るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の七 二つの再会(1)

 剣心と別れて、そろそろ半月になる。相変わらず試衛館の居候仲間と接触する機会のないまま、洋子は日を過ごしていた。葵屋の翁やお増が儀礼ではなしに好きなだけいらして構いませんよと言うので、手伝いをしながら泊まり込んでいる。
「芹沢とかいう奴の下で働くのは、はっきり言って御免だし」
詰まるところこのわけの分からぬ人物さえいなければ、とっくに壬生に行っている。聞けば剣の腕は立つものの一種の狂人で、お世辞にも京都の警護など勤まる器ではないというではないか。仲間の苦労は思いやるものの、万一壬生で芹沢に出会おうものなら、何をされるか分かったものではない。
「やれやれ、とはいえ最近暇だし…。紹介された道場に行ってみてもいいけど、なんかあの人たちに会いそうで嫌なのよね。隊士募集中とかであちこち駆け回ってるらしいから」
沖田辺りに逢えればいいが、斎藤には絶対に会いたくない。この悪人面の男の場合、洋子には気づいた途端に公衆の面前で「阿呆」と言われるだろうという確信めいたものさえあった。下手をすれば一発竹刀で殴りかねない。
「さすがにそういう目には遭いたくないのよね、こっちは」
道場ではもちろん男装だから、門人たちに紛れ込もうと思えば出来るかもしれない。だが何故かすぐにばれそうな気がして嫌なのだ。そして問題は、ばれた後の身の振り方だった。今の実力では京都の警護など勤まらないし、長州に行った剣心のこともある。
 今頃どういう待遇を受けているか知らないが、彼だけは敵に回したくないのだ。強すぎるほど強いし、遠からず幕府と長州は敵対するだろうということを考えると、どこかの修羅場で剣心と新撰組が遭遇する可能性もある。そのとき剣心を敵として斬れるか、洋子には自信がなかった。
「斬らなきゃ斬られるだけだろうけど…。あーあ」
などと言っている彼女だったが、決して稽古そのものは怠けていない。剣心と使っていた場所をそのまま使い、一日中激しい稽古に励んではいるのだ。ただ、いつまでも葵屋にいるわけにも行かない。そろそろ出ないと迷惑だろうなと思うのだ。
「やれやれ、どうすればいいんだか」
ため息をつきながら京都市中に戻る。葵屋までもうすぐそこというある街角で、ふと女の悲鳴が聞こえた。続いて中年の男の助けを求める叫び声、物を運び出しているらしい音。すぐ近くだと思い、鯉口を緩めつつ声のする方へ走り出した。
 この手の『御用盗』には、洋子は何度も遭遇している。その度に彼女は盗人たちと渡りあって、時には軽傷を負いながらそう時間をかけずに倒しているのだが、なかなか剣心のようには行かない。まして新撰組のように大阪の大商人、鴻池の京都別邸を襲った御用盗を倒すほどにはなっていないのだ。それでも似非志士の御用盗相手なら十分つとまる。
 声のした角を曲がると、洋子は刀を抜いた。峰打ち用の持ち方に素早く変え、金の入った袋と高価そうな置物を持ちだそうとしている数人の浪士を声もなく急襲する。
「な、何だき……ぐへえっ!!」
最も手前にいた男は、柄に手をかける間もなく脇腹に痛烈な横なぎを食らって倒れた。そのまま洋子は慌てる周囲の男たちの先手を取り、風のように駆け抜けながら敵が刀を抜いて身構える一瞬の隙を狙ってそれぞれほぼ一撃で倒す。そして全員を動けなくしたあと、刀を納めて被害者の店の主人の前に立った。
「大丈夫かい、ご主人」
主人は大げさに頭を下げてみせる。
「ええ、もう、おかげで助かりやした。ありがとうございやす」
「叫び声が聞こえて立ち寄っただけだから、そう大げさにしなくてもいいよ。じゃ、ちょっと急ぐから」
そう言うと、洋子は引き留めようとするのも聞かずに立ち去った。

 と、そこに新撰組が現れる。彼らもこの騒ぎ声を聞き付けてやってきたのだ。
「あれ、みんな倒されてる」
先頭の沖田が首を傾げた。最初の声からさほど時間は経っていない。
「一撃でやられてます。峰打ちですよ」
ざっと検分した平隊士が言った。沖田はうなずき、まだその場にいる主人に声をかける。
「ねえ、ご主人。こいつら倒したの、誰?」
「ああ、ついさっきまでその付近を歩いてらしたんどすが。もう姿が見えまへんなあ」
言いながら、京都人の穏和さを持ったこの中年の主人は、ついさっき洋子が歩いていった方を額に手を当てて眺めた。勿論それらしい人影はない。
「そうですか…。仕方ないな」
沖田はそう呟き、隊士に倒れている男どもを奉行所に引き渡すように言った。
「そうそう、そう言えばその剣客はん、旦那と訛りがよう似てらしたわ」
「僕と?」
沖田は驚いた。この当時、訛りとはその人物の出身地を知る重要な手がかりだった。訛りが似ているとは、つまり同郷の可能性が高いことに他ならない。
「背丈も同じくらいどした。まだ元服前どすやろなあ、後ろ髪を結んではって、顔もなかなかの美男子どす。どこかの武家はんのご子息はんやろ」
「――!」
その台詞に、沖田は直感的に思い当たることがあった。だが、その場ではそれはおくびにも出さず、屯所に帰ってから土方の部屋に行って
「洋子さんが、来てるかもしれません」
と、小声で告げたのである。

 

 「今日、見回りに行ったら御用盗が返り討ちにあってまして。僕らが声を聞いて駆けつけたときには盗賊は全員のびてましたから、倒した人に会ったわけじゃないんですが。――それでそこの主人が言うには、倒した剣客の背丈は僕くらいで訛りもよく似てる。年齢は元服前くらいで顔もかなりの美男子、雰囲気はどこかの武家の子息だそうです。まあ別人かもしれませんが」
書いていた手を止めて自分を見上げた土方に、沖田はそう説明する。
「――そうか」
数秒考え、監察の山崎を呼んだ。やってきた彼に沖田が見聞したことを説明し
「その人物のことを調べてもらいたい。敵か味方かわからんが、要注意人物だ」
「分かりました」
山崎は余計な推測などしないため、土方は気に入っている。この日もそう言っただけですぐに部屋を出た。沖田の方に向き直り
「差し当たって、これで良かろう。あとは判明した時点で考えるさ」
と、呟くように言った。

 「ふむ…壬生の者がな」
葵屋の奥で、翁と誰かが何やら話し合っている。
「あの方がおられることに、どういう経緯か知りませんが感づいたと見えます」
「じゃろうな。さすがにもうそろそろだとは思っておったが…」
顎髭をなでて翁は呟いた。話し相手が訊ねる。
「どうなさいます。放っておかれますか、それとも妨害しますか」
「積極的に妨害する必要もあるまい。まさかいきなり普通の宿屋を襲うこともなかろう」
相手が苦笑する。声を落として応じた。
「普通の宿屋、ですか。ここが」
翁は頷いた。さも当然というように。
「まあ心配せずとも、壬生の者に負けるほど落ちてはおらぬ」
そう言って、翁は豪快に笑った。

 

 数日後。洋子がいつものように稽古に出ている、ある昼下がり。葵屋の前に男が立っていた。服を見ただけで新撰組の一員と知れる。
「新撰組副長、土方歳三である。主はおられるか」
洋子が偽名を使っていることも考えられるし、そもそも昼間はいないらしい。現在の新撰組の力ではいきなり引き渡しを要求するわけにもいかず、取りあえず彼女を泊めている宿屋の主人に話をつけようと思ってやってきたのだ。
 山崎が昨日までにまとめた話では、洋子と思われるその人物は今年の春から市中に出没している。一時期は同年代の少年と行動を共にし、京都のみならず大坂や奈良まで足を延ばしていたらしい。ただ最近は一人で朝早くどこかに出かけ、夕方に帰ってくるという生活を送っているようだ。宿泊しているのは一貫して葵屋という旅館で、大坂や奈良に出かけていた時も泊まったのはその旅館の主人の紹介があった所という。
「時々人助けもしているそうですし、江戸訛りはありますが長州や土佐との関係もないようです。女遊びの形跡も聞きませんし、敵となる人物ではないと思いますが」
そうか、とその時土方は言った。勿論彼は、同じ試衛館にいた人々には「沖田から聞いた話だが」と前置きをつけた上で洋子が京都にいる可能性を伝えてある。反応は様々だったが、露骨に嫌そうな顔をする人物はさすがにいなかった。
「新撰組副長、土方歳三である。主と折り入って話があるゆえ参上した」
芹沢のせいで、今の新撰組は余りよく思われていない。後になってみれば新撰組という存在そのものがそうなのだが、近藤たちが実権を握ってからは少なくとも畏怖の対象ではあった。この当時の新撰組はそれでさえない。
 さてどう話を切り出そうかと考えていると、物音がした。年若い娘が扉を開ける。
「あの、何か御用でしょうか」
やや緊張しているのが分かる。土方は
「宿の主に、折り入って話がござる。出来れば二人きりで話し合えるようにしていただきたい」
と言った。娘は頷き、取りあえず玄関に入れる。そこに足音が聞こえた。
「翁……」
姿を見せたのは翁こと柏崎念至だった。

 奥の客間に通され、お茶が入った後土方と翁は二人きりになった。
「この暑い中を、わざわざようお越し下された。江戸とは暑さの種類が違いましょう」
「ええ。こう、肌にまとわりつくような暑さと言いますか…」
そう言いながら、土方はこの老人たちの正体をある程度看破していた。歩き方、目つき、どれを取っても普通の町人ではない。かなり専門的に武術を習い、それ以上に特殊な訓練を受けていることが窺えた。
「で、ご用件は何でしょうか」
一通りの挨拶が済んだ後、翁はそう訊ねた。
「こちらに泊まっている客の中に、是非会いたい人物がおります。噂に聞いているだけなので、名前までは存じませんが」
「――静姫のことですかな」
いきなりそう言われ、さしもの土方も応答が出来なかった。

 「土方君、君にもある程度察しがついておろうが、我々は普通の町人ではない。幕府の隠密じゃよ。御庭番衆の京都探索方といってな、朝廷などの情報を探るのが仕事じゃ」
御庭番衆、と言われて土方には思い当たる節があった。江戸にいた頃、洋子と御庭番衆の間でちょっとした騒動が起きている。
「静姫のことは、我らもしらなんだ。あの一件がなければ、永久に知ることはなかったやも知れぬ。お手数をおかけして、申し訳ない」
土方は黙っている。頭の中だけは回転していた。
「とはいえ、あの方がご自分で選ばれた道じゃ。今更、身分を追及して我らの庇護下に留めておく気はない。──ただ」
と、翁は懐紙に名を記したものを土方に示した。芹沢、とある。
「この者の影響を新撰組から排除せねば、あの方の安全に支障が出る。すぐにとは言わぬが、よろしく取り計らってもらいたい。裏工作は我らが引き受けるゆえ」
土方はすぐには応答しない。確かに芹沢を排除して近藤を名実ともに新撰組の局長にすることは、差し当たっての彼の目標だった。だが、御庭番衆にとって芹沢を排除する利点は何か。否、我々と繋がりを持つ利点は何か。洋子の身を守るなどというのは名目上のことに過ぎない。もっと深層の目的は何か。
「これは御頭からのお指図でな。もし事が上手く運べば、我々が築いた京都一帯の情報網からの情報を、そちらに提供しよう」
ほう、と彼は目の前の中年男性を見た。新撰組の任務が京都一帯の治安維持であり、脱藩浪士が変装して上京する現状では、情報の有無は任務遂行に重大な影響を与えるだろう。事情を詮索させないための取引だなと見当はついたが、こういう取引なら悪くない。
「分かりました。では、もしよろしければ洋子と会ってから…」
「そうですな、少しお待ちいただくことになると思いますが」

 「翁、いいんですか」
と、お増は聞いた。
「なに、『闇乃武』に我らの力を知らしめるためには止むを得まいて。あいつらは自分たちが昔から朝廷を監視してきたのを鼻にかけて、我らに情報を提供しようともせん。幕府側の隠密が二つに割れて争っておるなど、敵に知られればいいカモじゃ」
黒船来航以前は、闇乃武と御庭番衆はそれなりに分業していた。そもそも起源は闇乃武の方が古く、関ヶ原直後に豊臣家や西国大名監視のために設けられたものだ。その後紀伊から出た吉宗が八代将軍に就いた際、自分の就任に不満を持つ大名が反乱や陰謀を企てることがないように設置したのが御庭番衆というわけである。
 その後、寛政の改革期に闇乃武は朝廷中心、御庭番衆は大名中心となったわけだが、大名が朝廷を担ぎ上げて策動するようになると両者の守備範囲が重複することも多く、協力せねばならぬはずなのに現実には反目しあっている。どのみちあの男では長く持つまいと見てはいるものの、差し当たって今の状況を改善しなければならないのだ。
「ま、大丈夫じゃよ。中納言様は我らの味方ゆえ」
中納言とは、この場合一橋慶喜(後の徳川慶喜)のことを指していた。