るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十九 嵐山(1)

 「あいつが組長!?」
思わず声を荒げて、斎藤は言った。土方が平然と説明する。
「そろそろ、洋も伍長は卒業してもいい頃だろう。武田君の脱退で、五番隊の組長職が空いている。そこにあいつが入れば──」
「冗談じゃない」
斎藤は語気強く言いきった。武田を始末し、屯所に帰ったその場でのことだ。
「あいつの剣腕が上がったのは否定しませんが、それと組長になるのとはまた別問題でしょう。論功行賞のつもりなら賞金でもやればいい。──仮に最初からそのつもりだったなら、少なくとも本人か俺に一言の予告程度あっていい。とにかく俺は反対ですよ」
「──別問題、か。なあ斎藤君」
反発はある程度予想済みだったらしく、土方は苦笑混じりに言葉を継いだ。
「そろそろ、子離れの時期じゃないのか」
斎藤は、やや虚を突かれたような表情だった。土方は
「今後のこともあるし、俺としてはそろそろあいつを独り立ちさせたい。あいつもよく考えればもう十六だし、当初は苦労するだろうがやっていけないこともあるまい」
「──俺に言わせれば、まだ十六ですよ」
十六と言えば、普通は元服を済ませて大人になっている。その意味では「もう十六」なのだが、新撰組の隊士は二十代から三十代前半の者が圧倒的に多く、組長として彼らの上に立つには「まだ十六」なのである。
「それに、他に人材がいないわけでもないでしょう。何だってあいつなんです?」
「今後のことも考えて、さ」
二秒ほど沈黙があった後、斎藤は言った。
「──それなら、その今後の方をなしにしていただきたい」
「おいおい、そうまで言うか?」
「言いますよ。俺はあいつを、組長にまでする気はない」
間もなく部屋を出た斎藤を、土方は苦笑混じりに見やっていた。

 あいつが組長? 斎藤は自宅への帰路、考えていた。
 自分と武田を待ち伏せしている薩摩藩の手下を倒すという任務は、洋子への昇進試験も兼ねていたのだろう。だったら尚更、自分か洋子に事前の断りがあってもいいはずだ。少なくとも洋子には。そうすれば傷の一つ程度は減ったかも知れない。第一、もし万一殺されていたらどう説明する気だ。一つ小石を蹴って呟く。
「冗談じゃない、あの阿呆に組長など百年早い」
伍長というのは基本的に幹部候補生であり、今まで組長や監察が死んだときも次は伍長たちから出ていたから、客観的に見て土方の話は十分あり得ることなのだ。が、そもそも斎藤は、洋子をそういう風に扱ってこなかった。
 斎藤にしてみれば、洋子は半永久的に自分の下で伍長をやっている存在だったのだ。それこそ自分が死ぬか、洋子が何らかの事情で隊士をやっていられなくなるか、新撰組自体が潰れるかの日まで。だから彼女には組長としての指揮のあり方など一切教えていないし、実際に別行動の時の指揮も前野に取らせる方が多く、洋子は自分の傍にいることが多いほどだ。そして斎藤の目から見れば、そういう立場だったからこそ彼女は今までやってこられたのである。──それがいきなり組長? 出来るわけがない。
 確かに剣腕は多少上がっただろう。だがそれとて自分には遠く及ばないし、百歩譲って沖田の言うとおり『洋子の癖を自分が知り尽くしているから』勝てないのだとしても、あの腕では抜刀斎にも勝てまい。敵の最強の剣客と互角以上に渡り合えずに、何が組長だと斎藤は思うのだ。第一、まだ十六で組長などさせたら他の隊士からどう見られるか。いくら師範代としての実績があるとは言え、贔屓だと思われかねない。
「あの人にその付近が分かってないとは思えんが、だったら何を急いでるんだ」
あの阿呆より適任の奴はいくらでもいるだろう、と斎藤は伍長たちの顔を次々と思い浮かべながら呟いた。

 翌日、武田観柳斎の死体が銭取橋付近で発見された。
 公式には何も発表はなかったが、真相に近い噂が流れ、それで一応は終わった。
 が、斎藤や土方にとっては終わっていない。
 当の本人の全くあずかり知らぬところで、数日に渡って話し合いがあっていた。


 土方は、苦笑混じりにため息をついた。
 そもそも内部の人事権は自分や近藤の管轄するものだから、斎藤がいくら反対しようが任命してしまえば拒否は出来ない。だが土方としても、洋子の件に関してだけは斎藤の承認を得ておきたかった。彼女を誘拐同然で連れ込んだ本人であり、剣の師匠でもある。また今まで、斎藤自身も洋子の処遇については土方の許可もしくは承認を求めてきており、そういう意味での道義的義務はあるだろうと思うのだ。強行は出来ない。
「それにしても、洋子についての判断が違いすぎる」
土方の見るところ、それが今回の対立の最大の原因である。
 土方の目から見れば、彼女はもう一人前なのだ。剣腕もとっくに組長級だし、抜刀斎にさえ負けるとは思えない。伍長や平隊士の信頼も、個人として十分勝ち得ている。指揮のやり方は斎藤の傍で見ていれば覚えただろう。そう判断すればこその組長昇進なのだが、斎藤に言わせると、洋子はまだまだ未熟で阿呆で指揮官としても半人前、とても組長など務まる器ではないらしいのだ。
 そんなことはないだろう、と平隊士の彼女に対する接し方から土方は思っている。いくら隊内での格が低いとは言え、平隊士たちも元は腕の立つ剣客ばかりである。もし「十代の若造」に教えられるのが嫌なら彼ら自身が洋子を拒むだろうが、今のところそんな様子は見受けられないからだ。稽古の間だけにせよ数十人をまとめられる器の者に、十数人の指揮が出来ないわけがない。いきなり夜間の手入れは無理だろうが、その付近は日頃の巡察で慣らしていけばいい。過去にあった組長交代時も、そうしてきたのだから。
「そろそろ子離れの時期だと、言ってるんだがな」
土方は、そう呟いていた。

 一方当の洋子は、相変わらずの日々を過ごしていた。自分の待遇で斎藤と土方が揉めていることなど、知る由もない。
「ほら、そこの二人! 喋ってる暇あったら打ち合いでもしたらどう!?」
庭の隅で喋っている平隊士二人をめざとく見つけ、怒鳴りつける。その二人は弾かれたように飛び離れ、周りにいる隊士の失笑を買いながら稽古を始めた。
『──どう見ても、年齢相応のガキだな』
剣腕はともかく、である。確かに平隊士に拒否されてこそいないが、師範代相応の尊敬を払われているようには、斎藤には見えなかった。
『そういう話をあいつに振ったら、俺のせいだの何だのギャアギャア言うに決まってるからな。ったく、騒ぎにするのはどこのどいつだ』
百歩どころか一万歩譲って、騒ぎの種を蒔いているのが自分だとしても、実際に騒ぎにしているのは洋子の方なのだ。──騒ぐように仕向けたのも、自分か。
 江戸にいた頃、斎藤は洋子が大人しいのが何より嫌いだった。そして京都に来た今も、内に籠もっている時の方が遙かに気がかりである。騒いで盾突いてぶっ叩かれて初めて従う、それでいいと彼は思っていた。どうせ自分の下で伍長をやるのだから、最後に従えばそれでいい。責任は自分が取るのだからと。
『大体、いくら師範代と言ってもたかが十六のガキだぞ。それもちょっと問題起きるとすぐに閉じこもって、しかも閉じこもりきらずに荒れて周りに迷惑かけるような。それがそのまま組長になったら部下に対する影響がありすぎる』
一番隊から十番隊までの実働部隊は、各隊の組長が事実上かなりの範囲で指揮権を持ち、それと引き替えに各隊を代表して責任を取るのだ。個々の隊士の行動にまで責任を取ることはないが、作戦の失敗などで処分を受けることはあった。そういう立場にある組長が、精神的にしょっちゅう不安定なようでは困るのである。
「どうだ、斎藤君」
背後から土方が声をかける。稽古の合間のことだ。
「あの分なら、大丈夫と思うが。物分かりのいい連中を伍長につけてやって、徐々に慣らしていけばこなせるさ」
「──しかし所詮、伍長は伍長でしょう。組長代わりが出来るわけではない」
「そこは組長次第だ。ある程度の権限委譲は実情に応じてやっていいし、上手く行かなくなれば伍長の方を替えればすむ」
「それで済む問題ですかね、あいつの場合」
「なあに、やってる内に何とかなるさ」
斎藤は不満げに返事をしない。土方もそれ以上話そうとはしなかった。


 何とかなる、という次元の問題ではないのだ。洋子の精神構造は。
 師匠である自分を鬼か悪魔のように言い、普段はいくら明るくても決して自分から悩みを打ち明けようとはしない。それも深刻な悩みほど内に籠もる。それで組長が務まるとは斎藤には思えなかった。他の問題はさておき、上司が精神的に不安定だと部下に必ず影響が出るからだ。谷三十郎の暗殺付近のことを例に出すまでもなく。
「確かに隊としての機能は、副長の言う方法で維持できるかも知れんが……。精神的に不安定だとあいつが自分で認めるのは不可能に近い」
周りが言っても否定するのがあいつだ、と斎藤は呟いた。そして組長である以上、部下はそれに従うしかない。しかし実際には不安定なままだ。どう考えても悪影響が出る。
「大体、副長は俺があいつと付き合うのにどれだけ苦労してるかってのを、いまいち分かってない。見かけほど楽じゃないんだ、あの阿呆と付き合うのは」
その声はかなり、苛ついた調子だった。

 翌朝、出勤途中の斎藤は、自分の姿を見て隠れる人影を見つけた。
『──何者だ?』
こちらも気配を消し、その人影が隠れた脇道に向かって歩く。そこを覗くと、十歩ほど先に男が歩いているのが見えた。服は薄汚れており余り立派ではないが、大小の刀を差している。どうやら別の道に抜けるつもりらしい。斎藤は取りあえず行き先の見当をつけておこうと、その男の後をつけた。
 別の通りに出て、幾つかの角をまっすぐ通り過ぎる。気づいてはいないらしく、斎藤をまく様子は全くなかった。三つ目か四つ目の角のところで、その男を呼び止める声がする。とある食堂の店先から、別の男が声をかけているのだ。二人はすぐに互いを発見して、軽い会話を交わした。
「で、どうだった。ちゃんと渡したか?」
「ああ、嵐山まで行って来た。これで上手く行く」
「そうか。これで我々も暴れられるぞ」
二人は食堂に入っていく。少しその様子を伺っていた斎藤だったが、出勤途中であることを思い出してやめた。遅れるとうるさい阿呆がいる。
「嵐山、か」
彼は歩きつつ、何事か考え始めた。

 

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