るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 走馬灯

 ある日の昼過ぎ、これから市中巡察に行こうというとき。廊下を歩いていた洋子は前方から歩いてくる身なりの立派な武士とすれ違った。
 黙って軽く会釈するが、先方は気づかなかったのか正面を向いたまま通り過ぎていく。会津藩士なら普通はこちらと同じように会釈するので、彼女は誰だろうと首を傾げつつ角を曲がった。見習い隊士の一人が奥に向かって歩いているのを発見し、呼び止める。
「今の人、誰?」
「い、今の人って──」
いきなり師範代に呼び止められ、その隊士は少々びくついていた。洋子は苦笑し
「いえね、今そこで身なりの立派な武士とすれ違ったんだけど」
「──ああ、桂木殿ですか。見廻組の──何と言ったか、とにかく中堅幹部ですよ」
「見廻組?」
「ええ。打ち合わせだそうです」
でも彼らはほとんど仕事してませんからね、とその隊士は言ったが、彼女はそんな話など耳に入らない様子で歩いていった。

 京都見廻組。
 旗本の二男・三男が中心になって構成された、幕府直属の治安維持部隊であり、新撰組のような会津藩御預の浪士組とは格が違う──はずであるが、彼らのほとんどは無為徒食しており、ものの役に立っていないのが実状である。
「旗本、か…」
洋子はそう呟いた。そう言えばみんな、どうしてるかなあ。
『──百人一首が得意だった彰子さん、古今和歌集みんな覚えるって言ってたけどちゃんと覚えたんだろうか。それと傍付きのお菊さん、私がいなくなった後どうしてるんだろう。もう結婚して、子供生んでる人もいるだろうな──』
   バキッ!!!
「阿呆。何ぼけーっとしてやがるんだ」
「──いっった──! 何するんですか、いきなり」
「貴様が呆けてるからだ。巡察中だぞ、ったく」
この阿呆が、と付け加えておいて、斎藤はまた常の表情で歩いていく。
「見廻組の人が来たらしいですね」
「らしいな。──だからどうした」
「だからどうしたって、その…。詳しい話聞いてないんですか?」
「たった一刻(二時間)前のことだぞ。同席してもないのに話が分かるか」
言われてみれば確かにその通りである。帰る頃には色々噂が出ているのだろうが──。
「とにかくボーっとするな。分かったか」
「はーい」
ふう、と息をついて、やや気を引き締めながら洋子は歩いていった。

 そう言えば、昔は町中を歩くこともなかった。屋敷の外に出ること自体が多くなかったし、たまに出るときも籠に乗っての移動だった。外は汚くて危険だと義理の母に言われ続けていたので、それほど出てみたいとも思わなかったのだが。
『勉強とか琴の練習とか習字とか、やることは色々あったからねえ、あの頃も』
思い出すうちに、自然と琴を弾く手つきになる。軽くつま弾くような感じで指が動いた。
『昔取った杵柄というか、こういうのは結構覚えてるのね』
試衛館に来てからというもの、琴など弾いたこともない。自分でも意外だった。
『一曲弾いてみたいなあ、今度いつか』
多分物凄く下手になってるだろうけど、と内心付け加える。葵屋にでも行って弾かせて貰うか、他に持ってそうな家もないし──。
 それにしても、と洋子は思う。昔は誰かと喧嘩した記憶がない。畠山家ではたった一人のお姫様だったから多少の我が儘は叶えて貰えたし、かと言って何かで駄々をこねた記憶もない。義理の母の言うことにもちゃんと従っていたから、内心で嫌っていた節はあるものの表向きは虐められたりしなかった。
 そんな中で毎日決まった日課をきちんとこなし、それで特に不満もなかったのだ。優秀だったかどうかまではよく分からないが、人並み程度のことは出来ただろうし、担当の教師たちに叱られた記憶もない。ましてや師匠に盾突いてぶっ叩かれるなど──
「チッ、外したか」
「──さっきから何するんですか、斎藤さんは。私は正気です」
背後から気配を感じ、振りおろされるものを紙一重でかわすと、洋子は相手を見上げた。
「だったら手は下げるか刀に添えるかしろ。琴を弾く真似なんざするな」
「真似くらいしてもいいじゃないですか! 誰にも迷惑かけてないですし!」
「阿呆。だったら俺に来させるな」
「それは余計なお世話というやつです!」
洋子としては殴られるのを覚悟の上で言った台詞なのだが、斎藤は
「余計なお世話、か。──ならついでに言わせて貰うが」
「はい?」
「さっきからあの世に魂が行ってるようにしか見えんぞ、お前は」
言われた側は虚を突かれた様子だったが、少し経って
「──あの世って…。ちょっと昔のこと思い出してただけなんですけど」
「何度も言うが、今は巡察中だ。気の緩みが命取りになる」
「はーい」
何だってこの阿呆は、いきなり昔のことを思い出すんだ、と斎藤は思っていた。

 ある日のこと、畠山静は、厨房にひょっこり顔を出した。
「──まあ、静さま!」
中年の女中が気づいた。静はニコッと笑って
「母上は?」
「ああ、お芳さんですね。ちょっと──」
残る一人に指示して土間に行かせる。程なく三十行くか行かないかの女性が姿を見せた。
「お久しぶりです、母上。遊びに来ました」
久しぶりに見る実の母である。静は、嬉しそうに頭をぺこっと下げた。

 厨房傍の配膳室の一角で、取りあえず出された茶を飲む。
「お勉強は如何なさいました?」
「今日は先生がいらっしゃらないから、大丈夫です」
「そうですか。でも、予習と復習はちゃんとなさらないと駄目ですよ。あなたはこの家を継ぐ身なのですからね」
「分かっています。心配なさらないでください、母上」
それから少しの間、雑談になる。主に静が喋るのをお芳が聞いているのだが、話が一段落した後でお芳は言った。
「それはそうと、奥方さまの仰ることはちゃんと聞いていますか?」
「はい。大丈夫です」
「それなら宜しいのですが。くれぐれも我が儘を申し上げて、ご迷惑をおかけしないようになさいませ。あなたがここにこうしていられるのも、奥方さまのお陰なのですよ。奥方さまがあなたを引き取って構わないと仰られたからこそ、こうして暮らしていられるのですから。忘れないようになさいね」
「はい。分かっています」
重ねて言われたが、静は素直に頷いた。そこに
「ああ、静さま。こちらにおいででしたか」
と、お菊が姿を見せた。義理の母が選んだ乳母の子である。
「奥方さまがお呼びですよ」
「え、でも今日は──」
「行ってらっしゃいませ、静さま」
お芳が横から言った。
「お菊殿がこちらにいらしたと言うことは、とても重要な用件なのでしょう。私とはいつでも会えますから、奥方さまの所にいらして下さい」
「──でも──」
いつでも会えると口では言っても、実際には半月以上会えないのだ。毎日何かしら用事があって、時間が空くのに半月以上かかる。
「私のことより奥方さまのことを優先なさって下さい、静さま」
「──分かりました。母上、ではまた今度」
頭を下げた後、お菊の後について静はそこを出た。

 よく考えたら昔は素直だったわね、と洋子は思う。というか従順だった。逆らうことを知らない、と言えばいいだろうか。──こうなったのは結局斎藤が悪いのだ、全て。
 そこに遠くから、若い女の悲鳴が聞こえた。
「どこだ!?」
周りを見回すが、それらしい姿はない。探索のため、平隊士は周囲に散った。
「──行って来い。お前に任せる」
斎藤が洋子にそう、小声で言った。返答はなく、動きもない。
「──見当はついてるだろうな」
「ええ。ですが──」
「任せると言ったはずだ」
「──では──」
洋子は駆け去った。その様子を見て前野が声をかける。
「──珍しいですね、斎藤先生」
いつもと逆だ、という指摘に
「ちょっと気合い入れだ、今日のあいつは」

 洋子は脇道から別の大通りに抜けていた。案の定、とある店先で体格のいい男が数人ほど囲んでいるのが見える。襲われているのはその中らしい。
「お前たち、何をしている!!?」
駆け寄りつつ鋭い口調で声をかける。男たちが振り返った。普通ならこの時点で新撰組に恐れをなして逃げ出す──はずであるが、今回は様子が違った。
「けっ。ガキじゃねえか、やっちまえ!」
新入りと思われたらしい。そのまま駆け込んできた洋子は刀を抜きざま、身構えた男の一人を斬って捨てた。返す刀でもう一人を斬り、囲んでいる内部に飛び込む。
「て、てめえ!」
残るは二人。軽く刀を振って血を落とすと、洋子は無形の位を取った。この程度の奴らには、牙突を使うまでもない。
 次の瞬間、中で何やら音がしたのとほぼ同時に、聞き覚えのある声が遠くからした。
「貴様ら!」
平隊士が追いついてきたようだ。洋子はその方向を横目でちらっと見て
「小笹君に長尾君か、ここは任せた!」
と言うと刀を鞘に収め、自分はくるっと背を向けて店の中に入った。

 店は呉服屋らしく、反物が幾つか散乱していた。あの様子からして強盗であるのは間違いないが、敵はどこにいるのか。もう夕方であり、店の中は暗かった。気配を探りつつ、一歩ずつ歩いていく。草履を脱いで畳のところに上がり、更に一歩…
「!」
脇から殺気。咄嗟に抜き打ちにした刀に、確かな手応えがある。
「ぐはっ…!」
数秒後。襖の影に潜んでいた男が一人、口から血を吐いて倒れ込む。洋子は軽く息をつくと、そのまま奥に進んだ。
 上の階の方から、人の声らしいものが聞こえる。一人は女、もう一人は男。内容までは聞き取れないが、声の調子からして夫婦ではない。
 階段を駆け上がり、天井の低い二階を屈んで進む。奥の方で同じ声がした。慌てて駆け寄り、声のする部屋の襖をすっと開ける。
 一味の首領と思しき男が、女の首に刀を突きつけていた。その女は押入を開け、何かを探している様子である。
「まだ見つからねえのか。てめえを殺して── !」
男が急速に接近してくる気配を感じたときは、既に遅かった。
 身構えるより早く、洋子は敵の喉元を貫いていたからである。

 刀を引き抜くと、そこから血が勢いよく噴き出す。それでもしばらく立っていた男は、数秒後無言でばったり倒れた。白目を剥き、ピクリとも動かない。
「大丈夫ですか?」
音に気づいて振り返ったが、余りの急展開に驚いて声もない被害者の女性に、洋子は微笑して声をかけた。その様子にほっとしたのか
「いえ、どうもありがとうございます──」
お礼を言って深々と頭を下げるその声に、洋子は聞き覚えがあった。三十歳前の、比較的綺麗な声。──おかしいな、初対面のはずなのに──
 そこに、背後から子供の足音がする。
「お母さまー!」
洋子の脇をするりと抜けて駆け寄ってきたのは、十歳前ほどの女の子。呉服屋の娘だけあって、いい着物を着ている。母親はその娘をしっかりと抱き寄せて
「御免ね、怖かったでしょう」
「うん──」
「────」
既視感、とでも言うのだろうか。洋子はその光景に、記憶の中では遠くなってしまったはずの、自分と実の母親を重ねていた。──義母に抱かれた記憶はない。いつだったろう、最後に母が自分を抱いてくれたのは──。
   バキッ!!!
「──いったーーー!!」
「おい、いつまでこんな所にいる気だ。帰るぞ」
「いつまでって、こいつ倒したばっかりですよ」
「いずれにしてもぼけーっと突っ立ってるな。阿呆が」
斎藤はそう言うと、さっさと部屋を出て階段を下りていく。親子に一礼して後を追った洋子に
「さっきから何を呆けてるのか知らんが」
と、彼は不機嫌そうに言った。
「少なくとも、過去にすがって生きなくてすむだけの力は持ってるはずだがな、お前は」
数秒、言われた側は言葉に詰まる。やがて
「──思い出してただけですよ。ただ単に」
「それならそれで結構。──だが」
長い前髪をかき上げつつ、斎藤は続けた。
「これ以上、俺に気を使わせるな」
思わず目を瞬かせ、皮肉めいた口調で応じる。
「──へえ、気使っててくれてたんですか」
   バゴッ!!!
「ったく。でなかったら貴様はとっくにあの世行きだ」
土間で倒れ込んでいる洋子を横目で見やって、斎藤は言い切った。

 

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