その後、夕食を挟んで話し合いは続いた。洋子は後ろの方で宮川という名の平隊士と共に、無言で六人による話し合いを聞いていた。
──伊東が指示を出したのは間違いない。そして、その内容はさっき土方が指摘したのとほぼ同じだろう。言われた時の中村の動きで推測がついていた。
ということは、伊東は彼らが御陵衛士になることを拒否したのだろうか。江戸にいた頃からの知り合いである、佐野七五三之助も含めて。
『今更私が行っても、無理だろうな』
佐野でさえ、断られたのだ。新参者の自分が行っても、御陵衛士になれる可能性は低いだろう。伊東に話は通しているが、それは彼等とて同じことのはずだった。
今すぐどうなる、どうするという話ではない。ただ、洋子にはもともと幕府側に自分の本当の身分がばれなかったことの方が不思議だった。恐らく直参取り立ての決定前にはかなり徹底した身元調査があったはずで、「御陵衛士に奔ろうとした」として処断された隊士の中には、幕府のこうした調査に引っかかって消された者もいるのではないかと洋子は見ていた。彼女自身については御庭番衆の手で揉み消されたのだろうが、不安定な立場には違いない。
『そうなると、万が一ばれた場合、どうすればいい?』
あの世界に、戻るしかないのか。御陵衛士にもなれず、他に行き場のない私には。
暗い気持ちになって顔を伏せた、その時。
部屋の襖がすっと開き、鹿沼達三が姿を見せた。
「あ、鹿沼先生。お久しぶりです」
洋子が一礼し、それで気づいたのか他の皆も頭を下げる。当の鹿沼は
「今宵はもう子の刻です。皆様方も、一度お休みになられては」
「いえ、我々は重要な話し合いの最中ですので」
佐野が拒否する。近藤も
「お心遣い、痛み入ります。ですが…」
「天城君と宮川君は、休んできたらどうだ」
土方は、その場にいる幹部ではない二人にそう声をかけた。
「結論が出るには、まだ相当時間がかかる。それに、いきなり斬りかかってくることもなさそうだ」
きつい冗談を、といった表情で鹿沼が軽く笑った。
「とにかく、こっちは大丈夫だ。特に天城君は剣術師範だから、明日以降の稽古指導に支障が出ては困る」
「──分かりました」
洋子は同意した。事実上の命令と取ったのである。
「お心遣い、感謝いたします。──では失礼します」
一礼し、部屋を出た。程なく宮川も後に続く。
洋子は案内役として前にいる鹿沼に、声をかけた。
「何かい?」
「奥方様とは──上手くいってらっしゃいますか」
彼女はさっきから、ずっとこのことが気がかりだった。
「ああ、お陰様でね。子供が出来たばかりなんだ」
「それはそれは、良かったですね」
「お子さんのお名前は?」
宮川がそこで口を挟む。鹿沼の話を聞きながら、洋子は密かにため息をついた。
結局、佐野たち四人と近藤・土方の話し合いは、未明の頃まで及んだ。
「では、軽格の見習隊士六名については脱退を認めるが、我々の脱退は認めないということで宜しいか」
佐野が確認した。長い間の議論で、声が少し枯れている。
「そういうことだな。──諸君には出来れば引き続き、我々の同志として勤務してもらいたい」
近藤は疲れた顔でそう言った。元来彼は、こういう議論は好きではない。
「それは」
激昂して言いかけた中村を、佐野が制する。そして残る二人の顔を見て
「今後の身の振り方について、我々四人で検討したい」
「──ああ」
土方が同意し、佐野たち四人は立ち上がった。局長と副長が見送る中で部屋を出て、別室に向かう。足音が遠ざかった後で
「何とか、片付いたな」
近藤は大きく息をついた。肩と首を回して休憩しようとしたところで、土方が微動だにせずに座っていることに気づく。
「おい、歳。どうした?」
「いや、何でもない」
「そうか、お前も少しは寝ろ」
近藤は横になり、程なく寝息を立て始めた。土方は相変わらず微動だにしない。
こうなることは予測できたが、と最後に入った佐野は立ったままで言った。今更、新撰組隊士として勤務するのは無理だ。土方に警戒されていずれは『処分』されるだろうし、第一心情的に佐幕一辺倒の二人の下でなど、これ以上一日たりとも過ごしたくない。
「第一、我々がこういうありさまでは、攘夷のご意志を持たれたままお亡くなりになった孝明帝に、申し訳が立たぬではないか」
「その通りだ。かくなる上は、死して詫びるより他あるまい」
茨木と富川が話し合っているそばで、中村は唇を噛んでいた。自分より若く小柄な剣術師範に、三連敗した稽古の光景が心に浮かぶ。
「せめて私に、天城君と互角に渡り合うだけの力があれば、脱走も可能だったでしょうに。申し訳ございません」
床につくほど深く頭を下げた中村に、佐野が手を添えて上げさせる。
「何の、中村君のせいではない。むしろ君のおかげで、我々は志を強く持つことができたのだ。礼を言う」
「佐野先生──」
中村の目に、涙が浮かんでいた。茨木が頷いて
「それに、我々は有為の若者を六人も脱退させることができた。脱退は認められない、脱退すれば死とされていた新撰組においてだ。この点からも近藤・土方の過ちは明らかだろう。連中はただ己の立身出世のために、規則を振りかざしているに過ぎぬ」
その通り、と富川が頷いた。そして腰にさしている刀を抜く。
「我々は死ぬが、ただ死ぬのではない。死して鬼神となり、異国からこの国を守るのだ」
佐野も座って刀を抜いた。残る二人が刀を抜いたのを確認した後で
「うっ」
グサッ!
自ら、まっ先に刀を腹に突き立てたのだ。そして肉を斬る独特の音と共に、横に刀を引く。真一文字に斬り裂いた後で
「お先に…御免!」
腹を縦に切り裂くべく、改めて刀を入れる。残る三人も、それぞれ後に続いた。
「──?」
その部屋の前を通りかかった会津藩士が、中の異様な雰囲気に気づいた。
「おい、これは…」
人が複数いるはずなのに、気配さえない。更に血の臭いがする。
恐る恐る襖を開けたその藩士が見たものは、新撰組隊士四人の切腹死体だった。
報告を受けたとき、土方は座ったままだった。
「分かりました。どの部屋です?」
立ち上がって問う。会津藩公用方の外島は
「案内します。ついてきて下さい」
「お願いします」
そのまますぐに部屋を出る。角を曲がり、やや離れた所にあるその部屋の前には、二人の藩士が見張りのように立っていた。外島の姿を見て一礼し、さっと襖を開ける。
「こちらです」
「──」
中を見た土方は、血の臭いと色に染まったその部屋の扉の前から、動こうとしなかった。
「おい、歳──」
やや遅れてやってきた近藤に、無表情に小声で言う。
「四人とも、見事な死に様だ。見てくれ」
通常の切腹とは違い、介錯はない。従って、四人とも文字通り腹を切り裂いて絶命していた。服と畳は血に染まり、壁にも返り血らしい血痕が幾つかある。
「中村君!」
知らせを聞いて洋子が駆け込んできた。二人の隙間から中を覗き、同年代の隊士の壮絶な切腹死の現場を見る。
中村は左から腹を真一文字に切り裂き、本来ならばその後十字になるように縦に切り裂く所を、出血過多で力が失われつつあったのだろう、それが出来ずに喉を突こうとしたが、既に意識が朦朧としていたらしく、その個所はかすり傷だけで絶命していた。裏を返せば、最初の傷がいかに深かったかという証明である。
「洋」
絶句して立ち尽くしている彼女を、土方が頭上から呼んだ。
「ここにいる平隊士に、連絡してくれ。ついでに屯所にも一っ走りして、十数人新たに呼んでくれ。あと四人の葬儀の手配を。──頼む」
「──分かりました」
低い声で頷いて、その場を離れる。その場にいた会津藩士が
「彼らの移送なら、我が藩の者がやりますが」
「いえ、これは新撰組のことですから」
無愛想に応じる。相手もそれ以上、勧めようとはしなかった。