るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十六 暗殺(1)

 この数ヶ月、斎藤の様子がやや違う。
 どこがどう違うか、と言われても困るが、洋子はそれに感づいていた。
 そして密かに、気になってもいたのである。

 「春日井君の死体が発見されました」
その報告があったのは、慶応二年の三月中旬。斎藤が特に妙だった日の昼下がりである。
「また…。今年になってから既に四人だ」
隊士の一人が呟いた。洋子も顔をしかめる。世話役時代の部下の一人だ。
「左袈裟斬りと刺突で、刺突の方が致命傷だったようです」
「下手人は?」
「現在のところ、分かりません。追って同心などから報告はありましょうが」
現場を見てきた監察の山崎が土方に報告する。受けた側はそうか、と一言だけ応じて後は黙考し始めた。こういう時は誰もいない方がいいというのが暗黙の了解になっており、山崎は間もなく副長室を出る。
『この前と言い今度と言い、あの刺突は…ただ者じゃないぞ』
よほどの腕前だな、と山崎は覚悟した。

 「斎藤さん、どうかしたんですかね」
洋子は沖田に聞いた。本人に聞く気は最初からない。
「さあ。どうかしたの?」
「別に大したことじゃないんですけど、最近ちょっとおかしいんです」
どこがどう、という訳でもないが、雰囲気が違うのだ。妙に据わっているかと思えば、こちらの言ったことが耳に入っていないとしか思えない状況に出くわすことがある。
「おかげで叩かれる回数は減りましたけど。でもやっぱり異常ですよ、斎藤さん」
言ったことが耳に入ってさえいれば、大人しい方が良いに決まっている。だから問題は詰まるところ、いざ戦うとなった場合に洋子や他の部下、更には敵の言葉や行動を認識した上で斎藤が動けるかなのだ。今の斎藤はそれが危ない。
「そんなにひどい状態かなあ、斎藤さん」
沖田は首を傾げた。自分と話している分において、彼にそこまで変わった様子はない。
「まあ普通の浪士相手なら大丈夫でしょうけど。抜刀斎とかこの前奈良で戦った奴とか、あの付近の敵になると危ないと思います」
「──分かった、注意しておくよ」
沖田はそう言って、洋子を安心させた。

 さて。新撰組に、谷三十郎という男がいる。
 自身は七番隊組長にして隊の槍術師範。十番隊組長・原田左之助の槍の師匠でもあり、また弟の昌武を周平と名を改めさせた上で局長・近藤勇の養子にしているのだから、重要幹部であることは間違いない。
 この男と、洋子はどうもそりが合わなかった。

 そもそもの原因は、彼女が師範代になってからの斎藤とのケンカである。それ以前から谷の実弟で近藤の養子の周平が洋子としては気に入らず、特に世話役時代は稽古で叩きのめすこともしばしばだったが、その時は谷は何も言わなかった。むしろ周平が実力をつけるためにはいいことだ、というふうに言っていたようにさえ記憶している。
 だが、多分池田屋事件で周平が近藤の期待通りの活躍をしなかったせいだろう。近藤は周平を少し遠ざけるようになり、その実兄である谷にも一時のような極端な特別待遇はしなくなった。とは言え七番隊の組長であるから、それなりの処遇はしていたのだが。
 さて、このケンカ。減ったとは言え毎日一度は必ずやるのだが、その度に谷は露骨に嫌そうな顔をするのだ。のみならず、事あるごとに近藤に『天城洋の師範代解任』を求めているらしいし、洋子を『青二才』と呼ぶなど、見下した言動を取ることも多い。さすがに近藤も取り合わないらしいが、いずれにしても不愉快である。
「大体、ケンカの原因のほとんどは斎藤さんにあるんだから」
今も通りすがりに皮肉を言われ、むっとして呟く。
「どうせ言うなら斎藤さんに言えば──」
   バキッ!!!
「阿呆。お前がいちいち俺に盾突くからだろうが」
「──何でいきなり叩くんですかね、毎回毎回」
振り返って見上げつつ、洋子は言った。
「毎回というなら、一度くらいかわしてみろ。いちいち食らうな」
「かわしても横なぎ食らわすのは自分でしょうが」
刀が鞘ごとで宙を舞う。かわした相手に斎藤は
「平刺突の基本だろうが、横なぎに転じるのは」
「屯所内で普通に歩いてるときまで、そんなこと考えてたくありません!」
「阿呆、反射で出来るようになれ。──とは言え」
と言って、斎藤は離れたところからこちらを見ている谷の方を見やった。
「部外者にどうこう言われるのは、気持ちのいいもんじゃないがな」

 「ほら、そこ! 稽古稽古!」
道場前の庭の中央で、洋子のやや高めの声が響く。斎藤は道場内で主に伍長以上を相手に稽古していた。庭は通例平隊士なのだ。
 洋子は面をつけずに、相手の剣技を次々と受けていく。平刺突ならば横なぎまで処理してから、次の相手に移るのだ。これが庭の中央であり、周辺では他の隊士が個人的に稽古していた。普通、彼女が直接指導するのは新入りで、個人的に稽古するのはそれなりに力の付いた隊士である。彼らがたまに洋子に稽古を付けてもらいに来るときは、本気で相手して上達の度合いを見ることにしていた。
「おい洋、そろそろ巡察だぞ」
「あ、はい」
師範と師範代が同じ隊に所属しているので、必然的に数日おきに両方ともいなくなるときがある。そういう時は他の組長たちが代理で指導につくのだが、これが他の隊士にはいい気晴らしになっていた。どちらかがいるとそちら優先になりがちで気分転換もしづらいのだが、両方いなければ気兼ねすることもない。
「じゃ、後よろしくお願いします」
洋子は沖田にそう言って、いったん部屋に戻った。

 制服の羽織の下に鎖帷子を着て、市中巡察に行く。巡察の経路は日によって違うが、監察の意見を参考にして事件が起きそうな場所を回ることが多い。最近午後の巡察の時間が遅れ気味なのは、夜の会合や強盗などを事前に防ぐ狙いがあった。
 今日も夕方に巡察している。油断なく目を光らせて通りの中央を歩いていた彼らに対し、市民の多くは目をあわせないようにしていた。と言っても顔を伏せたり背けたりする程度で、逃げることは普通まずないのだが。
「!」
こそっ、と物影に隠れるように動く人影があった。
「何者だ、待て!」
前野が目ざとく見つけて、その方向に走り出す。無論洋子や斎藤も後を追って走った。
 横の細道に入って行く。その人影は小柄な男で、見た感じ初老のようだった。それが小走りに反対側の大通りに抜けたので、三番隊は後を追った。
「どうします?」
走りつつ、洋子は斎藤に訊いた。返事がない。
「斎藤さん、どうしますか?」
やや声を大きくして重ねて問うと、やっと返事があった。
「奴が単独行動の密偵なら、前野たちに任せる。もし仲間がいるようならお前も行け」
「はい、分かりました」
応じると同時に、彼らも大通りに出た。周りを見回すが、それらしい人影は見当たらない。だがこの付近のどこかにいるはずだ。平隊士が捜索に散った。
 軽く息をついて、洋子は斎藤を横目でちらりと見上げた。やっぱりどこかおかしい。前のこの人なら、最初の声で応答があるはずだ。いや、こっちが訊く前に指示があってもおかしくない。なのに最近──
「──洋」
「はい?」
「いつまでも俺の指示を待ってないで、自分で動け」
この言葉に、洋子はカチンときた。
「そんなこと言って、いざ私が指示出したら阿呆とか言って怒るくせに!」
「阿呆。それはお前が滅茶苦茶な指示を出すからだ。怒られない指示を出せ」
「それ以前に斎藤さんの場合、ただ単に自分の思い通りに部下が動かないと気が済まないだけでしょうが。こっちはあくまで他人なんですから、一から十まで自分の思い通りになると思ってたら大間違いです!」
そこで前野が、一つ咳払いをする。それで静かになった二人を見て
『全く、敵が近くにいるかも知れないときに何を言い合ってるんだか、この二人は』
まあいつものことだが、と心の中で付け加えた。

 その日、古典の授業を終えた洋子が家に帰る途中。離れたところから聞き覚えのある声がした。敵ではないし、すぐに顔も浮かばないが、好きではない声。
 道の端に寄って、周囲を伺う。声の主は、ある女にしきりに言い寄っていた。女の方はいささか迷惑そうだが、断ることも出来ずに困っているらしかった。
 洋子が声の主を見ると、谷三十郎がある店の前で店員と思しき女性の腕を掴んでいる。「だから、わしの休息所に来ぬかと言っておるんだ」
「私には妹がおりますのや。それを見捨ててあんさんと一緒に暮らせると…」
「妹の面倒も見てやる。だから来い」
「まーたあんさんどすか」
そう言って、店の奥から年輩の女性が出てきた。
「嫌や嫌やと言うのを無理矢理連れて行くのが、新撰組の流儀どすか。まあ人を殺した浪士どもを連れて行くのは、構やしまへんけど。女子供まで連れて行かずともいいんやないどすか」
京都弁特有の口調にくるまれてはいるが、内容はかなりきつい。谷は怒って
「何だと、俺はせっかく困っている姉妹の面倒を見てやろうと」
「そういうのを、ありがた迷惑っていうんや」
「何いっ!!?」
谷が激高して、槍を相手に向けかけた瞬間
「何もこんな往来で、町人相手に殺傷沙汰なんて起こさなくてもいいでしょう」
「何だと、貴様…うっ!」
背後から声をかけられて振り返ると、天城洋が立っていた。