るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十九 嵐山(3)

 洋子だけを午後の探索に行かせ、斎藤と沖田は旅館に戻ってきた。泊まっている二階の見晴らしのいい部屋で、まずはお茶を飲んで一息つく。
「副長の命令かい?」
「いいえ。一応許可は取りましたけど、僕が勝手に」
「──そうか」
斎藤は息をついた。ならばまあいい。
「話、聞きました。洋子さんの昇進問題だそうで」
「────」
沖田の、文字通りの単刀直入な言葉に、斎藤は沈黙した。
「斎藤さんは、何で反対なんです?」
茶の二口目を飲み、その茶碗を持ったまま沖田は訊いた。
「──君自身はどうなんだ?」
問い返された側は、苦笑混じりの笑顔で応じた。
「ほら、斎藤さんはまたそうやって逸らすんですから。まずは、僕の質問に答えてください。そうしてくれれば僕も答えますから」
「──まだそんな器じゃない。ガキだし阿呆だし剣腕も俺から見たらまだまだだ。この数日あいつと過ごしてみたが、相変わらずの阿呆ぶりだ。伍長やってる分にはいいが、組長などと言う地位につけるほどには成長していない」
「だけど、土方さんは基礎能力は十分あるって言ってましたよ。実務は慣れればどうにかなるって」
一瞬黙った斎藤だが、言葉を継いだ。
「それに、ただでさえ十六のガキが組長になるってこと自体が異例なのに、その本人は何かあるとすぐ荒れて不安定になる。部下に悪影響が出るからな、今のままだと」
「とか何とか言って、結局洋子さんのことが心配なんでしょう?」
返事をしない斎藤に、沖田は笑って言った。
「あの子は何でも一人きりで抱え込もうとするから、誰か本当の意味で頼れる存在が出来るだけ常に傍にいて注意して見ててあげないと、いざとなったらどういう行動に出るか分からない。自分が直属の上司でなくなればそれだけ注意出来なくなるから、その分だけあの子の負担や危険も増える。だから例え土方さんの命令でも、あの子を他の隊の組長にすることは出来ない──。違いますか?」
「──沖田君」
「はい?」
呼びかけた相手を見上げる。それを見下ろして
「その言葉、副長にも言ったのか?」
「言いましたよ。どうもずれてるみたいでしたから」
言ったらお地蔵さんのように黙り込んでたなあ、と冗談めかした口調で沖田は言った。
「──俺を、甘いと思うか?」
「別にいいんじゃないですか、そのくらいの配慮はしてあげても」
紅葉を見に来たのだろう、若い綺麗な着物を着た女性が眼下の道を通り過ぎていく。
「本当なら江戸の旗本屋敷で西陣織でも着て、侍女に囲まれて生活してるはずのあの子が、あの年で新撰組に入って人を何人も自分の手で殺してるんですから。それだけで普通の人には考えられないくらい過酷な人生なんだから、僕らが少しくらい気を効かして危険を避けさせてあげてもいい、というかむしろそうするべきだと思いますね。どうせ敵は手加減しないんだから、味方がしてやるべきでしょう」
「──そうか」
「本当は僕がもう少し関わるべきなんでしょうけど、最近ずっと体調が良くないものですから。斎藤さんにばっかりお手数かけて済みません」
「いや、君が謝ることじゃない」
斎藤は片手を振って否定した。沖田が軽く咳をした後
「それにしても、斎藤さんもそうならそうとちゃんと言えばいいのに。未熟だの阿呆だの部下への影響がどうだの、そんなの土方さんにかかれば慣れで済むことなんですから。あの子の心の問題だってきちんと言わないと」
「屯所で言えるか、当の阿呆の耳に入るかも知れんのに。──副長も、その辺もう少し分かってるかと思ったんだがな」
「やっぱりご本人でないと分かりませんよ。その付近の苦労ってのは」
喧嘩する分も含めて、と沖田は笑って言った。

 一方、洋子は休憩のために入った甘味処で妙な人影を見つけた。
 晴れているのに編み笠を深くかぶり、顔もよく見えない。店の奥の庭で腰を下ろして団子を食べているその男は、身なりはきちんとしていた。刀を持っているかどうかは物陰に隠れてよく分からない。
『誰だろう──?』
気配を出来るだけ殺し、出されたワラビ餅を食べながら様子を伺う。店を出たらその男の後をつけるつもりだった。どうも匂うのである。
 と、男が立ち上がった。やはり武士らしく、大小の刀をはめる仕草が見える。そして代金を座っていた台に置いて、店を出るべくこちらに向かってきた男の歩き方は、凄腕の剣客特有の腰を落としたものだった。
 気づかれないように、洋子はその男が店を出るのを見計らって立ち上がった。代金は既に用意済みで、そこに置いて店を出る。その間五秒もかからないほどだった。
 男の後ろ姿を見つけ、その後をつける。間には十歩ほどの距離が開けられていた。気配を消しつつ早足で歩いていく。先方が感づいたかどうか、よく分からない。
 角を曲がり、北に向かう。途中幾つかの寺院の前を通り抜け、また角を右に曲がった。そのままずっと歩いていく。周りに人影が少なくなってきたので、洋子は先方との距離をやや開けた。大きな寺院の建物が遠くに見える。
 男は速度を全く変えず、黙々と歩いていく。その寺院の門前を通り過ぎ、塀傍を歩いていたかと思うと、いきなり勝手口らしい木の扉を開けて中に入ってしまった。慌てた洋子は駆け足で後を追って中に入ったが、男の姿は見あたらなかった。
 しまった、と思いつつ少し庭の辺りを探してみた洋子だったが、一度見失った男はそう簡単には見つからない。背後から気配がしたので振り返ったが、ただの僧侶だった。
「おや、こちらに何か用で?」
「いいえ、失礼します」
軽く一礼し、入ってきた勝手口を使って外に出る。そして中の気配を窺いつつ付近を歩き、最後に門前に戻った。
「──大覚寺、か」
洋子は、門にかけられた板に書いてある字を読んだ。

 それから更に探索を続け、夕方に旅館に帰ってきた洋子はまだ沖田がいるのを見て少々驚いた。てっきり帰ったかと思ったのだ。
「まだいらしたんですか? 仕事の方は大丈夫なんですか?」
「うん。この数日非番だから」
それなら大丈夫ですねと応じた洋子は、ふと思いついたように
「あ、そうだ。沖田さん、どうせ数日こっちにいるんなら、月、見に行きません?」
「月?」
目を瞬かせる沖田に、洋子は頷いて言った。
「ええ。大覚寺の大沢池が月見にいいって言うんで、もし良かったら」
   バキッ!!
「昨日俺が行くと言ったら露骨に嫌そうな顔したのはどこのどいつだ、この阿呆。ったく昨日の今日で」
辛うじて直撃は避け、洋子は振り返った。
「それは斎藤さんと行くのが嫌だっただけです。沖田──」
   ボカッ!!!
「たかが月見で相手を選ぶな、阿呆。一刻程度付き合うだけだろうが」
「一刻程度でも違います。そもそも──」
「分かったよ、洋子さん。三人で一緒に行こう」
沖田が笑いをこらえつつ割って入った。そしてもう一方を見上げて
「斎藤さんもそれなら文句ないでしょ?」
と続ける。訊かれた側は一瞬間を置いて
「ま、それでも俺はかまわんが。──で、おい阿呆」
さっさと階段を上がろうとした自分の弟子を呼び止める。
「少し話がある。沖田君は外しててくれ」

 保津川のほとり。渡月橋のすぐ傍の河原まで、斎藤と洋子は出た。
「──どういうつもりだ」
「どういうつもりって、何がですか」
とぼけていると察した斎藤は、はっきり切り出した。
「大覚寺に不逞の輩がいると分かっていて、労咳の沖田君をわざわざ連れ出す気か?」
「──置いていくわけにも行かないでしょう。大体斎藤さんも斎藤さんですよ、不逞の輩がいると最初から教えてくれれば昨日行ったのに」
微妙な沈黙が、数秒流れた。
「昨日は、たまたま通りかかって見かけただけだからな」
斎藤はそれだけ言って再び黙った。これ以上は弁解になるだけだ。
「──大体、沖田さん何しに来たんでしょうね」
ここへ来るのも、実際それほど楽ではなかったはずだ。本当は屯所で大人しくしているべき彼が、何故ここに?
「斎藤さんと二人で、一刻半以上も色々喋ってたんでしょう。どうしてここに来たか言ってませんでした?」
「──いや…」
教えるわけには行かない。この阿呆に漏れたらことだ。
 洋子は、小石を川面に向けて投げた。夕日が映って朱色に染まっている水面を、それは勢いよく跳ねて行く。
「それはそうと、数日中に帰るぞ。沖田君と一緒に」
「──今夜の結果に関わらず、ですか?」
「ああ。多分大した大物はいないだろうからな」
ここに来た『本当の目的』はほぼ達成できた。斎藤はそう判断していた。

 

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