るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十六 斬殺二つ(2)

 「前髪が簾のように長い、若い男?」
知らねえなあ、と相手は首をひねった。その彼は近くの男にも訊くが
「さあ。俺も知らん」
と応じられ、永倉たちに謝る。いいんだよと応じておいて、その場を離れた。
 この二日ほど、永倉・藤堂・原田の三人は、犯人と思しき男について剣術道場を中心に調べて回っていた。ところが一向に手応えがなく、ついには流れの剣客かと思い始めていた。
「こんなことなら、聞き込み組に参加するんだったぜ」
道場から道に出て、ぼやいたのは原田左之助。更に指をボキボキならしつつ
「暴れられるっていうから、こっちに参加したんだ。なのにこの数日、何も起きやがらねえ」
「こっちだって、早く決着つけたいさ。苛ついてるのは君だけじゃない」
藤堂が応じる。それに原田が何か言いかけた時、永倉が素早く片手で制した。咄嗟に気配を殺して彼の視線の先を見ると、一人の男が歩いてくる。
 年齢は二十代とも三十代前半とも見え、率直に言って不詳。が、簾のように長い前髪と腰を落とした歩き方は、犯人と思しき凄腕の剣客の条件にぴったり当てはまる。目は瞳が見えないほど細く、顔は微笑を浮かべているようにも見える。
 永倉たち三人は、その男の後をつけることにした。

 その男は散歩しているようで、つけられていることに気づいて警戒する気配はない。それでも三人もいればまずいだろうと判断し、藤堂が試衛館に戻って土方に連絡することになった。二人だけになった永倉たちは、男の十歩ほど後を歩いている。
 道が次第に、町外れになりつつある。秋でもあり、ススキの生えた荒れ地が点在している箇所まで来た永倉たちは、気づかれないようにこれまでより更に距離を空けようとした。そこに
「こちらは気づいてるんですがね、さっきから」
不意に前方から声がした。つけていた男が振り返る。咄嗟にそれぞれの武器に手をかけた永倉と原田に、
「町中で斬り合うのも何ですから、こっちに誘導したんですが。見事に乗ってくれましたね」
「て、てめえ!」
原田が目をつり上げて怒鳴り、背にかけていた槍を抜いて突進する。相手の男はおもむろに刀の柄に手をかけた。
   カキーン!!
 相手は刀を抜きざま、切上げで槍に応戦する。そのまま交差した二人の体は、数秒経っても全く動かなかった。そのときである。
「!」
ぽとり、という音と共に、原田の槍の先端部が地上に落ちた。

 原田はその瞬間、呆然として目をむいた。永倉でさえ声もなく、刀を納めた簾頭の男を見つめている。その男が歩き出した瞬間
「てめえ、待ちやがれ!! それで決着ついたと思うな!!」
原田が振り返って詰め寄った。相手は興味がないようで、脇をすり抜けようとする。原田が腕をつかんで大声を張り上げた。
「こっちは用が済んでねえんだ。逃げる気か、おら!」
「逃げるも何も、さっきので決着ついたでしょう。そちらは戦えないはずですが」
「何だと!!?」
「はい、そこまでですよ。お二人さん」
全く平静な、この場ではのんびりしたとも聞こえる声が、不意にかかった。
 沖田総司が、常と変わらぬ笑顔で姿を見せた。

 いきなりの登場に永倉たちも驚いたが、目の前の簾髪の男もその存在に気づいていなかったようで、目を見開いて琥珀色の鋭い瞳でずっと沖田を凝視している。
「今、山南さんに試衛館に行って貰ってますんで、少し待ってて下さいね。土方さんを呼んで来ますから」
その中を全く平然と歩いてきて、沖田は言った。永倉の前まで来ると
「これ、飲みます?」
竹筒を差し出す。中にはお茶か水かが入っているようで、永倉は遠慮なく受け取った。その間に沖田は視線を巡らし
「原田さんもどうぞ。──簾髪のおじさん、僕の顔に何かついてます?」
男は沖田を、さっきから凝視し続けていた。声に気づいて顔をそらし
「おじさんなどと、言われる年齢ではないんだが」
呟くように言う。沖田は近づいてきて
「へえ。じゃあ、何て呼びましょうかね」
「斎藤」
それが、男の名前らしかった。付け加えるように
「正式には斎藤 一だが、斎藤でいい」
「じゃあ、斎藤さんって呼びますよ」
応答はなかった。斎藤と名乗るその男は、近くの荒れ地の中に腰を下ろす。


 土方が藤堂と山南の案内で現れたのは、それから約一刻(二時間)後のことだった。
「総司、男はどこだ?」
「斎藤さんならあそこですよ。ほら」
と指さした先には、確かにそれらしい男がいる。土方が近づこうとした時、
「斎藤さん、土方さんが来ましたよ」
沖田は彼にも気楽に声をかけていた。が、土方はそれ自体引っかかったようで
「おい総司、斎藤さんって何だ。お前の知り合いか?」
思わず軽い詰問調で訊いてしまった。当の本人は全く平然と
「別に、ついさっき知り合ったばっかりですよ。斎藤と呼んでくれって言うから、呼んでるだけです」
「あのな」
斎藤は倒すべき存在なのに、沖田には緊張感が全くない。呆れて閉口した土方だが、深呼吸して表情を引き締め、斎藤の所に向かった。
 「斎藤──と言うそうだな」
「そうだが、何の用だ?」
この斎藤という男、実はかなり傲岸不遜らしい。
「立ちあって貰おう」
「──何故?」
「鏡心流の酒井光次郎殺害の一件、犯人はお前だろう」
ズバリと言い切ったのだが、斎藤は無関心な様子で
「仮にそうだとして、何故俺があんたと立ちあわねばならないんだ?」
「関係ないと言いたげだが、こっちはそうも言ってられねえ。光次郎殺害の嫌疑がこっちに降りかかって来て、鏡心流の弟子どもが果たし合いを申し込んできたんだ。だから──」
軽く息をついて、斎藤は応じた。
「なるほど。しかしそれは、ある意味であんたらの自業自得だろう」
「何だと!!?」
掴みかかりそうな勢いで声を上げたのは原田だったが、他の者も表情を険しくしている。
「あの辺に道場があるなど、聞いたこともない。どうせしがない貧乏道場だろう。そこにこうも血気の多いのがいれば、疑われるのも無理はない」
その台詞に怒って殴りかけた原田を、土方が片手で制した。そして
「要するに、認める気はないと」
斎藤は無言で立ち上がり、刀の鞘に手をかけた。土方も同じく鞘に手をかけ、柄を握りつつ間合いを計る。双方相手の目を見据え、まさに一触即発の様相となった、その時。
「そんな、真剣でやり合ったら二人とも死んじゃいますよ」
沖田が、相変わらず緊張感のない声で二人の間に立った。
「総司」
「こんなこともあろうかと、ちゃんと用意してたんです。はい木刀」
不満そうな土方を無視して、どこからか持ってきていた木刀を二本、斎藤と土方のそれぞれに差し出す。互いを見据えたまま、受け取ろうとしない二人に
「受け取らないと、ずっとお二人の真ん中にいますからね」
沖田は宣言した。すると一瞬間を置いて、斎藤が無言で木刀を一本受け取る。そしてそれで、再び身構えた。沖田はそちらに笑顔を見せると、反対側の土方に強い口調で
「土方さん」
「──分かった」
不承不承といった感じで、彼も木刀を受け取って身構えた。それで沖田は引き下がり、代わって永倉が
「じゃ、審判は神道無念流の俺がやるか」
二人の間に立つ。そして手を挙げ
「他流試合、三本勝負! 天然理心流・土方歳三対一刀流・斎藤一」
そこまで言って、二人の様子を一瞬で見定める。そして
「一本目、開始!!」
この時、土方も斎藤も、互いに相手の実力を知らなかった。

 数秒ほど、二人は動かない。互いに間合いを計り、攻撃する機会を窺っているようだ。何しろ初対面同士、相手の手の内が読めない。
 風が吹き、ススキがさわさわと音を立てる。斎藤が動いた。
『速い!』
沖田が半ば驚愕して内心で叫んだ通り、突進してくる速度が尋常ではない。踏み込んで斬りつけ、受け止めようとした土方の木刀を跳ね飛ばしてそのまま肩を袈裟斬りにした。低い、重みのある音が聞こえる。
「おい、審判」
呆然としている永倉に、斎藤は声をかけた。それで我に返り
「あ…ああ。斎藤一、一本!」
と手を挙げたものの、視線は土方の方を見つめている。その土方は、心配そうな周りの視線を完全に無視して木刀を拾いに行き、戻ってきて身構えた。その間終始無言で、身構えた後で視線を永倉に送る。
「では、二本目。試合開始!!」

 次の瞬間、今度は土方が攻め込んだ。構えはやや下段よりの中段で、相手に向けて斬りかかる。斎藤も動き、二人は一合斬り結ぶとそのまま押し合う。ややあって飛び離れ、間合いを計った。再び斎藤が動いて斬りかかろうと木刀を振りかぶった瞬間、木刀同士の衝突音が響き渡った。
 見ると、土方が自分の頭よりも更に上の位置で斎藤の木刀を受けている。予想外の高さで斬撃を受け止められたその瞬間、体の平衡が僅かに崩れた斎藤を見逃さず、土方は自分の木刀を滑らせるようにして相手の胴に一撃を叩き込んだ。
「土方歳三、一本!」
永倉の声が響いた。沖田が安堵の笑みを浮かべている。原田や藤堂、山南もほっとした様子だった。何しろ試衛館の名誉がかかっている。
「しがない貧乏道場というのは、撤回する。あんたを見くびっていたようだ」
そこに、痛みが治まったらしい斎藤の声が、反対側から聞こえた。薄く笑っている。
「改めて、三本目の手合わせを願おう」
「分かった。──永倉君、最後の一本を頼む」
頷いて、永倉は手を挙げた。二人はそれぞれの位置に戻って身構える。
「三本目、始め!!」
号令と同時に、手を振り下ろした。