうから、君はこっちにいて。多分物を動かすのは僕らの方だろうから」
「はい、分かりました」
沖田の言うことだけは素直に聞く、洋子だった。

 「井上さん、端っこの方、ゴミ残ってますよ」
「ああ、すまんすまん。ちょっと見えにくくてな」
洋子が細々と注意して回っている。あれから少したって昼食になり、今は更にその後なのだ。その背後では、永倉と沖田が小声で話し合っていた。
「──何なんだ、あの洋子の変貌ぶりは」
「さあ…。どうも僕らが遅くて要領が悪いのに耐えられないみたいですよ」
沖田が軽い苦笑混じりの表情で応じた。永倉は続けて
「と言ってもだ、あいつ自分の部屋ろくそっぽ掃除してないんだろ?」
「してないと言うより、出来ないんですよ。あの子の認識だと多分」
「──斎藤君のせいでか」
「ホラ、沖田さんと永倉さん! 喋ってる暇あったら掃除の続きして下さい!!」
そこに話題の主の大声が聞こえた。弾かれたように二人は、それぞれの場所で掃除を再開する。やや離れた場所で雑巾をかけつつ、山南は内心呟いた。
『生まれは争えないな、これは』

 夕方より少し前、近藤たちが帰ってきた。
「おう、意外と早く終わってるな。ご苦労ご苦労」
全体的に見て、八割方終わったというところだろう。障子の張り替えは完全に終わっていた。荷物を置いて中庭まで来た斎藤の耳に、洋子の大声が響く。
「──何だ、あの阿呆の叫び声は」
「掃除終わりですよ、この辺は。洋子さん、今日は八面六臂のご活躍で」
沖田の台詞に、ふん、と斎藤は応じた。そして彼女に音もなく接近し、その頭をボカッと叩くと
「掃除が早く終わったんなら、稽古始めるぞ、おい」
「へ!?」
しまった──! と洋子は思った。だが取りあえず、掃除がまだ完全には終わってなかったことを思い出して応じる。
「あ、でも私、仕事がありますし、まだ部屋の掃除も──」
「阿呆。そんなもんせんでも死にやせん」
「それを言うなら、一日くらい稽古しなくても死なないと思いますけど」
   バゴッ!!!
「ったく、何が八面六臂だ。どうせ掃除するほどでもなかろうが」
気絶した洋子を引きずりつつ、斎藤はそう言った。

 

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