第一章 ある村で
その日、ロザリーは領地の村を見回って家に帰る途中だった。
「ちょっと遅くなっちゃったなあ。物乞いのおじさんが引き留めるもんだから」
夕刻でもあり、辺りはもう薄暗い。急がないとと思いつつ、乗った馬を歩ませていた彼女は、まだ十五になるかならないかの少女である。彼女が林の傍を通りかけた、その時。
目の前を、何か細いものが目にも留まらぬ速度で通り過ぎた。思わず手綱を引き、馬を止めた次の瞬間、人相の悪い男たちが林の奥から現れて周りを取り囲む。その手には大小の剣などが握られていた。
「何者!!?」
悲鳴に近い声を上げ、ロザリーは焦って周囲を見回した。五人以上いる。
「よう、お嬢ちゃん」
男たちは舌なめずりをしている。彼女は危険を感じつつ、なおも大声で
「私をこの付近の領主と知っての振る舞いですか!? 無礼者!」
「へえ、領主様ねえ」
盗賊たちの中で、特に背の高い男がそう応じて、抜いた剣を舐めた。
「有り金と身につけてる装飾品全部、置いていって貰おうか」
「何なら、そこの林で身ぐるみはがしてもいいんだぜ?」
別の太った男が続いて言う。そして薄ら笑いを浮かべながら近づくと
「まずは、その首飾りからいただこうか││ね!」
言い終えると同時に、その男はロザリーの腕をつかんで強く引っ張った。
「キャア!!」
少女は体勢を崩し、落馬した。腰と頭を強く打ち、脳震盪を起こして数秒意識を失う。気づいた時には、周囲に盗賊たちが立っていた。ほぼ全員、下卑た顔でロザリーを見下ろしている。彼女が息を飲んだ瞬間
「いてっ!!」
男たちの一人の頭に、何かが当たったような音がした。そして地面に落ちた物を見ると、手の平に収まるほどの石である。誰かが投げつけたとしか思えない。
「何者だ!!?」
「俺だよ」
不意に声がしたので一斉にそちらを向くと、三トワーズ(六メートル)ほど先に若い僧侶が立っていた。
「何だ、僧侶じゃねえか」
盗賊たちから、馬鹿にした声が漏れる。さっきの剣を舐めていた男が
「坊主は教会か修道院で、教典読んでればいいんだよ!」
「貴様らの悪行を放っておくことは、神の道に反する」
僧侶はそう応じた。暗くなっているため顔はよく見えないが、見るからに背は高い。
「何が神の道だ、ふざけやがって。坊主は黙って引っ込んでろ」
「──言ったな」
ロザリーを馬から引きずり落とした盗賊が唾を吐いたのを見て、僧侶は突進してきた。懐からすっと出した、先端部が棘のある球状で全身金属製の、二・五ピエ(七十五センチ)ほどの長さの武器││メイスを持ち、剣を抜いて襲ってくる盗賊たちを余裕でかわしつつ、それぞれ一撃で殴り倒していく。どちらが最初に襲ったのか分からないほど、その僧侶の強さは圧倒的だった。そして一味の首領と思しき最後の一人に向き合った時
「お、覚えてろ!」
盗賊の方は引きつった顔と声で叫ぶと、部下も放っておいて逃げ出した。それを見て、部下のうち意識があって立ち上がれる者は痛そうにしながらも立ち上がり、後を追う。
「芸のない奴らだ」
僧侶は彼らの後ろ姿を見送ってそう呟くと、足元に転がる数人の盗賊たちを見回し、次いで助けた少女、つまりロザリーの方に視線をやった。突然のことに驚いて座り込んでいた彼女は、慌てて立ち上がると
「あ、あの、どうもありがとうございました!」
「礼はいい。それより大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫です」
ドレスの裾についた土や枯れ草などをはたいて落としながら、ロザリーは応じた。それを見ていた僧侶は、彼女の黄褐色の髪に藍色の瞳、ちょっと吹き出物のある顔に目をやると
「中の上──いや、上の下か」
と呟く。小声だったが、少女にはその言葉が聞こえた。
「は?」
「何でもない。それより家まで送って行ってやろうか」
顔を背けつつ応じて、そのまま僧侶は村の方に視線を向ける。
「でも、そろそろ町の城門が閉まる頃ですよ」
「俺は旅の僧侶だ。近くの町に住処があるわけではない」
ロザリーは意外そうに数秒ほど目を瞬かせ、それからはっとなって少し慌てた口調で
「じゃああの、泊まるあてがないんなら、うちにいらして下さい。││あの、ええと」
「ピエール。神に仕える身だ、他の名は必要ない」
僧侶はそう名乗った。少女は自分も名前を教えていなかったことを思い出し
「ロザリーと言います」
と言って、自分の馬に乗った。
二人が出会ったのは、フィランチェ王国という国の中部にあるクロワ村の外れである。時期は四月上旬だが、この地域では春になりかけの季節でまだ花はつぼみの状態だ。村を横切った先にロザリーの家があるというので、馬で向かっているのだった。
ピエールと名乗った若い僧侶は、横で馬を歩ませている少女には二十代後半ほどに見える。聖職者の常で髪の毛は剃っているが、鼻が高く濃い琥珀色の目はやや大きい。雰囲気も教養や礼儀作法を身につけている風で、全体として美男子の部類には入るだろう。
「ここです」
ロザリーは、ある館の前で馬を止めた。付近の農家よりはかなり大きいが、城と呼べるほどではない。周囲を鉄柵で固め、外壁に蔦をはわせた三階建ての館である。馬を下りたピエールが、門に手をかけようとしてふと振り返り
「許可なしに入っていいのか?」
「主人は私ですから。──どうぞ」
促され、門を開けた。玄関までは五トワーズ以上あり、門からほぼ直線状に石畳が敷かれている。途中の庭はよく手入れされており、花壇や何本かの植木もあった。その中を歩いてきた二人が玄関前で立ち止まると、ロザリーの方が大声で
「ギヨーム、マリー、帰ったわよ!」
と呼ぶ。程なくして玄関が開き、現れたのは五十代ほどの白髪交じりの女性だった。体格は痩せており、目の回りにはしわがある。
「お帰りなさいませ、ロザリーさま。お帰りが遅いので、心配しておりました。食事もご用意いたしております」
そこまで言った時、彼女は別の人影に気づいた。ロザリーの背後にいる、背の高い僧侶。
「あの……ロザリーさま、この…お方は?」
男が聖職者であるため露骨な態度は取れないが、マリーは十分疑わしげな視線を向けている。そのピエールの顔をちらっと見やって、ロザリーは
「そこでちょっと助けてもらったから、お礼に泊まらせて差し上げようと思って。客室用意してあげて」
「あ、はい。分かりました」
応じつつも不審者を見るような目でピエールを見やってから、マリーは背を向けた。
廊下を歩きながら、ロザリーはピエールに話しかけた。
「ごめんなさいね、あの態度。不愉快だったでしょう?」
「いや、疑われるのは慣れてるからな。それはそうとお前、貴族か?」
「一応は。名ばかりの下級貴族ですけどね」
そこで少女は、改めて自己紹介をした。ロザリー・ド・リメジー、爵位などは持っていない。年齢は今年の秋で十五歳である。
「この付近の村を三つほど、領地にしています。私と執事の老夫婦、合わせて三人が食うに困らない程度の収入は得られますから」
そうかと応じたピエールだが、数秒後に気づいた様子で
「今、執事と言ったな。親は?」
「父は私が生まれる前に、母は幼い時に亡くなりました」
と応じる。ピエールは更に少し考えた後
「盗賊たちが捕まるまで、ここにいてもいいか?」
「あ、はい。私には親戚もいませんし、その方が助かります」
こうして、彼はしばらくここに滞在することになった。