るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十一 分離(4)

 祇園の料亭の二階。最初の一杯を飲み干した後、伊東は言った。
「最近、京都もまた物騒になってきましたな。今日も人が斬られて」
「新帝も、人が斬られるのはお望みではないとのこと。我々が奮起してお心を安んずるしかありますまい。──なあ、歳」
「新帝のご意向もさることながら、我々新撰組は都の治安を維持するのが元来の勤め。それを果たすのが何よりも先決」
と言いながら、土方は伊東が脱退の話をどう切り出すかの予測の方に気が向いていた。
「その人斬りたちに絡んで、妙な噂が耳に入りまして」
と、伊東は口に出した。
「何でも先帝・孝明帝の御陵墓を掘り返してご遺体を持ち出し、それをもって尊皇攘夷の旗印にしようという──噂だけでも言語道断の話なのですがね」
近藤と土方は、一瞬顔を見合わせた。
「世情が世情だけに、今後そういうことが実際に行われないとも限りません。そこで」
「自分が中心となって、御陵墓をお守りいたしたいということですか」
土方が、先回りしてそう言った。

 約一秒、沈黙が流れた。伊東が口を開く。
「先帝の墓を暴くなど、いかに理由があろうともってのほか。加えて実際にことが起きれば、都の治安にも響きましょう。こういう話を聞いたからには、私としては放っておけませぬ。つきましては」
「しかし、その不逞の輩を我々が捕まえることも──」
近藤が言いかけたのを、土方が軽く制して止めた。そして
「禄は──どうするつもりですか」
こういうことは、志だけで起こせるものではない。自分の一派を養うだけの金がいる。そして現実の主従関係を決めるのは、実は家禄を誰から貰うかである。
「──実は、名は言えませぬが、数人篤志家がおりましてね」
当面は彼らからの献金でやっていくつもりです、と伊東は言った。
「要するに、幕府からも会津藩からも禄は貰わぬつもりですか」
土方は、厳しい口調で応じた。言われた側は頷いて
「さよう。御陵墓を守るのは、本来は朝廷自らの仕事です。しかしながら幕府の政策により、朝廷には現在一兵も与えられておりません。これでは御陵墓を守るもままならず、先ほど言いましたような事態がいつ起きるやも分かりません。そこで我々が代わりになろうというのです。どうして幕府の禄が貰えましょうか」
要するに幕府への抗議としての自主行動なのだから、幕府の禄を貰うことは出来ないという論理である。土方はそれに対して
「──幕府に異議を唱えるおつもりですか」
聞き返した。近藤は両者の顔をかわるがわる見ているだけである。
「幕府の政策には承伏いたしかねるところがある、とだけは申し上げておきましょう。しかしながら、先帝の御陵墓を不逞の輩から守ること自体は新撰組の任務から必ずしも外れているとは思いません。よって、新撰組の分隊としてこのことを行いたいと考えておりますが、如何ですか?」
そう来たか、と土方は思った。いきなりあからさまな離脱となれば、新撰組の規律に抵触して粛清の対象になる。であれば新撰組の分隊として孝明帝の陵墓を守る仕事に就き、その間に独立への準備を固めるのが上策と考えたらしい。
「身分は新撰組のまま、忠誠は朝廷へ。随分虫のいい話ですな」
「はて、幕府も会津藩も、朝廷に対して二心なき点では我々と同じと心得ますが」
土方の批判は当たらない、と主張しているのである。
「しかし伊東先生は、先ほど『幕府の政策には承伏いたしかねるところがある』とおっしゃいました。ということは…」
「もし、両先生が認めて下さらないのであれば」
伊東は、そう言っていったん止めた。
「ここに来てくれている我が同志と共に、討ち果たすもやむなしでしょう」
次の瞬間。彼の背後の襖が、いきなり大きく開かれた。
 篠原覚之進、鈴木三木三郎、服部武雄などといった元からの伊東派に混じり、近藤たちにとっては意外な人物の姿がそこに一人、混じっていた。
 八番隊組長、藤堂平助である。

 「──平助…」
近藤は、驚愕の様子で呟くように言った。当の本人は、常の明るい表情に似合わず、真剣な顔で黙り込んでいる。
『──所詮、北辰一刀流か』
一方の土方は、傍で一人醒めていた。藤堂平助の剣の流派は北辰一刀流であり、伊東と同じ流派なのである。しかもこの流派には尊皇攘夷・倒幕派の過激な浪士たちが多く、古くは新撰組の元になる浪士組を結成した清河三郎、また新撰組を脱走して切腹させられた総長・山南敬助もこの一派だった。
 土方から見れば、藤堂は試衛館よりその北辰一刀流を取ったのだ。近藤たちから見れば裏切りとも言える行為だが、土方には藤堂に対して怒りは湧いてこなかった。代わりに浮かんだのは、軽蔑と諦めと突き放しが混ざった、妙に醒めた思いである。
『勝手にしろ。お前が思うほど、そいつは偉くねえ』
「さあ、どうなさいます?」
「──分かりました」
土方が言った。口調は静かながら視線はかつてないほど鋭く、伊東を睨むように見ている。近藤が泡を食ったような声を出そうとしたのを無視して
「ただし、最後に確認したいことがあります。──本当に、新撰組の分隊としてのみの活動ですな?」
「ええ。その予定にしております」
頷いた伊東に、それならば私に異存はない、と土方は言った。
「近藤先生は、ただ今の件をどのようにお考えですか?」
向き直られ、彼は言葉に窮した。横目で土方をちらりと見るも、仏頂面で座っているだけである。ややあってやっとのことで
「──新撰組の分隊として活動する、ということでしたな」
「はい。それが何か」
「我々の本隊があり、伊東先生の分隊がある。隊士の異動及び徴募は、どうするおつもりかな?」
近藤の問いに、伊東は数秒ほど沈黙した。そして
「分隊の正式結成後は、お互いに一切の異動は認められません。新規徴募はそれぞれ独自に行うこととしましょう」
「──承知した」
こうして、この件については上層部では決着した。

 伊東の離脱表明は、それから数日中に隊士全員の知るところとなった。
「どうする? お前」
「いやあ、こればかりは悩むぜ」
平隊士の間でかわされるひそひそ話を聞きながら、洋子は密かにため息をついた。
『──何だって斎藤さんは、いきなりあんなこと言い出したんだろう』
いくら事実上の師弟関係にあるとは言え、彼女は斎藤をああいう心配をするような人物とは見なしていなかった。勝手にしろ、で終わるだろうと思っていたのだ。多少喧嘩はするにしても、最後には突き放すか、それともその場で処刑するか。せいぜい二つに一つのはずだった。それが──。
 実のところ、あの後も洋子は何度かその話を切り出そうと思っていた。だが斎藤の台詞が心の奥底にまで突き刺さって、実行に移せないのだ。「お前が本当に恐れているのは、自分が人でなしになることではなく、人でなしに成り下がった他の奴らに捨てられることだろう」──。
 自分でも気づいていなかった心の奥底を、言い当てられたのだ。──二度とあんな目には遭いたくない。そして今度捨てられれば居場所がない。ならばせめて、その前に自分から捨ててやる。本当はそれだけの理由だと。
『そうかも知れないけど、でも、それは斎藤さんには関係ないことのはず。新撰組内部での上下関係はもちろん、師弟関係なんて言っても、一皮むけば所詮はあかの他人──』
それにそもそも、洋子としては理由が気に入らない。「俺が費やしたものが無駄になる」? 結局自分が可愛いだけではないか。私のことを本当に思っているなら、そんな言い方はしないはずだ。そしてそうである以上、少なくとも殺される危険を冒してまで、自分の代わりに斎藤が伊東派に加わる必要はない。
『やっぱり、斎藤さんとは無関係に、自分で行動しよう──』
   バキッ!!!
「阿呆が。またぞろボーッとしやがって」
背後から脳天に直撃を食らい、振り返るや否や洋子は言った。
「いきなり叩かなくてもいいじゃないですか、斎藤さんも!」
「この程度もかわせないほど気の緩んでた分際で抜かすな、阿呆。どうせ決着済みの問題を蒸し返してああだこうだやってんだろう」
ずばり言われ、言葉に詰まる。斎藤は鼻で笑った後
「ったく、阿呆が。お前は俺の言う通りにしてればいいんだ」
「何でそうしなきゃいけないんですか? 『俺が費やしたもの全てが無駄になる』って、結局私のためじゃないんでしょう? だったらあんなこと、しなくていいですよ。何も敢えて──」
   ボカッ!!
「話があるなら後で聞く。時と場所を考えろ」
周りの視線を感じ、やや声を落として言う。洋子も気がついたらしく、ややあって小声で
「斎藤さんがいきなりぶっ叩くからでしょうが、元はと言えば!」
   ボゴッ!!!
気絶させておいて、斎藤は道場に戻った。

 「で、いったい何が不満なんだ、お前は」
その後の昼食の席で、単刀直入に斎藤は聞いた。洋子は静かに
「ご自分が殺されるかも知れないのに、よくああいうことをする気になりますね」
「────」
そういうことか、と彼は思った。そして不愉快だった。
「お前が俺のことをどう思ってるのか知らんが、俺とて弟子の心配くらいはするぞ」
「けどそれは、結局自分が費やした労力とか時間とかが無駄になるからでしょう? そんなに自分のしたことを無駄にしたくないんだったら、何で自分がむざむざ殺されるような真似をするんです? 私のことなんて、放っておけばいいじゃないですか。でもって今まで私に当ててた時間を、自分のために使えばいいんです。私とは関係なしに。既に費やしてしまった分はどうしようもないでしょうが、これ以上──」
「その答えになってるかどうか知らんが」
斎藤は、洋子の言葉を途中で遮った。そして胸に迫る様々な感情を、ほぼ完璧に押さえ込んで、声を紡ぎ出す。
「俺が死んでもお前が生きれば、俺としてはそれでいい。そういうことだ」
「──へ?」
洋子は幾度も、目を瞬かせた。そして
「──私、生きてて良かったんですか?」
一見普通の、しかしちょっとつつけば壊れて泣き出しそうな声で訊いた。斎藤は一転して苦笑し
「阿呆。生きてていいから生きてるんだ」
言い切った。洋子は無言でうつむいている。
「ま、そういうわけだ。──後を頼む」
「──はい」
小さく頷く。やっと本当に決着が付いたな、と斎藤は思った。

 

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