るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の七 二つの再会(4)

 沖田や斎藤に連れ去られてから数日後、洋子は葵屋に一人で姿を見せた。
「あの、洋ですが」
この『天城 洋』という名前は彼女の新撰組隊士としての名前でもある。江戸での知り合いとしてあの後すぐに『採用』され、待遇は平隊士ながら【見習い隊士世話役】ということで副長土方に直属する。と言ってもそういう職が正式にあるわけではなく、言うなれば見習い隊士として数人小姓役を勤めている同格者たちの筆頭ということで世話役と呼ばれているだけなのだが。
「ああ、荷物ですな」
沖田の言った通り、すでに話はついていたらしい。翁は中に入って、お増に荷物を持ってくるように頼んだ。程なく風呂敷包みと刀を持って、彼女が現れる。
「長い間、お世話になりました。ありがとうございました」
洋子はそう言って頭を下げた。そして支度金として貰った中の一両を、翁に渡そうとする。が、翁は首を横に振った。
「我々が何者か、すでに話は聞いておりましょう。貰うことは出来ませぬ」
「ですが……」
タダで泊まったとあっては気が引ける。押しつけようと思ったがびくともしない。
「あなたは幸せ者ですな。御庭番衆には身寄りのない者、親に捨てられて省みられなかった者、御庭番衆以外に帰る家も行くところもない者が数多くいますが、あなたは違います。あなたが危険だと思えば、約束を無視してまで引き取ろうとする人たちがいる」
洋子はどう応じればいいのか迷った。少し置いて
「でも、それがどこまで本心なのやら」
と言うと、翁は笑った。好々爺の笑み。
「いやいや、頼まれたからとて思ってもいないことをするほど卑屈な人間たちじゃありませんぞ、彼らは。口ではどうとでも言いますが」
特に誰のことを言っているのか、洋子には見当がついた。むっとして反論しようと口を開きかけた途端
「今の仲間を、大事になされよ。あなたのことを誰よりも気にかけている者たちゆえ」
「──はい」
頷いた洋子に、お増が荷物を渡す。刀一本と風呂敷包み、これは洋子が試衛館に正式にいることになったときと同じ荷物だ。刀を腰に差し、風呂敷包みを片手で持つ。
「時々は、遊びに来てくださいね」
お増がそう言って微笑んだ。洋子は頷いて応じる。
「はい。国の味が恋しくなったときにでも」

 

 さてと、と一人になった洋子は思う。太刀はこれでいいとしても、脇差しを買っておいた方がいいだろうと。彼女の刀は京都に来る途中で鑑定して貰ったところでは戦国時代の作で、なかなか有名な刀工の手になるものらしいが聞いたことのない名前なので忘れた。それはともかく武士の間では刀は大小二本を帯びるものらしいが、彼女はその一本しか持っていないのでもう一本買わなければならず、そのことを今、ふと思い出したのだ。
「とは言え江戸ならともかく、京都でそうそういい刀が見つかるわけもないしね。取りあえず物色してみるか」
呟いた後、洋子は近くの刀屋に入ってみた。
 「いらっしゃい」
迎えたのは中年の、眼光の鋭い主人の声だった。
「何をお探しで?」
人を鑑定するような眼でじろじろと見る。不愉快さを押し隠して
「脇差しのいいのがないかと思いましてね。太刀が折れたときに使えるような、少し長めのやつを」
と、簡潔に用件を伝える。ちょうどその時、別の人物が店内に入ってきた。
 客二人はお互いの顔を見て、驚きの表情をする。まさかこんな場所で会うとは、思いも寄らなかったらしい。
 別の人物は緋村剣心。抜刀斎という志士名をもらい、人斬りとしての活動を始める少し前の時期だった。

 「──その服装だと、新撰組に入ったみたいだね」
洋子は今、新撰組の制服を着ていた。
「うん……。二人がかりで誘拐して、そのまま有無を言わさず入隊させられたんだ」
当の二人が聞いたらどう反応するかは別にして、これが洋子の正直な気持ちだった。少なくとも自分から望んで入隊したわけではない。
「そうか……。いずれにしても、これからは敵同士になるわけか」
洋子は詰まった。向こうにとって大事なのは、今の状況であってここに至るまでの過程ではない。思わず緊張が走る。
「今度逢うときは、どこかの戦場か処刑場だ。それまで元気で」
そう言って店を出る剣心の後を、洋子は追った。店を出て二軒目で追いつき、回り込んで相手の正面に立ちふさがってこう言う。
「緋村、これからあんたが長州派の中でどういう役割を務めることになるのか知らないけど、私とやり合った頃の自分を忘れないで。汚れに慣れないで。そうでなければ、結局あんたは自分と同じ境遇の子供を作り出すことになるだけだから」
「──ああ」
剣心は頷いた。そして彼女の脇をすり抜け、立ち去っていく。
 こうして別れた二人が再会するのは、約一年半後の慶応元年初春。剣心に十字傷が付き、遊撃剣士として活動を始めた直後である。

 

 ため息をついて帰ってきた洋子を迎えたのは、沖田総司だった。
「あ、洋さん。荷物貰ってきたね」
「はい。暇な時はまた来ていいって言われました」
そう言ったが、何やら声に元気がない。
「どうかした? まさか葵屋で何か…」
「いえ、そんなのじゃないんです。大丈夫ですから」
洋子は笑顔を作って見せた。何かあったなと沖田は思ったが、追及はやめる。
「何かあったら、遠慮なく言ってほしいな。心配するから」
「分かりました」
応じておいて、洋子は奥に向かった。見習い隊士たちの控え室だ。今は局長が芹沢、新見、近藤の三人で副長が土方、山南の二人だから小姓役も合計五、六人はいる。中に入ると、三人が詰めていた。
「残る二人は?」
「芹沢先生と新見先生について行ってます」
「そう。で、他に何かなかった?」
この時期の新撰組隊士には、剣腕の劣るのが結構入隊している。見習い隊士などはその際たるもので、洋子は採用時の考試で彼ら全員を一人ずつ、一刀のもとに叩き伏せて世話役の立場を確保したのだ。
「そうそう、斎藤先生が用事があるそうです。帰ってきたら部屋に来るようにと」
「斎藤さんが?」
この斎藤とは、勿論斎藤一のことである。何の用だろうと訝りながら、洋子は控えの間を出た。

 「あのう、洋ですが」
と、斎藤の部屋の前で洋子が言った。実のところこんな所など来たくもない。用だけ済ませてさっさと帰ろう、などと考えているが応答がない。
「斎藤さん、洋です…いないのかな」
この場合、可能性としては二つある。斎藤が本当に部屋にいない場合と、いてもいない振りをしている場合。いるのに気づかないと直後に後ろから竹刀で頭をぶっ叩かれる(気配で気づけということらしい)ので、中の様子をそっと探った。どうやらいるらしい。
「入りますよ」
襖をそーっと開けて中に入る。一歩足を踏み入れた途端、殺気を感じて反射的に飛び下がった。木刀が眼前を一瞬で通り過ぎる。
 次の瞬間、洋子は刀を抜き打ちで横なぎにした。襖があっけなく真っ二つになり、倒れる音がする。
「まったく、どういうつもりですか?」
油断なく身構えて、彼女は相変わらずの表情で立っている斎藤に問いかけた。

 「試験さ。脇差しをくれてやるかどうかのな」
予想外の答えに、洋子は眼を幾度も瞬かせた。取りあえず手にした刀を鞘に戻す。
「掘り出し物の脇差しがあったら譲ってやってくれと沖田君に言われたんだが、そうそうタダでも譲れんからな。──こんなものでどうだ」
そう言って投げてよこしたのは、少し長めの脇差しだった。鞘は鉄、鍔はやや優雅な造りである。そこまで斎藤が選んだのかどうか、分からない。
「古道具屋で買ったやつだ。抜いていい」
スッと抜くと、背筋に寒気が走った。恐ろしいほど斬れそうで、見つめているとゾクゾクするのが自分でも分かる。かといってそれが不快ではない。むしろ心地よいのだ。
「気にいらんなら、この話はなしだ」
洋子は慌てて脇差しを鞘に戻し、腰に差した。斎藤は口の端で笑いを閃かせる。
「ありがとうございます」
そう言って、彼女は部屋を出た。一度も研いだことのない刀を、研がねばと思いつつ。