るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の六 江戸での日常(2)

 試衛館から両国橋まで、歩いて半刻余りかかる。洋子たち天然理心流を中心とした十人足らずの集団は、夕方とは言え暑い中を歩いていた。旧暦五月の月末ともなれば完全に夏である。近くに来ると夜店が軒を連ねていた。
「へえ、色々あるんですねえ」
お面や団扇、焼きイカなどが売られている。金魚すくいやくじもあった。洋子には何もかもが珍しく、辺りをきょろきょろ見回している。はぐれることがないように沖田がしっかり手をつないでいるが、それでも遅れがちだった。
「ほら、あんまりゆっくりしてるといい席が取れないよ」
時折沖田がそう言ってせかす。そのおかげでどうにか他の連中とはぐれずに橋までこられた。橋の上は既に混み始めている。
 「うわー、凄い人出ですね」
まだ暗くなる前なのに、注意して歩かないと人にぶつかりそうだ。と、横の方から笑い声が聞こえた。見ると、川沿いの土手で飲み会をやっている。洋子は呆れて
「あの人たち、何しに来たんですかね。今から飲んでて」
「あれはあれで一つの楽しみ方さ。船の中なんてみんなそうだよ」
船、と沖田が言ったので川の方に目を向けると、何艘もの舟が浮かんでいる。屋形船が五、六艘に屋根なしの小舟が十艘余り。それが上流で、下流にはその倍の舟が出ていた。
「ま、あんなものに乗れるのは限られた金持ちだけだけどね。中には芸子さんとかと遊んでる人もいるんじゃないかなあ」
「はあ」
興味のなさそうな返事に、沖田は笑った。
「ゴメンゴメン。女の子には関係ないか」
「おい、総司。ぼけっとするな。はぐれるぞ」
土方の声が聞こえた。沖田が明るく応じ、洋子の手を握って橋の上に進む。
「とりあえずこの付近でいいだろう。後は適当にやっててくれ」
近藤の一声で、いったん自由行動となった。

 

 「沖田さん、お腹空いてません?」
少し経ったあと、洋子は側にいる沖田にそう訊いた。
「うーん、少し空いてる程度かな。でも帰るのも遅くなりそうだし…」
そう言って洋子の顔をちらっと見る。何だ、自分が食べたいのかと察して
「一緒に何か買いに行こうか。ここは取っててもらって」
笑って続けたので、洋子はほっとして頷いた。残りに軽く声をかけて橋をおり、夜店を見て回る。と、声をかけられた。
「お、妹連れかい。大変だねえ」
「ええ。最近物騒なもので、親がついて行けとうるさいんです」
沖田が平気な顔で応じる。違います、この人は私がお世話になってる道場の…と洋子は言いかけたが、声をかけた夜店の主人は頷いて
「だろうねえ。こんなに可愛い妹さんじゃあ、親ごさんも心配だろうし。まあお兄ちゃんがついてたら安心かな。… どう、焼きイカ? 二本目は安くしとくよ」
「そうですね。じゃ、貰おうか」
いきなり自分の顔を覗き込まれ、慌てて彼女は頷いた。
 「毎度ありい!!」
焼きたてのイカをもらい、歩いて食べながら洋子は沖田に質問した。
「いいんですか、あんな嘘ついて」
「下手に本当のこと話すと詮索がうるさくてね。ああいっとけば誰も怪しまないから」
そう言われては、思い当たることのある彼女としては黙るしかない。二口目を口に入れたところで、ふと沖田が立ち止まった。
「…どうかしました?」
顔がやや緊張している。周囲の気配を慎重に探ると、やや後方に殺意を持った集団がいることが分かった。別に洋子たちを狙っているわけではなさそうだ。
「薬屋関係の誰かかなと思ったんだけど、違うみたいだね。流行りの辻斬りかな」
辻斬り、と言う物騒な言葉に聞いた側はぞっとしたが、使った側は平然として
「しかし、誰かお忍びで来るのかなあ。使えそうなのが四、五人はいる」
「異人が来てから儲けた商人たちかもしれませんよ。舟出してる」
やや遠くに近藤、土方らの姿を見つけた洋子が、内心ほっとして応じる。とりあえずあの人たちといれば安全だ。──まあもっとも、側にいない方が安全な人物も混じってはいるが…。
「ま、どっちにしても関係ないさ」
沖田はそう結論付け、洋子を引き連れて戻った。

 イカを食べ終わると、もう暗い。この人ごみで串を持っていると危ないので、洋子は少しだけその場を離れることにした。一応沖田には断っておく。
「すぐに戻って来るんだよ。もうそろそろだから」
声を背に受けつつ橋をおり、付近の木の根元に串を捨てて戻ろうとした。そこに口笛のような音が聞こえ、一瞬置いて光と爆発音が同時にした。どっと歓声が上がる。
「へえ、あれかあ。──と、すぐに戻らないと。沖田さんが心配する」
パッと広がる緑色の花火を見て、呟いて道に出た途端、血の匂いがした。真新しい。
 どうしようと思っていると、出てきた木立の更に奥で数人が争っている。そのうちの一人は子供で、しかも変わった服を着ていた。よく見ると、その子供が大人たちに取り囲まれており、大人の体が一つその付近に転がっている。
「何、あれ…。あの子、私より幼いじゃない」
暗闇で顔まではよく分からないが、背格好からして洋子より年少だ。木々の陰に隠れて少しずつ近づき、顔形が判明するところまで行く。
「小僧、少しはやるようだな」
と、中央の男が唇を嘗めながら呟いた。子供は応じて
「御頭が、今夜はそう人を回せぬとおっしゃるのでな。俺ごときで不服だろうが、死んで貰う」
呆れるほど落ち着き払っている。改めて人数を数えると、大人が四人で子供が一人だった。しかし見た感じでは子供の方が実力は上そうだ。
『だけど、あれじゃあ多勢に無勢でいずれは…』
と、洋子は思った。背後を取られたら最後だと。 大人の一人が斬りかかるのを難なくかわし、拳を叩き込む。急所に当たったらしく倒れて動けず、それを見た残る三人が一斉に突撃してきたときには地上にはいなかった。
「ど、どこだ!?」
「ここさ」
その声は、ひどく高い場所から聞こえた。三人のみならず洋子までが上空を見上げ、花火の陰で顔はよく見えないがさっきの子供が木の枝の上に立っているのを見る。
「おい、そこに隠れてる娘」
いきなり呼ばれ、洋子は心臓が止まりそうになった。応じるべきか否か迷っていると
「早急に立ち去れ。今ならいなかったことにしてやる」
「いた!! あの木の陰だ!!!」
花火の陰に気づいたのか、大人三人が走ってきて取り囲む。竹刀など持ってきてもいない彼女は、この時はじめて後悔した。
「ケッ、ここで会ったが運の尽き。私怨はないが、口封じに死んでもらうぜ」
「へーえ、口封じしないといけないことなんだ。あんたたちの戦いってのは」
こうなったら開き直りと時間稼ぎだ、と思いつつ逆に洋子は大声で言った。
「よっぽどやばいことやってるんだ。こんな川開きの日に」
「だ、だ、黙れ!!」
中の一人が斬りかかったのを余裕でかわして続けた。これなら道場でのしごきの方が遙かに鋭い。ことによっては鞘を奪って脱出だ。
「坊やもそうなんでしょ? 人のこと娘とか偉そうに呼んでるけど、見るからにあんたの方がガキじゃないの。ガキ相手にいい大人が何を目くじら立ててるのか知らないけど、少しは落ち着いてよ。さもないと…」
そう言うと、洋子はすっと腕を伸ばして男たちの一人の腰から一瞬で鞘を引き抜いた。そしてそのまま身構える。
「て、てめえ!! 俺の鞘を抜きやがって!!」
「やっちまえっ!!」
激高して向かってくる三人を、木を背にして背後を固めて防ぐ。敵の初太刀を平然とかわしてまず正面の男のみぞおちを突き、わずかに引いて次の瞬間には右の男を鞘の腹で薙いだと同時に背後から強烈な殺気を感じて木を離れる。一瞬後、木が袈裟斬りにあって倒れていった。その瞬間を狙って倒れる隙間から踏み込みのどを一突きした後、回り込んで背中に痛烈な一撃を浴びせた。この間、わずか三秒である。
「──ほう…。娘、やるな」
子供は上空から呟くように言った。
「で、坊やはどうするの? 殺すって言うんなら相手になるわよ」
子供は木から飛び降り、見事着地した。その降り方は忍者風だった。
「そうだな、決める前に一つ聞いておこう。──お前の名前だ」
「人の名前訊く前に、自分の名前名乗ったら? 御庭番衆の一員さん」
子供──見るからに男である──は、驚いて洋子を見つめた。鞘を握り直して間合いを計りながら、油断なく続ける。
「常識的に考えたら、あんたみたいな十歳にも満たないガキがあんなに戦えるはずがないのよね。それにさっきの木の降り方。あれ見て普通だって思う奴の方がおかしいわ。御庭番衆の一員が、もう少しうまく変装できないの」
「貴様……殺す!!!」
子供がいきなり飛びかかった。我ながら最近どうも怖いもの知らずでいかん、と思いつつ洋子は繰り出される拳をすべてかわす。足技も何とか防ぎ、刀には鞘で応戦する。
「あんたねえ、自分の刀がどういう状態か分かってる?」
殺した相手の血を吸って、斬れ味が鈍くなっているのだ。はっとなった子供が慌てて刀を引くのを見計らって、彼女は言った。
「名前くらい名乗ってから行きなさい。覚えてたら再戦してあげるから!」
「…四乃森蒼紫。お前は?」
「天木洋子」
言うが早いか、その子供はすっと消えた。さすが御庭番衆、などと思っていると
   ボカッ!!
 背後からいきなり殴られ、一瞬意識が遠のきかけた。聞き慣れた声で正気に返る。
「何やってんだ、この阿呆が。人が心配して見に来れば…」
「へえ、あなたの口から心配なんて言葉が出るとは思いませんでしたが」
斎藤の暴力に、痛烈な皮肉で応じる。そこに沖田が割って入った。
「まあまあ、それはともかく急いで帰りましょう。花火が終わっちゃいますよ」
文字通り中に入る。フン、と斎藤は顔を背け、洋子は沖田に手を取られて帰っていった。

 

 よく考えたら、二人の登場はタイミングが良すぎる。或いはあの蒼紫とか言うガキは、二人の人影が見えたがゆえに退いたのではないか。花火見物を終えて帰る洋子は、漠然とそんなことを考えていた。
 だが、ことはそれだけでは終わらなかった。