るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十二 四つの死(3)

 それからしばらく経った、六月十日。幕府から正式に、新撰組隊士を直参に取り立てるという通知があった。組長以上は旗本格、それ以下は御家人格であるが、建前上同志集団である新撰組としては、一括しての召抱えという最も理想的な形での通知だった。
 だが、それを全ての者が喜んで受け入れたかと言えば、実情は無論異なる。恐らく調査されただろうに、己の過去がばれなかったのが不思議な者、旗本という地位自体がどうでもいい者、そして直参になること自体が感情的に受け入れられない者。
 今後の身の振り方について、仲間内で話し合っていた佐野たちが高台寺の伊東の下を訪れたのは、それから二日後の夜だった。

 諸君らの気持ちはよく分かった、と伊東は言った。同じ志を持ち続けていることを確認できて嬉しく思う、とも。
「だが、我々は御陵衛士を結成する際に近藤たちと約束した。一度結成した後には、相互の移動は認めないと」
「ですが…」
新撰組に入る前から伊東と親交のあった佐野が、不満げに口ごもった。
「君らが、幕府の犬である彼らと行動を共にするのが難しくなりつつあるのは分かる。だが、もうしばらく耐えてくれ。今の我々の勢力では彼らと戦うことは出来ないし、彼らの情報がつかめるのも君らの協力あればこそだ。時が熟せば必ず我々の陣営に参加してもらう。それまでの辛抱だ」
中村は唇を噛んだ。剣術師範の天城洋にも勝てない自分は、役に立たないと思われているのか。だから我慢しなければならないのか。
「例え表面的に佐幕派であろうとも、心の内では常に尊王の志一つ。離れていても同志であることに違いはない。そう思えばこそ、諸君らを新撰組に残したのだ」
最初に彼らを新撰組に残すと決めた時と、ほとんど同じ台詞を繰り返す。佐野たちは顔を見合わせた。
「しかし、それでは」
言葉に詰まった茨木に代わって、佐野が一気に言う。
「我々は、尊王攘夷の旗の下に集ったのではないのですか。幕府の禄を食むことなど、同志一同誰も望んではいません。伊東先生もそう思われたからこそ、新撰組を脱退なさったのでしょう。我々も思いは同じです。なぜ幕府の犬である近藤や土方との約束にそこまで拘るのか、理解できません」
佐野に詰め寄られ、伊東は詰まった。やがて
「京都守護職に、このまま会津藩士としていられるように願い出てみてくれ。会津藩は尊王の志篤く、先の孝明天皇のご信頼も殊のほか厚かったようだ。彼らが許可すれば、また違った形での連携も可能だろう」
「──ですが、会津藩が許可しなかった場合は?」
茨木が、低い声で訊いた。伊東は少し考えた後で
「その時はその時で、打つ手を考えよう。軽挙妄動はくれぐれもせぬようにお願いする。君たちは、我々にとって必要な人間なのだから」
「分かりました」
完全にではないにせよ納得した様子で、四人は立ち去った。

 翌日。黒谷の金戒光明寺にある京都守護職の本陣を、四人の新撰組隊士が訪れた。四人とは佐野七五三之助、茨木司、富川十郎、そして中村五郎のことである。いずれも伊東に近い人物と見られており、監察方では警戒していた。
 そして彼らは、会津藩士としての残留、言い換えれば幕府直参の集団となった新撰組からの脱退を願い出たのである。会津藩の御預浪士組であるということから、隊士は全員、新撰組に入ると同時に会津藩士として武士の身分を手に入れることが出来た。残留というのはこの状況が前提にある。
 だが会津藩としては、彼らはまず新撰組隊士であり、それが御預浪士組である以上、自分達は組織としての新撰組にしか関与できない。従って近藤や土方の同意なしで四人の申し出を受けるわけにも行かず、急遽この二人を呼び出して彼らと話し合わせることにした。

 「今から近藤さんと俺で、黒谷に行く」
土方は、いきなり沖田の部屋に入ってきて言った。
「黒谷というと、会津守護職ですか」
寝たまま沖田は応じる。このところ彼は、寝ていることの方が多くなっていた。
「ああ。佐野君たちが『会津藩士として残りたい』と言って、守護職に来ているらしい。近藤さん一人だと先方が何をやりだすか分からんから、俺も行く」
「──私も行きます」
そこに、予想外の所から声がした。振り返って襖の方を見ると、洋子が思いつめた様子で立っている。
「話は伺いました。──監察方で監視はしていたのですが、まさかこういう手段を使ってくるとは思いませんでした。申し訳ございません、我々の手落ちです」
押さえた口調で言うと、深々と頭を下げる。土方が内心戸惑っていると
「この上、両先生に何かあっては取り返しがつきません。監察方を代表して、剣術師範兼務の天城洋がお供いたします」
「──何も、お前の責任じゃないぞ」
土方はそう言った。確かに伊東派の情報収集は彼女の任務だが、中心は斎藤を通じた御陵衛士の方の情報であり、新撰組に残留した者たちは基本的に対象外だ。従って責任を感じる必要はさほどなかった。
「ですが、私は伊東派の」
「そんなに中村君が気になるか?」
言葉を遮って鋭く訊かれ、洋子は言葉に詰まった。数秒ほど沈黙が流れた後、口を開いたのは土方である。
「分かった。ただし剣術師範としての同行だ」
護衛として同行自体は認めるが、監察としての仕事はするなという意味である。
 程なく近藤、土方、洋子、その他数人の護衛の平隊士を含んだ一行が、黒谷に向けて出発した。

 どうあっても会津藩士としての残留、つまり直参取り立ての拒否は認めない。例え会津藩士のままで新撰組に参加するということであっても、それは新撰組隊士全員の直参取り立てを決めた幕府の意志に反し、如何なる者であっても認められない。近藤・土方側はこう主張した。
「しかし、隊士全員が取り立てに同意したわけでもあるまい」
「確かに。なれど不満な者は、伊東先生の下で御陵衛士となることを選択する機会が既に与えられていたはず。その機会を行使せず、今更会津藩士の地位に留まりたいなど、おかしいではないか」
四人は一瞬言葉に詰まったが、富川が反論する。
「会津藩士の地位に留まることと御陵衛士になることとは、それ自体が全く違うではないか。我々は何も、現在の任務である京都守護が嫌になったのではない」
「それに、そうした意思表示が事実上認められなかった者もいる。彼らを同列に扱うのはおかしいではないか」
茨木が続けて言った。土方が声を低めて問う。
「見習い隊士のことか、それは?」
「そうだ。我々についてはそちらの言い分もあろうが、彼らはまだ格が軽く、そういう選択も出来ぬまま隊士として職務を続けている者ばかり。彼らの脱退も認められぬとはそちらの言い分でも筋が通らぬ」
「それ以前に、彼らが新撰組の脱退を望んでいるという証拠でもあるのか」
近藤が、やや狼狽した様子で声を出す。
「証拠か。これだ」
佐野が脱退願いの書状を、懐から出した。
 それは傘連判状のようになっており、誰が主導したか一読しただけではよく分からない。だが、伊東派であると見なされていたため、見習い隊士のままでいる者が過半数を占める。土方としては、いずれ戦うだろう伊東派の人間を重用するのを避けようとしてこういう人事にしたのだが、彼らはそれを逆用したのである。
「そこにある六名も、我らと同様のことを望んでおる」
「しかし、そもそも新撰組を抜けることが認められないことは局中法度に書いてある通り。諸君らも、ここに署名してある隊士らも、重々承知のはず。我々としては、それに繋がる行為も認めるわけには行かぬ」
近藤が、やや狼狽しつつ言う。茨木がやや詰問調で
「そうは言うが、会津藩士のままでいることが、何故新撰組を抜けることに繋がるのか。それを説明してくれねば、我々としては納得いかぬ」
「幕府の意志と会津藩の意志は、必ずしも同じではない。いざ対立が生じた場合、両方の立場の者が同じ組織にいては我々としても身動きが取れず、幕府と会津藩の双方にとって不利益が及ぶ。結局は会津藩士の者か幕臣か、どちらかが脱退することになろう」
土方が応じ、佐野たちは言葉に詰まって黙り込んだ。

 議論を聞きながら、洋子はそっとため息をついた。
 どうやら、近藤や土方には、認める気は少しもないらしい。会津藩士の地位に留まりたいと言ってはいるが、佐野たち四人の目標が伊東率いる御陵衛士との合流にあることは推測できており、御陵衛士そのものを「新撰組の離脱者であり、いずれ処刑するべきもの」と見なしている二人にしてみれば、尚更認められないだろう。
 彼らの立場からすれば、それは仕方ない。だが洋子にとっては、今回の問題は自分の離脱が認められるかどうかの試金石でもあった。
 無論、今すぐに離脱する気はない。問題は自分の正体が公になったり、自分の存在自体が邪魔になったりして新撰組にいられなくなった時、御陵衛士その他になることが出来るかどうかである。どういう経緯で彼らが会津藩士としての残留を望むようになったのか知らないが、多分裏で伊東が何らかの指図をしていたのは間違いない。──その結果が、この行動だとしたら──?
「逆に、我々としてはそうまで残留にこだわる理由が訊きたいものだ。京都を守護するという仕事が嫌になったのではないと富川君は言ったが、では何故幕府の直参になることを拒むのか。直参の方が明らかに武士としての格は上だ」
近藤が訊いた。佐野が最初に嘲笑して応じる。
「武士としての格など、我々には大した問題ではない。問題は今の幕府、特に将軍慶喜公が、朝廷に必ずしも従っていないことであり、我々としてはそんな将軍の下で働くのではなく、朝廷に忠義の篤い会津中将さまの配下として働きたいということだ」
「それは、誰の提案かな」
土方が、むしろ静かな口調で口に出した。一瞬詰まった四人を見やって
「まさか『いの字』ではないとは思うが」
ニヤリと笑ってみせる。歳若い中村の体が、びくっ! と一瞬大きく震えた。それを知ってか知らずか、茨木は
「さて、『いの字』とは誰のことかな。とんと思い当たらぬが」
一見笑顔で応じたが、唇の引きつりを見逃す土方ではない。
『やはり伊東の指示か。随分他人任せなもんだ』

 

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