るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十九 嵐山(2)

 屯所に着くと、朝の会議が始まろうとしていた頃だった。珍しく土方の姿が見えない。
「──副長は?」
「昨日の会津藩との宴会で飲んだらしい。もともと下戸だから一杯飲んでも頭が痛くなる人なのに、昨日は三杯くらい行ったってんで体調が良くないんだろう。とは言えそろそろ──と、来た来た」
それらしい足音がする。扉が開き、やや青白い顔の土方が姿を見せた。
「すまん、遅れた」
とだけ言って決まった席に着席し、後はいつも通り司会進行を行なう。ただやはり体調が良くないのか、声や視線に常の鋭さがなかった。
「副長」
会議が終わった後、斎藤は土方に声をかけた。
「うん?」
「今朝出勤してくる途中に、妙な噂を聞きまして」
「ほう、それはどんな」
「嵐山に浪士が潜んでいて、その浪士の部下か仲間かが近く京都で一騒動起こす模様です。もし良ければ私と天城洋で捜索したいのですが」
「──君と天城君で?」
土方は数秒、斎藤を見つめた。やがてふっと息をつき
「分かった。監察たちと連携させよう」

 斎藤はその足で道場に向かい、まずは前野に一言二言説明して了解させた。そしてそのまま道場前の庭におり、稽古をつけている洋子を無言で一発殴りつける。
「いきなり殴りつけなくてもいいじゃないですか。声かけてくれれば聞こえます」
「大概気配でかわせるようになれ。ったく」
そう言って一息つき、改めて声をかける。
「行くぞ、洋」
「え、あ、あの。行くってどこへです?」
「嵯峨嵐山。不逞浪士が潜んでるらしいからな」
実のところ、斎藤には不逞浪士がいようがいるまいがどうでも良かった。ただ洋子の昇進を認めるわけには行かない。新撰組を脱退する気は毛頭なかったから、口実を見つけて隊から離れ、そのこと自体で土方に抗議する。それしか手がなかった。
「副長には一応知らせてある。とにかく来い」
と言いつつ、洋子の腕をつかんだままぐいぐい連れて行く。つかまれた箇所の痛さに顔をしかめた彼女だったが、何か相手の雰囲気が違うのに気圧されたようになって、そのままついて行った。

 それから数日。斎藤から新撰組へは、直接には一言の連絡もなかった。
 もともとよく連絡する男ではなかったのだが、最低限「目的地に到着した」こと程度は言って寄越す男であり、近藤たち最高幹部は密かに気にしていた。そして土方は、今回の件が実は洋子の昇進問題に絡んでいると、出ていった翌日には気づいていたのである。
「俺が二日酔いで、頭の働かない時を狙うとはな」
最初、彼は苦笑混じりに呟いただけだった。だが数日も連絡がないとなると、別の意味で不安になってくる。まさか具体的には何もないだろうが、斎藤は一体何を考えているのか。監察たちの報告では『いるにはいるらしいが、大物ではない』とされており、わざわざ斎藤と洋子が出かけるほどのことはないらしいのだ。
「──俺への抗議、か」
思い当たった土方は、しかしやや憮然としていた。──何を大げさな。そうまでして反対することでもあるまいが。
 思ったものの解決策が思いつかず、彼は一番隊組長の個室の前に立った。

 「──それは、土方さんが悪いですよ」
事情を打ち明けた相手に、沖田はそう言った。
「事前に説明しておかなかったことが第一の問題なんですけど、そうでなくても大体、洋子さんはまだ十代なんですし。いくら何でも組長に据えるには幼すぎます。そもそも洋子さんが何で三番隊の伍長になったかっていう問題を忘れてる」
「──それはもう、大丈夫だと思うが」
少なくとも、血の匂いに狂うなどということはないはずだ。
「そういう問題じゃないんです。あの子はただでさえ、一人で抱え込む傾向あるんですから。今までは直属の上司ってことで斎藤さんが介入して来れましたけど、組長になったら同格でしょう? 接触する機会自体も減るでしょうし、あの子の場合、負担が増えるのが精神安定上一番良くないんですから」
「──そうなのか?」
「そうです。お夢さんが前に言ってましたよ、三番隊になってからよく食べるようになったって」
洋子の精神の安定にとって大事なのは、結局のところいざとなれば引き受けてくれる存在がいることなのだ。普段どんなに嫌いだろうが喧嘩しようが、肝心なのはいざという時の対応である。洋子が組長になるということは、彼女にとって本当の意味で頼れる存在がいなくなることなのだ。
「表面上は喜ぶかも知れませんよ、あの子は一応斎藤さん嫌いですから。でも後で絶対に悪影響出ると思うなあ」
「しかし、斎藤があいつの師匠だという事実は変えようがないだろう。それに当面、師範代と師範の関係まで変える気はない。いざとなったらその資格で介入すればいいんだし、そうまで極端に影響するか?」
「新撰組の場合、日常的にいざという時の事態が発生しますからね」
その台詞に、土方は沈黙した。沖田はにこりともせずに
「──その付近のずれが問題ですか、結局」
立ち上がった。そして刀を腰に差しつつ
「僕らがやってることは、本当の日常じゃないんです。だから出来るだけ常に、あの子の傍に『本当の意味で頼れる存在』がいてやらないと。特に今はまだ」
あの子は、自分が抱え込んだものを一人で処理しきれてないから、と沖田は言った。そして襖の前に行き、それを開ける。
「じゃあ、僕も嵐山に行って来ます」
「──っておい」
「斎藤さん、あの子のことに関してはかなり頑固ですからね。僕が行って説得しないと戻らないと思いますよ」
笑った後、二、三度軽く咳き込んだ。

 一方、嵐山にいる洋子と斎藤は、一応探索らしいことをやりながら数日過ごしていた。
洋子は無論、斎藤が自分を連れてきた本当の理由は知らない。だが取りあえず不逞浪士がいるのは確かなようで、毎日捜索はしていたのだ。斎藤は斎藤で昼間はどこかに行ってしまうし、旅館に残っていても仕方ないのである。
「それにしても、せっかく紅葉が綺麗になってきてるのに」
旧暦十月も、中旬に差し掛かっている頃だった。当時から既にこの一帯の紅葉は有名で、洋子としては本当はゆっくり見て回りたいのだが、目的が探索とあってはそういうわけにも行かない。やれやれ、とやや広めの通りを歩きながらため息をついた。
「──と、あれ……?」
別方向に行ったはずの斎藤が、人混みに紛れて何故か十歩ほど先の交差点を横切っている。咄嗟に立ち止まり、回れ右をして反対方向に歩いていった約十秒後、
   バシッ!!
「阿呆。何で俺からわざわざ逃げるんだ」
「逃げてるんじゃありません。別の方角に行こうと思っただけです」
振り返って反論する。殴りつけた側は刀を鞘ごと肩に掛けて
「俺とお前がさっきのまま真っ直ぐ行けば、どのみち別の方角になるだろうが。何で来た道を戻る必要があるんだ、この阿呆は」
「だったら、私なんか無視してさっさと真っ直ぐ行けば良かったじゃないですか。わざわざ喧嘩売りに来なくても」
   バキッ!!!
「ったく、喧嘩と指導の区別くらいしろ」
「言うより先に殴りつけるでしょうが、斎藤さんの場合。それでよく指導だなんて言えますね、ホントに」
「阿呆、今更ぐだぐだ言うな。元からそうだったろうが」
「元からそうって──!」
そこで初めて、洋子は周りの状況に気づいた。二人とも制服は着ていないのでまさか新撰組の剣術師範と師範代とは思われていまいが、数十人ほどが周囲を囲んでさっきからのやり取りを見物している。
「──ったく、これだからお前は阿呆なんだ」
ため息混じりに言う声が聞こえる。顔はむしろ嘲笑なのだが。
「どこかに飯でも食いに行くか、おい」
「────はーい」
表現しようのない複雑な表情で、洋子はついていった。

 「他のみんな、今頃どうしてますかねえ」
具の入ったおむすびを食べながら洋子は訊いた。珍しく狐そばの斎藤は
「さあな。前野がいるし、取りあえず大丈夫だろう。道場の方も人はいる」
「いいなあ、他のみんなは。息抜き出来て」
「何でそこで息抜きの話になるんだ。向こうは向こうで仕事がある」
「斎藤さんがいないってのが、一つの息抜きなんですよ。私は全然出来てませんけど」
普段なら殴りつけるところだが、油揚げが残っているので自制した。代わりに
「阿呆。俺がいないのが何で息抜きになるんだ。怠けるって言うなら分かるが」
「だって、去年奈良に行って戻ってきたとき、留守中のこと訊いたら『いい息抜きになった』って言ってましたよ。みんな」
「──それはお前のことだろう。俺ではなく」
約一秒間を置いて、洋子の声が厳しさを帯びる。
「何でそうなるんですか? 私は斎藤さんより百倍ましな教え方してるつもりですけど」
「阿呆。周りから見れば五十歩百歩だ。大体毎日いらん騒ぎを起こしてるのはどこのどいつだ。師範と師範代が──」
「それを言うならこっちだって言わせて貰いますけどね、騒ぎの種をまいてるのはいつも斎藤さんでしょうが。ホントに何度言っても」
   バキッ!!!
「それも俺から見ればお前が悪い。さっきのがいい例だ」
そばだけになった次の瞬間、斎藤の一撃が飛んできた。数秒呻いていた洋子に
「ああ、二人ともそこにいたんですか。良かった、見つかって」
店の入り口から聞き慣れた声がする。そちらを見ると沖田総司が立っていた。

 

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