るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三 邂逅、そして(3)

 洋子はいつものように竹刀を振るっている。と、脳天に別の竹刀がたたきつけられた。
 痛そうに顔をしかめながら、彼女は続けた。心なしか素振りが鋭くなったようだ。横では斎藤一が竹刀を肩にかけ、壁にもたれて仏頂面でその様子を見ていた。場所は道場の傍の縁側、中の人間からはすぐ見える場所である。
 天木洋子は、いつもここで稽古していた。

 斎藤の教え方は、無茶苦茶である。教えるというより課題を与えて洋子がやるのを観察しているだけだ。課題はやたらに多いし、疲れて少しでも手が緩むと容赦なく竹刀でぶっ叩く。初日など、叩く時の力の入れすぎで脳震盪を起こして気絶さえさせていた。それを桶に汲んだ水に顔を突っ込ませて起こすのだから、非常識極まりない。
 それでも当の本人に言わせると「自分の修行時間を割いて教えてやってるんだから感謝しろ」となる。戦って勝てる相手ではないし、道場で他の居候たちが稽古しているのが見えるだけに、そう言われると何も言えない。かてて加えて例の一件以来、ただでさえ洋子は斎藤の言うことには逆らえなくなっていた。
 「何とかなりませんかねえ、あの暴力」
沖田に愚痴をこぼすのがせいぜいである。笑っているだけで斎藤に注意するでもないのだが、取りあえず彼女の話をちゃんと聞いてくれる。それだけで随分気が楽になった。
 無論、沖田にも彼なりの思いがある。
『予想外に剣術の才能があるな、この子は』
彼が出稽古に行っていたのが四日ほど。その四日間で、彼女は常人なら十日以上かかるような力量を身につけていた。彼自身剣術の修得は他人が驚くほど速かったのだが、洋子は何しろ町育ちの少女である。興味に才能が常に伴っているとは必ずしも言えず、沖田としては彼女が自分から習いたいと言い出すまで放っておくつもりだった。
『そうでなきゃ、自分も稽古しながら適当にやらせてるだろうな。斎藤さんの場合』
観察だけとはいえ、ほぼ一日中斎藤は洋子の傍についている。そもそも依頼主の土方からしてこうまで彼が熱心に教えるとは予想外だったらしく、沖田に「洋子がぐれなきゃいいが」と漏らしていたような状況である。「それを言うなら、土方さんと十年近く付き合っている僕はどうなるんです」と沖田に言われ、黙り込んでしまったが。

 

 他の居候たちの反応は、様々だった。土方の指名ということではあったが、事情の方がいつのまにか知れ渡ってしまい、同情されているのかからかわれているのか判然としない言動を受けていたのである。
「よ、洋子。相変わらずご苦労さん」
特にちょっかいを出してくるのが原田左之助。槍術ならかなり出来るのだが、いかんせん剣術道場ではあまりお呼びがかからず暇なのだ。
「何か用か、原田君」
斎藤が訊いた。邪魔だという気持ちが顔に出ている。
「別に。用がないと声をかけたらいけねえのかよ」
「率直に言って稽古の邪魔だ」
言うと同時に、洋子の頭を竹刀でボカッと叩いた。集中力がないのか、人が来るとすぐ素振りが鈍くなる。原田が腹を立てて
「邪魔とは何だ、邪魔とは。オレがそんなに悪いことしたのかよ、ええ!?」
立ち上がって耳元で詰め寄る。洋子の素振りが止まった。
「あいつの集中力が途切れる」
舌打ちをしつつ応じる。後の相楽左之助なら無視できるのだが、原田とは同じ食客同士で無視できない。
「ケッ。そりゃ毎日素振り五百回もやらせてりゃあ、腕が痛くなって集中どころじゃなくなるだろうぜ。それをオレのせいにすんのは虫が良すぎるってもんだろう」
「そうそう。行き過ぎだぜ、あれは」
と、いつの間にかそこにいる平助が口を挟んだ。洋子は何も言わずに額の汗を拭い、上腕部をしきりに揉み始める。誰が教えたのか、筋肉痛の予防法まで覚えていた。
「千葉周作大先生の姪ご様がたの話もあるから、あの子が剣術を習うのは別にいいけどさ。人並みの速度で十分なんじゃねえの?」
彼女たちは女の身ながら北辰一刀流の皆伝を受けている。だから平助としては剣術を習うことについてどうこう言うつもりはないが、教えすぎではないかという気はしていた。
「洋子も大変だろうなあ、こういう奴を師匠に持って」
わざと大きな声で言う原田を、斎藤は横目でじろっと睨んだ。その視線には目もくれず
「だってよ、辛うじて教えたと言える状況なのは刀の持ち方だけだぜ。他はほとんど師匠らしいことしてねえもんな、課題与えるだけで」
「自分で教えてみたらどうなんだ、ごちゃごちゃ言う前に」
うんざりしつつ応じる。こんな小娘など、他に教えたいという物好きがいればいつでも譲ってやる。塾頭土方の指図でなければ、誰が教えるものか。
「そりゃ、洋子に槍を習う気があればすぐにでも教えてやらあ。けど今んとこ、そういう様子もなさそうだしな」
「そういうのを、逃げ口上と言うんだ」
攻撃的になった斎藤の口調に、原田がかっとなって詰めよった。
「逃げ口上とはどういう意味だ、ええ!!?」
そのままなら、間違いなく掴み掛かっていただろう。そこに沖田がやけにのんびりした声を出す。
「あのー、斎藤さん。これから洋子さんを講談に連れてっていいですか」
絶妙のタイミングだった。原田が完全に気勢を削がれ、やる気を無くして後退する。それを横目で見てから、改めて洋子の師匠に話しかけた。
「いつも洋子さんの指導ばっかりで大変でしょうから、たまには僕が引き受けます。欲求不満は誰にとっても良くないですし」
今の喧嘩のことを暗に指しているのだ。斎藤は苦笑して沖田の提案を認めた。

 

 講談へ行く途中、洋子は生き生きしていた。稽古中にはほとんど口をきかない彼女が、一歩道場を出るだけでこうまで饒舌になれるのかと沖田が舌を巻くほど良く喋る。
「あの人、ホント滅茶苦茶ですもんね。私は始めたばっかりなんだぞって。あんな、普通の道場でもやらないような稽古を私にやらせてどうするつもりなんでしょうね、斎藤さんは」
そう不満を次々と並べ立てている限りにおいて、本人は相変わらず全然気づいてないようだけど――と、沖田は思う。洋子の剣術に関する才能は、天賦のものと言っていいほどある。
 稽古の一環として実戦形式のものがあり、そこで斎藤は欲求不満を解消している節があって洋子がいつも徹底的に叩きのめされるのだが、同じ負けるにしてもそのたびごとに負け方が良くなってきている。言い換えれば、善戦するようになっていたのだ。
「褒めることを知らない性格だからな、あの人は」
「何か言いました?」
呟きが聞こえたらしく、洋子が反応した。沖田は苦笑して
「何でもないよ」
そう言って、講談の話をする。何故か彼女は講談や歌舞伎など行ったことがないと言うのだ。この時代の普通の町人なら、誰でも行ったことがあるのに。
「最近のはやりは太平記、あと平家物語かな。楠木正成の戦いなんか良くやってるよ」
「赤坂城と千早城、あと湊川でしたっけ。かっこいいですよね、ああいう死に方って」
格好いいかどうかはともかく、洋子がそういうことを知っているとは沖田にとって意外だった。十歳にもみたず、講談に行くのも初めてという少女が何故太平記の中身を知っていたりするのだろう。
「幕府軍百万に対し、五百の兵で千早城に立てこもり、かかしを使って敵をおびき寄せて大岩を落とす。いいなあ、こういう頭のいい人」
「…良く知ってるね」
洋子は答えようとして、急に言葉を詰まらせた。慌てたのは沖田の方だ。
「ごめん、嫌なこと思い出させたみたいだね」
そう言ってふと周りを見ると、もう講談の会場に程近い。
「もうすぐだよ、入ったら何かお菓子買ってあげる」
取りあえず、彼女は機嫌をなおした。

 中ではせんべいを買い、バリバリ言わせて食べながら開演を待つ。現代で言うとポップコーンを食べながら映画の開演を待っているのに近いだろう。
「今日の題目は平家物語、一ノ谷の戦いでござる。判官義経の鵯越、平敦盛の青葉の笛。さあ心行くまでお聞き頂きましょう」
歓声が上がる。周りを物珍しげに眺めていた洋子も、台座に視線を集中させた。
 沖田は、講談を楽しみながらも自分たちに敵意を持った複数の視線が向けられていることを敏感に感じとっていた。そしてこの怜悧な若者は、その視線がどういう意味を持つかまでほぼ察しがついていたのである。

 「じゃ、帰ろうか」
講談が終わり、半分涙ぐみながら歓声を上げている洋子に沖田は言った。
「ええ…。良かったですねえ」
目にたまった涙を拭いてやる。この娘には言う必要もないことだが、そうそうのんびりしていられる状況ではないのだ。
「最近物騒だから、急いで帰ろう」
「そうですね。じゃあ」
他の観客に紛れ込んでしまえば見つかりにくい。はぐれては大変なので彼女の手をしっかり握って沖田は会場の外へ出た。

 

 「沖田さん、さっきから誰か付けてきてません?」
やや人通りが少なくなったところで、洋子は囁いた。すでに真っ暗だ。
「ああ。講談聞いてる最中からずっとだよ」
さらりと言ってのける。声も出なくなった少女に
「大丈夫。僕に任せて」
「ほう、やけに自信たっぷりじゃねえか。足手まとい抱えて」
ドスの利いた声に、洋子が緊張した顔色になる。普通なら恐怖のあまり震えが止まらなくなっていそうな声だが、この半月のしごきで多少のことには動じなくなってしまっていた。
「そっちのちんぴらよりは、あてになると思うけどなあ」
沖田が平然そのもので応じる。殺気立ち、罵声が聞こえるのを見て、前後合わせて十人前後か、と目測を付けた。
「しょうがないなあ。薬屋さんの差し金かい?」
洋子に目配せして壁に行かせ、自分は無形の位に構える。
「やっちまえ!」
周りは、一斉につかみかかった。