るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十六 暗殺(3)

 洋子は首を傾げた。薩摩藩関係では富山というのが一人隊士でいるが、聞こえてきたのは彼の声ではない。大体彼は谷とはそう親しくなく、こんな場所で一緒に飲み食いしているとは考えづらかった。
「何ボーっとしてるんですか、洋子さん。食べましょうよ」
「あ、うん。食べようか」
お夢の声で現実に戻る。そしてそれぞれ食べ始めた。
 食べながら、洋子は聞こえてくる声について考えていた。

 現在、薩摩藩は表だって幕府に反旗を翻しているわけではない。従って谷が薩摩藩士とつきあっていようが、明確に咎められることはない。ただ薩摩藩は『いつどこでどう動くか分からない藩』として見られ、会津藩は密かに警戒していた。当然新撰組にとっても、彼らとの付き合いは普通の隊士には決して奨励されるものではないのだ。
「まあ、あれが谷先生とは限らないしね」
「何か言いました?」
呟いたつもりが、お夢に聞こえていたらしい。何でもないと応じて、洋子は内心で思いを巡らせた。──谷には兄がいると聞いているから、ひょっとしたら彼かも知れない。いずれにせよ、顔も見ていないのに独断は禁物である。

 「──ふうむ」
「どうかしました? 翁」
紙切れを放り出して、柏崎念至、通称翁は立ち上がった。
「静姫のご依頼じゃよ。斎藤の身辺調査と来ておる」
「はあ?」
お近とお増は顔を見合わせ、手紙をのぞき込んだ。
「──全く、もう少し上手くやらんかい、あの二人も。姫に感づかれてどうする」
「──確かに──」
お近が頷き、お増が翁の背中を見て訊いた。
「で、どうします? お教え──」
「出来たら苦労せんわい。姫がことを知って、今まで通りいられるなら」
ふう、と息をついて、翁は振り返った。
「おまけにさっきから彼らの犬がうろついておるようだし、近々また動きがあるやも知れぬ。──姫のことじゃ、ご自分でも調べようとするじゃろうし──。やれやれ」
また翁は息をついた。洋子、彼らにとっては静なのだが、とにかく彼女のことは御庭番衆にとって様々な意味で面倒な存在だった。翁自身としては、個人的には彼女のことを結構気に入っており、新撰組に入ってからもちょくちょく接触しているのはそのせいもある。だが彼女と新撰組幹部の関係、そして新撰組と御庭番衆の関係を考えると、今回の依頼に果たして応えていいものかという問題があるのだ。後のことを考えると、こちらの独断では決められない。
「──向こうと相談してみるか」
またため息をついて、翁はそう言った。

 葵屋の方はあれでいいとして、と洋子は考えた。自分個人としても何かするべきだろう。とにかく事は三番隊全体に関わるのだ。原因究明と対策は早い方がいい。
「天城先生」
屯所の自室に入ろうとした時、呼び止める声がした。
「前野君か。どうかした?」
年齢的には前野の方が年上で、伍長同士として身分は基本的に同格なのだが、洋子は師範代なので前野の方が敬語を使っている。当初は彼女も遠慮していたのだが、いつの間にかこれが定着してしまった。
「いえ、その──ちょっと話が」
「──斎藤さんのこと?」
お気づきでしたか、という表情を、前野がした。洋子は苦笑混じりに
「伊達にあの人と六年もつき合ってるわけじゃないよ」
「そうでしたね。──で、見立ては?」
洋子は答えず、障子を開けた。前野に入るように軽く促し、二人して入った後で閉める。

 「私自身は、数ヶ月前から気づいてた。斎藤さん、変に据わってるから」
前なら絶対にぶっ叩かれるようなことでも、何も反応しない。或いは指示を求めても、聞こえているのかいないのか何も言わない。そんな状態が数ヶ月前から続いていた。
「そうでしたか」
私は今月に入ってからやっと気づいた、と前野は言った。
「原因は、今調べてる最中。だから少し待ってて」
「組長に訊く気はないんですね」
「訊いても答えるような人じゃないから、あの人」
前野がいきなり吹き出した。怪訝なのとむっとしたのが混ざったような顔になる洋子に
「いえ、前に斎藤先生が天城先生のことをそう言ってたのを思い出しまして。師弟揃ってお互いにそう思ってるんだなあと」
洋子は苦笑混じりの表情になる。
「でも、そう言う割に斎藤さん、私に何だかんだ訊いてくるんだけど」
「その後、こうも言ってました。『ま、所詮阿呆だからな。知ってるふりして鎌かけてみるとあっさり白状する』と」
洋子は、思いっきり渋い顔になった。つまり、今まで全て言わなくていいことを乗せられて白状したのである。──そう言えば──。
「それはとにかく、一度組長に訊いてみたらどうですか。案外──」
「それは絶対にない。賭けてもいい、断言する」
洋子は言い切った。第一、斎藤を鎌にかけられるほどの自信はない。
 とにかく今後は簡単に白状しないことだ、と彼女は決意した。

 間もなく前野が出ていった後、洋子は一息ついた。
 彼が気づいた。ということは、平隊士も鋭い者は気づいているだろう。ますますもって早く原因究明しないと後で面倒な事態になりかねない。
「──やれやれ」
また息をついた。葵屋の調べがつくまで待つのが賢明なのだろうが、その前に決定的な事態が発生しないとも限らない。事は一刻を争うのだ。
「──お妙さんに、聞いてみようかな」
斎藤の家に住む女性、言うなれば愛人である。前に一度だけ会ったことがある。と言うより同棲し始めて間もない頃、部下の権利と称して三番隊全員で押しかけたのだ。前野の愛人にもこれでもって会っており、洋子の家のお夢も含めて三番隊幹部の同居人の顔は知られていた。その彼女に、斎藤について聞こうというのである。
 今日明日は無理としても、なるべく早いうちがいい。斎藤さんにばれないように会うにはどうすればいいか、思案のしどころだった。
『まず、お妙さん自身が喋らないように注意して貰わないと──』
──斎藤さんに鎌をかける方が簡単だったかも知れない、と後になって洋子は思った。

 「──そうですか」
土方は息をついた後、そう言った。翁の声が響く。
「問題はこれからです。誰が静姫に真相を教えるか──」
「成り行きに任せるしかないでしょう。ただし事後の世話はこちらでします」
「それは少々、無責任と思いますが」
翁の言葉に、土方はお茶を一口飲んで応じた。
「結局、二人の関係のことですからね。こちらが無闇に立ち入れば、それこそ彼女が傷つく。周りがうるさく言うより、斎藤君に任せた方がいい」
「──そうは言いますが──」
「我々より斎藤君の方が、よほど彼女の心理と行動を把握しています。彼に心構えさえさせておけばまず間違いない」
言い切られた翁は、皮肉混じりに
「よく、そこまで信用できますな」
「何しろ、姫君を六年間も面倒見てきた男ですから」
応じた後、土方はニヤリと笑った。

 「──近いうちに頼むぞ。情報は監察がくれるはずだ」
「──いいんですか」
土方は目の前の男をじっと見つめた。そして厳しい声で
「──文句でもあるのか」
「あいつにばれますよ」
土方は目を見開いた。相手は続けて
「いや、あいつだけじゃない。他にもいる」
「──仕方あるまい。今回は大物だ」
その台詞に、土方の相手は封筒を開けた。
「──なるほど。しかし──」
「しかし?」
「知りませんよ、どうなっても」
土方は、珍しく苦笑混じりに応じた。
「分かっている。──覚悟の上だ」
相手は黙って封筒を懐に入れ、部屋を出た。

 明日から四月になる。結局葵屋から連絡もなく、またお妙に会えないまま、三月は過ぎていった。実のところ、あの純朴そうな娘には隠し事など無理なような気がする。そして洋子は、斎藤にばれたときの反応が怖かった。叩かれるとか、そういう意味ではなく。
「──と…あれ?」
夕方、と言うより夜。家に帰る途中で、洋子は斎藤がどこかへ歩いているのを見た。
『家は──こっちじゃないはずよね』
回り道でもしているのだろうか。少し見ていると、左手に手槍を持っているのが分かった。暗いのでそれ以上のことはよく分からない。
『──どうしよう』
このままついて行けば、間違いなく帰るのが深夜になる。お夢が心配するだろうし、第一事と次第によっては闘う羽目になるかも知れない。──闘う? 誰と?
 嫌な予感がした瞬間、見覚えのある人影が別方面から斎藤の後を付けているのを発見した。前野である。向こうも自分に気づいたらしい。
「どうします?」
いったん合流し、囁き合いながら後を追う。
「──私が後を追うから、前野君は先に帰って。ついでに──」
「お夢さんに連絡ですか」
「うん。頼むよ」
「分かりました」
二人より一人の方が、後を追うにしても見つかりにくい。すぐに前野は離れていった。