るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の七 二つの再会(2)

 「ただいま帰りました」
洋子が葵屋に帰ってきたのはいつもの時間だった。お増が早速迎えに出る。
「お帰りなさい、洋さん。それで、貴方に会いたいって言う人が来てるんだけど」
「私に?」
洋子は首を傾げた。潜在的に迎えに来そうな人物は両手の指に余るほどいるが、では誰が来ているのかとなるととっさに判断が付かない。
「そう。奥の方で待ってるわ。知り合いだって話だけど」
そりゃああかの他人と名乗って会いに来る人はいないだろう、と思いながら洋子はその人物がいるという奥の間の角を曲がった。鋭い気配が立ちこめる。
『うわー、こりゃちょっとヤバいかも…』
思わず苦笑する。逢わずともどういう種類の人間がいるか見当がついていた。
「お久しぶりです。入りますよ」
最初からそう言って襖を開ける。中にいた人間は少々予想外だった。
「土方さん、ですか」
「まあな。沖田から聞いた」
余人は見あたらない。これは事情を説明した方が良さそうだと洋子は判断した。

 近藤をはじめとする試衛館の者たちが二月上旬に江戸を出たとき、洋子は神道無念流の斎藤弥九郎道場に預けられた。身元保証は土方の姉婿である佐藤彦五郎に頼み、しばらくは何の事件もなく過ごしていたのだ。ところが三月に入ると人につけられるような気配を感じるようになり、ついには英集会の崩れものと思われる連中に狙われる羽目になる。
「さすがに佐藤さんたちの所に押しかけられても困りますから、江戸を離れた方が良いかなと思いまして。どうせ旅に出るなら京都にでもと」
そして、京都に入った初日にここに勤めている女性が土佐藩の藩士に絡まれているのを助け、そのお礼としてただでここに泊まらせて貰っているのだという。
「そう言うわけで、もうしばらくこっちにいます。沖田さんに心配しなくてもいいからと伝えて下さい」
「そういうわけにも行くまいが」
と、土方は言った。取りあえず礼遇されている様子にはほっとしたが、ここには水戸系の過激派浪士が出入りしている気配もある。何か騒ぎに巻き込まれないとも限らない。
「今、都の旅館は大抵不逞浪士どもの巣だ。ここにも水戸系の輩が出入りしてるらしいし、近々幕府も大規模な取り締まりに乗り出すという。何かあってからだと取り返しがつかんだろう」
「大丈夫ですよ。私、自分の身は自分で護りますから。そのためにこの暑い中を稽古に行ってるんですし。迷惑はかけません」
大丈夫と繰り返す洋子の言葉を聞きながら、実は何をそんなにこだわっているのか、と土方は考えていた。
 確かにこの数ヶ月で、彼女の剣腕はかなり上達しているようだ。ちょっとした修羅場なら斬り抜けられるだろうし、他の旅館に行くよりはここにいた方が安全だろう。だが今回の場合、洋子には何か隠し事があるように思えた。
「それに、新撰組に女がいたら統制上何かと困るでしょう。かといって今更江戸に戻っても狙われるだけですし。大丈夫ですよ、ここにいても」
「その付近は男として通せばいい。この服装でなら通るさ」
そう言って、底光りのする眼で洋子を見やる。
「それとも、何かお前の方で困ることでもあるのか」
返答はなかった。言葉に詰まっている風である。京都に来てからの数ヶ月、自分たちの与り知らぬ所でこの娘なりに事件があったのだろうと土方は推測し、それ以上の質問は敢えてしなかった。沈黙そのものが、ある意味で回答になっている。
「──まあ、その付近はともかくだ」
と、いったん追及をうち切っておいて土方は言った。
「俺に教えた沖田は個人的にもお前に会いたがってる様子だったし、斎藤あたりも口には出さんが気にはしてるようだ。数日中に誰か接触してくる可能性もある」
「気にしてますかね、あの斎藤さんが」
洋子は疑わしげに口を挟んだ。彼女などいない方が良いと考えているとしか思えない態度を、斎藤は江戸で常に取っている。
「まあ来られたら困る程度には、思ってるでしょうけど」
土方は相手の毒舌に苦笑したが、否定もしなかった。自分が誤解されていることを一向に気にかけないこの男は、他人同士の誤解も気にならないらしい。
「取りあえず、いつでもここから出ていけるように荷物の用意だけはしておけ。今日は俺も確認に来ただけだ、すぐ帰る」
「はーい」
頷いておいて、洋子は部屋を出る土方を見送った。

 やれやれ、と洋子は思う。どういうつもりで試衛館での仲間たちは自分に接触してきたのか。京都が地獄とも修羅の戦場とも呼ぶべき事態になっているのは百も承知しているし、現に血痕は毎日のようにあちこちで見かけた。さらし首を見たことも何度かあり、危険なのは言われずとも彼女自身分かっている。まして新撰組の任務を考えた場合、参加すれば危険に遭遇する可能性は今より高い。
「だから放っててくれって言うのに。分かってないなあ」
剣心とのことは置くにしても、一人で小悪党を相手にするのに必要な実力と、新撰組の隊士として不逞浪士たちを相手にするのに必要な実力とはかなり差がある。足手まといにはなりたくないし、結果斎藤にバカにされるのは絶対に御免だった。
「それにしても緋村、今頃一体何やってんのかなあ」
別れて以来音信不通で、無事に長州に辿り着いたかも分からない。行ってもよそ者扱いしか受けられないのではないか、果たして思うように活動できているのかと疑問だった。
「まああいつの腕前見たら、それなりに活躍はさせてもらえるだろうけど」
それが緋村の思うような活動かはよく分からないが、最近の長州は勢力盛んで、他の藩の連中とも交流はあるらしい。そう露骨に嫌がる者もいないだろうとは思うのだ。
「あと一回、緋村に会いたい」
洋子はそう呟いた。そうしなければどちら側に立つかの決心がつかないのだ。
 外では、夕立らしい雨が降っている。

 

 翌日、彼女は稽古に行きがてら長州藩邸の付近を通ってみた。もし剣心らしい人影が見つかったら声をかけるつもりだったのだが、どこにいるのか見あたらない。藩邸の中にいるとしたら見つかりづらいな、とその立派な様子に圧倒されながら洋子は思った。
 と、中から出てきた男二人が、歩きながら話している。
「これからどこ行く?」
「そうさなあ、飯塚さんに挨拶しに小萩屋にでも行って来る」
「そうだな。だったら俺も付き合うか」
 小萩屋? 洋子はまずその名を聞きとがめた。
 話によると誰かがそこにいるらしい。しかも長州に関係のある誰かが。
「国元では高杉さんも頑張ってるし、俺たちも負けないようにしないとな」
「ああ。攘夷の勅命を無視する幕府など、なくてよいのだ」
歩き方から、二人とも剣術の達人であることが分かる。尾行しても感づかれるなと思った洋子は、むしろ地元の人に小萩屋の場所を聞いて直接向かうことにした。

 「何だ、宿屋か」
小萩屋を見た洋子の第一声はそれだった。それほど大きくもない、どこにでもありそうな宿屋である。葵屋とは距離があるが、島原や祇園と言った遊郭街にないのが気に入った。時々足を運んで様子を見よう、と彼女は思い、その場を離れようとした途端
「じゃあ、出かけてきます」
聞き覚えのある声が耳に入った。振り返った洋子を、声の持ち主は認めて
「洋…殿…」
剣心は、目を丸くして相手を見つめた。

 「久しぶり、緋村」
洋子は微笑して声をかけた。
「長州藩邸の前を通ってみたら何か懐かしくなってさ、誰かがここに来るって言う話を小耳に挟んだから。ちょっと寄ってみたんだ」
剣心は返事をせず、相手の身体を隅々まで眺め渡している。
「江戸での仲間とは、逢えたのかい?」
声に棘がある。どうやら情報が漏れることを恐れているらしい。
「昨日、葵屋に土方さんが来た。──といっても、私がそこにいることを確認しに来ただけで、別に新撰組に入るつもりはないって言っておいたから。──私もあれから色々考えたんだよ。今の幕府が勅命に従ってないのは明らかだし」
加えて洋子の場合、旗本の娘でありながら一族に売られたという個人的な過去がある。逆恨みも混じっているかも知れないが、それを止められなかった幕府そのものが滅んでも別に構わないような気もするし、沖田に死なれたら嫌だが斎藤が死んでも悲しくない。今はその程度の感情なのだ。
「別に今は、恩義がどうこうってのはこだわってない。だからそう警戒する必要もないんだよ。──で、うまくやって行けそう?」
「まあ何とか、さ。今は京都の地理を覚えるのが先だって」
この時、剣心は自分が人斬りという役目を負わされることの見当はついていた。京都の地理に精通していなければ、紙切れ一枚の指示である場所で待ち伏せして暗殺することは難しい。まして京都は街路が碁盤の目のように区画され、ちょっと見ではどの通りにいるのか区別が付かないと言う問題もある。
「じゃあ、今から観光か。いいなあ」
「洋は? これから稽古?」
脳天気な言い方に、苦笑して訊く。笑って応じるには
「まあね。自分の身は自分で護るって、土方さんに大見得切っちゃったし。言ったからにはそれ相応の実力を身につけとかないと、後で事件が起きたときに大変だから」
言外にある意味を悟って、二人してにやりとする。その後剣心が訊ねた。
「じゃあ、稽古場は例の場所かい?」
洋子は、はっきりと頷いた。そして比較的真面目な顔で
「来たかったら来てもいいよ。あんたがいなくなってから、随分強くなったんだから」
「気が向いたら行くよ」
剣心はそう応じ、その時はそこで二人は別れた。