るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三 邂逅、そして(5)

 向かってくる敵を手当たり次第に叩き伏せながら、沖田と斎藤の二人は奥に侵入していった。突き当たりに襖があり、そこを力任せに開いて突入する。
「ほう、よくここまで来られたもんだ」
数歩進んだところで、脇からドスの利いた男の声がする。
「誉めてやるぜ。だがここからはもう行かせねえ」
悪人度では斎藤と互角だが、品のなさでははるかに上という顔つきの、背の高い男が立っている。奥で、女に囲まれて酒を飲みながら座って見ている中年男が長らしい。
「余裕だな、あの長は」
「何か妙な武器でも隠してるんじゃないですか?」
身構えながら長の様子を横目で確認する。
「こいつは俺がやる。長が逃げぬよう見張っててくれ」
突然斎藤が言った。驚いたのは沖田だ。
「え、何で斎藤さんが…」
「俺はあいつの師匠だ。なりたくてなった訳じゃないが、なった以上の責任は果たすさ」
沖田は微笑して頷いた。そして奥に小走りで向かいながら刀を抜き、逃げる女たちは放っておいて護衛の連中を難なく倒す。長の喉元に剣を突きつけ、強く口笛を吹いた。
 「総司の奴、先陣を取りやがったな」
左の方から口笛の音が聞こえ、土方は苦笑した。
「こうしちゃいられねえ、早くいかねえと」
原田が雑魚どもを投げ飛ばしながら応じた。何しろ数が多い。
「そうだな、急ぐか」

 さて沖田たちの方は、斎藤と用心棒風の男とが睨み合っていた。構えからして剣の達人同士であり、互いに迂闊には踏み込めない。
『もうかなり時間が経ってるだろうけど…。動かないな』
と、外が急に騒がしくなり始めた。土方さんたちだ、と沖田が悟って気を緩めた瞬間
「はあああっ!!」
斎藤とその敵は、ほぼ同時に動いていた。敵は頭上から唐竹の型に浴びせかけたが、斎藤はその瞬間死角となった胸に刀を突き刺し、背中にまで突き抜けさせている。血を吐いて倒れたのは当然敵の方だった。
「そんな威嚇混じりの戦いが、一流の剣客に通じるか」
剣を引き抜いて血を懐紙で拭う。そしてゆっくりと沖田のところに向かった。
「さて、組長さん」
沖田は改めて剣の切っ先を喉元に突きつけた。
「あんな事書いてよこしたからには、僕らの要求は分かってるでしょう? 否か応か、それだけで結構です。話は短く済ませましょう」
「──へっ。お前たち、あの娘の正体を知らねえな。知ってたら引き取ろうなんて考えねえはずだ」
そこで開き直ったのか、長は妙なことを言い出した。
「どこかの没落商人の娘だなんて思ってたら甘え甘え。そんなどこにでもいる身分じゃねえんだ。天木洋子なんて言う名前自体偽名さ」
二人は顔を見合わせた。そこに遅れていた土方たちが姿を見せる。
「お、やっと全員集合かい。じゃあ教えてやろう」
奇妙なほど落ちつき、笑みを浮かべてこう言い放った。
「あの娘の本名は、畠山静。室町時代の大名の末裔で、旗本中の高家の畠山家の姫君だ。まあもっとも、正室の子じゃなかったみてえだが」
高家と言えば、忠臣蔵の吉良家で有名な朝廷からの勅使接待役を代々任じられている家柄だ。旗本の中でも家格は極めて高く、特に開国以後は重んじられているはずである。
「何でも家督相続争いのあおりで、最近借金の型に売られたんだと。さすがにお偉方の来る吉原には売れねえから、仲介してやって薬屋に奉公することになったんだ」
声も出ずに自分を見つめている四人を見て、その中年男は大笑した。
「やっぱりな。──ま、それでもいいって言うんなら敢えて止めねえが。薬屋に荷物は渡してるし、言っておくから引き取りに行くんだな」
さすがに自分たちで決めるわけにも行かず、四人は引き上げを選択せざるを得なかった。

 

 「──そういう訳で、問題はこれからだ」
代表して土方が説明した。洋子が寝ているのを確認した上での話し合いの席である。
「まずその男の言葉に、どこまで信憑性があるかだ」
と、永倉新八が発言した。沖田が応じて
「それは…話ぶりからするとかなり高いですよ。それにあの子の教養は、そうだと考えないと説明がつかないほどです。ただ、脅しであるというのも否定できませんがね。何しろ証拠がない」
「どちらであるにしても…か」
近藤が引き取った。もしその話が本当であるなら、下手な大名より洋子の方がはるかに血筋はいい。何しろ畠山家と言えば室町幕府の足利氏の分家で、行き着く先は平安時代の清和天皇である。譜代も外様も江戸時代の大名は軒並み戦国の成り上がりという状況では、高家という名家集団は例外であった。
「とはいえ、多分畠山家の方は認めまい。死んだことになっているはずだ」
山南敬助の台詞に、皆渋い顔をする。旗本の、しかも高家という名家の娘が借金の型に売られたなどと漏れたら大変な騒ぎになるのは目に見えていた。それを消すには、畠山静という存在を消すのが最も手っ取り早い。
「あの子の場合、自分のことを何にも言ってないから面倒なんだよな。どうして欲しいか聞き出そうとすればこっちもいわなきゃいけないし」
そう籐堂平助が慨嘆した。その場の人間はますます暗い表情になる。そこに
「儂には、その旗本がどうの高家がどうのはわからんが」
井上源三郎が、ひどく間延びした声を出した。
「決める権利は、あの子を連れてきた沖田君と師匠の斎藤君にしかないと思うが…。儂の言うことは、間違っておるかのう」
 みな、はっとなった。確かにそうなのだ。連れてきた沖田が同意しなければ送り返すことはできないし、何のかんの言っても師匠の斎藤が彼女に接する時間が一番長いのだから彼が同意しなければ待遇を変えるにしても難しい。
「僕は、いやですよ。あの子を送り返すのは」
たっぷり一息おいたあと、沖田が宣言した。
「少なくともあの薬屋での奉公に比べたら、ここの方が遥かにましでしょう。それに、あそこにいたらいつ吉原だの岡場所だのに送られるか分かりませんよ。身分を公表できない以上、ここにいるのが最良の選択だと思いますがね」
「──で、斎藤君の意見は?」
土方が訊いた。
「意見も何も、沖田君がそういうつもりならそれで決まりでしょう。それに、待遇を下手に変えたら気づかれる可能性がある。少なくとも私は、態度を変える気はありませんよ」
斎藤は、ごく事務的な、ある種素っ気ない口調で応じる。旗本の娘とは言え、弟子は弟子。あえて態度を変える必要はなかった。
「ただ、荷物引き取りに行けば正式にこっちが保護者になりますからね。あの子の変な遠慮はなくしておいた方が付き合いやすいでしょう」
沖田が言った。洋子は食事をほとんど一人でとるのに始まり、服も道場着以外は着た切り雀、個室も納戸のような暗い部屋とやたらに遠慮が多い。
「そうだな。こっちも余計な気を使わずにすむ」
基本的な待遇や態度は変えないにしても、あまりにも向こうに遠慮させたままでは居心地が悪い。正式に弟子入りするからと言えば感づくまいとのことでまとまった。
 「斎藤さん、すみません」
話し合いが終わった後、沖田はそう言って頭を下げた。
「君が頭を下げる必要はない。間違ったことをしてる訳じゃないんだから」
「いえ、そうじゃなくて…」
斎藤は苦笑した。この男には珍しい表情である。
「嫌なら出かけて行かないさ、そもそも」
それだけ言って、自室に帰った。

 

 「こら、洋子。いつまで寝てるんだ、この阿呆」
声と共に、洋子は頭から水の中に突っ込まされた。一瞬窒息しそうになって激しく咳き込む。その頭上から、いつもの苛ついた声が聞こえた。
「師匠に起こされる弟子など、前代未聞だぞ。大概起きて、飯だ飯」
「いいですよ。後で一人で…あれ?」
部屋が普通の和室になっている。六畳間、結構広い。
「どうしたんですか、これ」
昨日寝た部屋とは違う。洋子は首を傾げた。
「納戸に人間を寝泊まりさせて置くわけにも行くまい。それはそうと、飯食って行くぞ」
「行くって、どこへです?」
わけが分からぬまま、彼女は斎藤を不安そうに見やった。
「薬屋だ。お前の荷物を引き取りに行く。本人がおらんと何がお前のかわからんからな」
「……ってことは…」
洋子は何とも形容しがたい表情になった。嬉しいのか嬉しくないのか、実際本人にもよく分からなかったらしい。
「嫌なら、別にいいんだが。お前が薬屋に戻るだけだ」
この男のしごきと薬屋の労働、どっちがきついだろうなどと考えていると、沖田が姿を見せた。遅いので呼びに来た風である。
「斎藤さんに洋子さん、食事ですよ。来てください」
「いえ、私は後でとりますから。とりあえずお二人だけで…」
呼びに来た側は、微笑して彼女の手を引いた。
「またそんなこと言ってる。せっかく洋子さんの分も用意したんだから、一緒に食べよう、ね?」
沖田はそのまま立たせ、強引に引っ張るようにして連れていった。後から斎藤がいつもの仏頂面で続く。
「あ、いえ、ホントにいいですって。厨房に置いててくれれば、後で…」
「分かってないなあ。今日から正式にこっちの一員にするって、昨日君を買った連中と話つけたんだから。夜の夜中に乗り込んで」
洋子は驚きの余り声も出ない。あの荒くれ者どもを、こてんぱに倒しでもしなければそんなことは出来ないはずだ。
「だから、いつ帰るか分からないからって遠慮しなくていいし、荷物も引き取らなきゃいけない。分かった?」
洋子はここに至って、ようやく腹を決めた。そう言うことなら話は別だ。
「やっと覚悟したか」
そこに斎藤の声が聞こえた。ぎくっとなって振り返る。
「ま、あんな奴らはものの数じゃなかったがな。これから鍛え直してやる」
複雑な心境で、洋子は歩いていった。

 

 その後、荷物を引き取りに行った際、彼女は刀を一本受け取った。古刀の一種らしく、ずしりと重い。
 洋子は、何も言わずにその刀を見つめていた。