るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三 邂逅、そして(4)

 「ざっとこんなものかな」
乱闘はあっと言う間に決着が付いた。沖田は無論全くの無傷だが、相手の方は全員が何らかの重傷を負っている。死ななかったのは沖田が峰うちに徹したためだ。
「く…くそっ…」
「洋子さん、帰るよ」
リーダー格の男が肋骨を折られて苦痛のうめき声をあげている横で、彼は同行の少女を呼んだ。呆気にとられていたのが我に返る。
「誰か連れていけば、色々聞き出せるんじゃないですか」
地面を見回しながら洋子は応じた。
「多分道場のことも感づいてると思いますよ。こっちが何も知らずにいるのは不利なんじゃないですか?」
「敵を知り、己を知らば百戦危うからずか」
「そう、それです」
沖田はこの洋子という少女の教養に訝しさを感じていた。古典や漢文に対する素養は町人の域を越えるほどあるし、習字もうまい。だが商家の娘として当然使えるはずの算盤は全く使えないのだ。よほどの富豪の娘なら、あえて習う必要もなかっただろうが。
「大丈夫だよ。だって、みんな不意打ちにあったって返り討ちにするような連中だもの」
洋子は一瞬後破顔した。近藤、土方を筆頭にみんな銃弾を食らっても死にそうにない面構えをしている。特に斎藤の悪人面は、物の怪でさえ逃げるだろう。
「そうですね、じゃあ帰りましょう」
こうして、二人は何事もなかったかのように帰っていった。

 

 実は数日前から、沖田は考えていることがあった。この青年に考え事や悩みなどあるはずがないと周りは信じ込んでいるのでそう言われてもピンとこないが、彼には彼なりの疑問その他の考え事の種があるのだ。
『何でみんな、「お洋」じゃなくて「洋子」って呼ぶんだろうなあ』
江戸時代や明治初期の女性名に使われる『お+漢字』というのは、一般に『漢字+子』の愛称である。かつ『お+漢字』の方がよく使われ、正式な文書などでないと『漢字+子』は出てこない。つまり、沖田自身も含めて使っている『洋子』という呼び方は、実はこの時代においてはあまり普通ではないのだ。
『雰囲気的にどこか違うんだよね、この子の場合』
気安く『お洋』などとは呼べない雰囲気があるのだ。どこがどうというわけではないが、その付近の女性たちとは違うものを持っていた。
『大体お師匠さんからして洋子だもん。僕たちがそう呼ぶのも無理ないといえばそうなんだけどね。……でも、やっぱり気になるなあ』
半ば無意識のうちに口をついて出る言葉なので、意識すると返って妙な話になる。取りあえずこの話は放っておこうと沖田は思った。
「そういえば、夕御飯まだでしたよね」
洋子がふとそう言った。見ると、蕎麦の屋台がある。
 沖田はくすっと笑った。こういう頼み方がおかしかったのだ。
「そうだね。おなか空いた?」
どうせ今から帰ってもろくなものは残ってないだろう。だったら食べて帰った方がいい。
「その顔は空いてるね。いいよ、じゃあ食べに行こう」
洋子は、嬉しそうに頷いた。

 

 試衛館に帰ったあと、沖田は土方に呼ばれた。
「――で、何やったんだ、向こうで」
「何って、別に何も…」
土方が黙ってじろっと自分を睨んだので、ごまかしをやめた。
「叶わないなあ、土方さんには。どうして分かったんです?」
彼特有の明るい声で応じる。土方は苦笑して
「ついさっき、果たし状が来てな。数日中にそちらに例のものを受け取りに行く故、重々ご用意されたしとあった。相手は英集会」
ははあ、と沖田が思ったのを見て取ったのか、相手はやや表情を改め
「で、どうするかだ。受け取りに来た際に引き渡すか、返り討ちにするか、それとも…」
「今から先手を打って乗り込むか、ですね」
沖田は相手から手紙を受け取って見た。
「大体、この例のものってのはお互い相手をよく知ってるときに使う暗号でしょう。一面識もない奴に使われたくないですよねえ」
そう言ったあと、上目遣いに相手の顔を見た。
「土方さんはやる気ですね。それも今夜、洋子さんが寝たあと」
この青年には嘘は付けない。土方は立ち上がって
「斎藤とオレと原田で乗り込む。近藤さんは今回は留守番だ。お上に漏れたとき、道場主がいては私戦で通るまい」
下手をすると道場が潰される可能性がある。その場にいなければ知らぬ存ぜぬでまかり通し、『門人たちの喧嘩』で済ませられるのだ。
「で、残る一人は僕ですか」
沖田は当然のように言った。続けて
「斎藤さんと原田さんはすぐ喧嘩するからなあ。土方さんは喧嘩の仕方しか考えてないし、まとめ役がいないと失敗しますよ」
土方はまた苦笑した。沖田は
「じゃあ、今から準備してきます」
と、まるで平然として自室に戻った。

 洋子が眠ったのを確認して、四人は出発した。敵の居場所は割り出し済みだ。
「さて、喧嘩だ喧嘩だ。いっちょ派手にぱーっと行きますか」
原田はすでに指をボキボキならしている。背に槍をかついでいく姿は、なかなかの風格だった。その隣を土方が歩く。
「原田君、今回は派手にやられてもらっては困るんだがな」
「ああ、そうでした。不可抗力で派手になる分はしょうがないにしても、今夜だけはできるだけ大人しくします。これでいいですね?」
土方と近藤には比較的大人しいのは、居候先の主人という思いがあるからだろう。まして今回は私戦という体裁を繕うため近藤を試衛館に残してきている。負けるとは誰一人として思っていないのだが、薬屋だけならともかくやくざまで絡むとは、洋子は単なる奉公と言うより人買いに売られた口だなとみな見当がついていた。
「そういえば、剣術習いたがるような子にしては大人しかったなあ、あの子は」
 沖田が呟いた。斎藤本人には不満や弱音を漏らしたこともなく、だから我慢して師匠代わりを続けていられたとも言えるが、彼女は確かに単なる“師匠”や“大人”に対するものとは思えない遠慮をしていた。居候同士だから対等のはずなのに、食事さえほとんど他の人々とは一緒に取らない。
『――もし、また売られることを恐れての行動だとしたら…』
哀れの何のという前に、自分たちは完全にやくざと同類だと誤解されていることになる。それが許せなかった。自分たちはならず者とは違うのだ。
 洋子を守りに、深夜の英集会へ乗り込む彼らの理由は、詰まるところその証明だった。

 

 さて、英集会に到着した四人は門番二人を気絶させると道場破りのように振る舞った。
「頼もう!」
人一倍声量のある原田が、中に呼びかける。何だ何だと数名が出てきた。
「おいおい、ここは道場じゃないんだぜ」
「はて、先ほど僕たちの道場に果たし状を送りつけてきたのは、あなたたちじゃないんですか? それを読んで、てっきり道場破りの集団かと思ったんですよ」
と、沖田が応じた。まさか、と思った相手の気配が変わる。
「雑魚に用はない。長を出してもらおうか」
「な…何だと…!?」
一瞬後、激怒を伴った罵声が浴びせられた。
「てめえ、大江戸で知らぬものはない英集会の一員を、よくも雑魚呼ばわりしてくれたな!」
「こてんぱに叩きのめしてやらあ!!」
「やっちまえ!!」
たちまち乱闘になった。とはいえ、単なる力自慢の者たちが正当に武術を習い、しかも一定以上の水準に達している者に勝てるはずもない。土方たちが四人で中央突破する様は、端からは周囲の男たちが強風で吹き飛んでいくようにもみえた。
「屋内に入ったら、二手に分かれるぞ」
門から半ばを進んだところで、土方が沖田に囁いた。ああいうことを書いてよこすからにはもう少し警備が厳重かと思っていたが、予想外に緩い。少人数での奇襲となれば局所集中での突破が効果的なので、二手に分かれて揺さぶりをかける作戦を急遽変更して正面から攻め入ったのだ。
「はい。どちらに行きます?」
二手は沖田-斎藤と土方-原田の組み合わせだ。駆け抜けながら敵の渾身の一撃を難なくかわし、がら空きになった脇腹に強い峰うちを食らわせる。今回ばかりは殺して表沙汰になっては困るのだ。
「俺たちは右、お前たちは左。長が見つかったら口笛を吹け」
「分かりました!」
頷きながら反対側の敵の首筋に上段から切りつける。そのまま縁側に駆け上がった。
「じゃあ、またあとで!」
沖田は軽く後ろ手を振って別れた。

 斎藤はともかく沖田は少年のような顔をしている。そのため敵はどちらかというと沖田を標的に襲ってくるのだが、彼らは「人は見かけによらぬもの」という諺を肋骨数本と引き替えに覚えさせられる羽目になった。
「大変だな、沖田君」
傍目で見ていても沖田の方が攻防の中心になっているのが分かる。
「どうってことないですよ、斎藤さん」
笑顔で応じ、奥に通じる襖を思い切りよく開けた。十人ほどの男が包帯を巻かれて横になっている。彼らの顔に沖田は見覚えがあった。
「あれえ、さっきの人たちじゃないですか」
無邪気そうな声に、彼らは声の主の顔を見た。一瞬後には凍り付く。
「ねえ、ここの主人の居場所知らない?」
さすがに答える者はいない。
「隠すとためにならんぞ」
状況の見当がついた斎藤が、にやりとしてそう付け足した。むしろその顔に恐怖心をあおられたのだろう、顔を見合わせて生唾を飲み込んだあと、中の一人が
「ここの奥の続き間を抜けた縁側を右に曲がって、そのまま奥に進めばつく」
そこに原田のものらしい怒号と破壊音が響き、今度こそ顔を蒼白にして訴える。
「う、嘘じゃねえ。行けば分かる」
肩をすくめて沖田は頷いた。好都合といえばそうだが、英集会の下っ端とはこんなに脆いものかと思うと情けなくなってきたのだ。
「分かったよ。行きましょう、斎藤さん」
「ああ」
二人は奥に進んだ。縁側に出ると敵が待ちかまえている。土方たちはまだ来ていない。
 斎藤と沖田は身構え、それぞれ斬り結んでいった。