るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十六 斬殺二つ(1)

 江戸の夜。本来ならば誰もいないはずの道に、二人の男が正対して立っていた。
「貴様、武士を愚弄しおって! 斬るっ!!」
中年男がそう叫んで、刀を抜いた。もう一方の、声からして若い青年は、全く動かない。
「臆したか。まあいい、成敗してくれる!」
中年男が突進してきたのと、青年が刀に手をかけたのとほぼ同時だった。
 一閃。
全身から血を吹き出して倒れたのは、中年男の方だった。

 「さあ、知らねえな」
「本当か?」
玄関に上がってきた奉行所の同心に訊かれ、土方は不機嫌そうに応じた。
「大体、そいつが殺されたってのは昨日の夜中だろ? 俺たちはここで寝てたんだぜ。なあ近藤さん」
「ああ。しかし信じられんな、まさか酒井先生ほど高名な方が殺されるとは」
「どうかしました?」
沖田が二人の後ろから訊く。近藤が応じて
「鏡心流の酒井殿が、この近くで昨晩遅く殺されたそうだ」
「へえっ!? あの、旗本の次男で鏡心流を継いだ?」
驚いて目を瞬かせる沖田に、土方は頷いた。
「そうだ。──とにかく、我々はこの件には一切関与していない。お引き取り願おう」
「しかし、犯人を見かけた者が一人くらいはいるだろう?」
「知らん」
土方のにべもない台詞に、同心はその日は立ち去った。

 それから数日後の昼。
「その辺に、また同心がうろついてるぜ」
「またか。いい加減にして欲しいもんだな」
外から帰ってきた永倉の台詞に、土方が応じる。その傍から近藤が
「酒井先生を殺せるような腕なら、俺も練兵館から人を借りずに済むんだがな」
小声で言って、周りを苦笑させる。沖田がやや離れた場所で、竹刀を振るいながら
「いや、そうとも限りませんよ。竹刀剣術で一流でも、真剣は別ですからね」
「それはそうだが、酒井先生は真剣でも結構強かったらしいからな」
永倉と一緒に帰ってきた藤堂が言う。斬った奴はかなりの凄腕だろうというのが、剣術仲間での専らの評判だと。
「噂によると犯人は若かったらしいから、ここが疑われても無理はないな」
奥から出てきた山南が口に出した後、土方と視線があった。ややあってそらしたものの、疑われているような気がしてむっとした土方は
「よし、俺たちで犯人を探して突き出そう。いつまでも同心にうろついてられると気分が悪い」
「しかし歳、探すと言っても」
近藤がそう言いかけた瞬間、門の方から声がした。
「頼もう!」
道場破りだと悟って、皆緊張する。近藤が下男を迎えに行かせようとした瞬間
「鏡心流酒井道場の者でござる! 主はおられるか!」
皆、どきっとして顔を見合わせる。近藤が頷き、下男が迎えに行った。

 「果たし合い!?」
先方の申し出に、声を上げたのは沖田だった。
「我らの師である酒井先生を、ここの誰かがやったという話だ。詳細については問わぬが、あくまで庇い立てするならこちらとしても覚悟がある。剣で決着をつけよう」
喋っているのは一人だが、その彼の背後に兄弟弟子らしいのが三人座っている。今にも斬りかかってきそうな異様な雰囲気に、近藤・土方・沖田の三人は顔を見合わせた。ややあって土方が
「敵討ちと言われても、俺たちは現にやっていない」
「しかし、奉行所の同心たちの話に寄ると」
「そうまで言うなら、証拠はあるんだろうな?」
相手を遮っての土方のきつい口調に、彼らは沈黙した。
「証拠もないのに言いがかりをつけてきて、見当違いも甚だしい。こっちは願い下げだ」
「しかし、奉行所が…」
「奉行所の下っ端どもと同じく剣を志した者と、お前らはどっちの言い分を信用するんだ」
追い打ちをかけるように、厳しい声で言う。相手は顔を見合わせ、返事が出来ないようだった。ややあって一人が
「では、今日はこれにて失礼つかまつる。我らは師の仇を捜しており、もし万一そのことに関する情報があればお知らせ願おう」
軽く一礼し、残りを引っ張って帰り始めた。

 彼らを見送った後、戻ってきた近藤は土方に
「どうする、歳」
「さっきも言ったが、俺たちで犯人を突き出すのが一番手っ取り早い」
「そうは言うが、犯人のあてはあるのか?」
近藤には、そこの自信がいまいちなかった。
「二十歳そこらで道場主を斬り殺すような奴だ、よほどの剣客だろう。そこから探ればある程度絞り込みは効く。あと酒井先生の当日の行動を調べることだ。どうも相手と喋りながら歩いていたらしいんでな」
土方はそう説明した。そして道場の方に戻りつつ
「この件は俺が仕切るから、近藤さんは動かなくていい。奉行所と衝突したら面倒だ」
「分かった、すまんな」
それだけで、二人の間の話はついた。

 取りあえず、皆に話して役割分担を決めねばなるまい。そう考えながら道場に着いた土方に、沖田が声をかけた。
「どうするか決まりました?」
「ああ。犯人を捜してとっ捕まえて突き出す」
「あ、やっぱり」
沖田は軽く笑って頷いた。更に
「僕は聞き込みがいいなあ。道場で人捜しするほどの人脈もないし。どっちかというとそういうのは永倉さんや藤堂さんの仕事でしょう、ねえお二人さん」
そう言っていきなり背後を振り返ると、永倉と藤堂がちょうど近づいてきた所だった。急に自分の顔をのぞき込まれ、永倉は少々驚いた様子で
「そうは言っても、道場全部知ってるわけじゃないしなあ」
頭をかきつつ応じた。一方の藤堂はあっさりと
「まあ、行けばどうにかなるだろ。じゃ、俺は行ってくるか」
「──っておい、本気で調べて回る気か?」
「嫌なら来なくていいんだぜ」
藤堂は、道場を出るべく既に歩き出してしまっている。慌てて後を追う永倉を見送って、沖田が
「じゃあ、山南さんと僕で聞き込みやって来ますね」
と勝手に宣言し、山南に二言三言話しかけると二人して出かけていった。

 「それにしても、俺のいねえ時に勝手に決めやがってよお」
ご飯を食べつつ、原田は不機嫌そうだった。沖田が明るく
「じゃあ、原田さんも明日から手伝って──って、聞き込みと道場当たるのとどっちがいいですか?」
「どっちでもいいが、面倒くさくない方がいいな」
実際に調べて回った四人は、顔を見合わせて思わず苦笑する。ややあって藤堂が
「面倒くさいのはどっちもどっちだと思うが」
「じゃあ、喧嘩できそうなのはどっちでえ」
「そりゃ藤堂さんたちの方でしょう。道場行くんですから」
とんでもない発言に沈黙した藤堂に代わって、横から沖田が言った。それに永倉が
「おい、沖田君。喧嘩に行くわけじゃないんだぞ」
「ひょっとしたら、殺した本人に当たるかも知れないじゃないですか。そうでなくとも槍に勝つには三倍の力量が必要って言いますし、原田さんに勝てたらそれだけで十分強い証明になると思いますよ」
「なるほど、相手の強さを調べるためか」
永倉と藤堂はみそ汁を飲む手を止めて苦笑混じりに顔を見合わせ、頷く。当の原田は
「ま、俺は暴れられればそれでいいんだが。──で、今日の結果は?」
「犯人に関する、目撃情報がありましたよ」
ねえ山南さん、と沖田は声をかけた。今まで無表情だった土方の目が、鋭く光る。
「ああ。──何でも、前髪が簾のように長い男らしい」
「前髪が?」
「顔のことは暗闇だったのでよく分からないそうなんですが、それだけは月の影で見えたそうです」
斬殺体のある現場から遠くない箇所で、犯人と思しき男が立ち去るのを見ていた者がいたのだ。年齢に関しては、斬殺される少し前の声からの推定だという。
「声だけで、犯人を推定されちゃたまらねえな」
土方が、茶を飲む手を止めて露骨に不機嫌そうに言った。永倉は軽く笑って
「いずれにしても、前髪が簾のように長いってだけでだいぶ人相は絞り込めるな。まあ今は切ってるかも知れんが、酒井先生が殺される前後まで前髪を伸ばしてた奴も含めれば大丈夫だろう」
「そうだな。我々は明日も聞き込みは続けるが、そちらも頑張ってほしい」
山南がそう応じて、夕食の席での打ち合わせは終わった。