るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十二 独白

 新年早々、大変なことになったなと洋子は思った。
「行きましょうよ、天城先生。遊郭に」
「島原行きましょう、島原。可愛い子がいっぱいいますよ」
と、他の見習い隊士がうるさく言うのである。普段、宴会時の料亭は葵屋と彼らの間では指定済みで、実際費用が割安なので文句は言わないのだが、今回は「島原に行きたい」というのが希望である。仕方がないので洋子が世話役として連れていくことにしたのはいいが、問題は彼女自身だった。
 洋子は、新撰組隊士としては『天城 洋』を名乗り、男として仕事をこなしている。腕はあるので普段はそれで問題なしだが、宴会などで料亭に行くと最後には芸者と寝ることになる。その時女とばれたら色々な意味で困るのだ。もし外部に漏れたら新撰組の評判に関わるし、そうでなくとも相手の芸者に弱みを握られることになる。それが嫌なのだ。
 葵屋とは色々と関係が深く、向こうはすでに彼女の正体や事情を全て知っているのでかえって安心だ。それらが漏れることはない、という信頼感が彼女にはあり、他の遊郭や料亭とは事情が違う。
「沖田さん、どうすればいいと思います?」
考えあぐねた末、洋子は沖田に相談した。彼自身はそうしたことにさほど関心はないのだが、悩みの内容を聞くと土方などに聞いた話を思い出して
「大丈夫だよ。その付近の教育は向こうもしっかりしてるはずだから」
と応じた。大丈夫と言われても、と言おうとした相手に
「君が言わないでくれってちゃんと頼めば、向こうも喋らないと思うよ。お客がどう振る舞ったかなんて喋って、妙な評判が立ってお客が来なくなったら店が損するわけだし。まあもし何かあったら僕に言いなよ」
「でも…」
「ま、見学だと思って行ってみたらいい」
もともと、近藤が見習い隊士に正月十五日の小正月を彼らの休暇にすると言い渡したのが事の発端である。それを無にすることもないだろう。
 洋子はもの言いたげだったが、黙って頷いた。

 

 入ったのは大和屋という遊郭だった。前に近藤・土方のお供で見習い隊士の一人が入ったことのある店らしく、一声かけただけですぐ通してくれた。
「あ、そうそう。天城先生」
と、千早太郎が振り返って言った。
「江戸の新吉原と違って、京都は料理やお酒が別会計で取られますんで。朝になったら払えないなんてことのないように頼みますよ」
「分かった、気をつける」
自分も女に手を取られて座敷に上がりながら、洋子は応じた。少なくとも途中までは、普通の宴会と思って楽しめばいい。
「ささ、どうぞこちらへ」
二階に通される。五人で八畳間、まあ財布の中身からして適当なところだろう。遊女が二人来て酌をする。酒が入り、雑談になった。
「しかしうちの先生方の中で、一番強いの誰だろうなあ」
「そりゃあ近藤先生だろう」
和白一郎の質問に、千早が応じる。そこに馬出順斎が
「いや、土方先生に言わせると沖田先生の方が竹刀は強いらしい」
「へえ、そりゃあ初耳だな。しかし竹刀なら藤堂先生や永倉先生の方が強そうだが」
「実際互角らしい。沖田先生は十代で免許皆伝を取られた方だからな」
ほう、と声が上がる。よほどの天才でなければ、そんなことは無理だろう。
「けどよ、槍の谷先生も強そうだぜ」
「槍に剣で立ち向かうには、三倍の力量がいるって言うからなあ」
「何を話しておいやすの?」
と、新しく来た遊女が言った。酒を持ってきている。
「ああ、うちの先生方の中で誰が強いかって話をな」
「そんな話、面白いん?」
どうもなよなよして調子が狂う、と洋子は彼女たちを見て思った。喋りの回転が半分になるようで不愉快だった。
「もっと楽しい話でもおしやせ。そんな怖い話などしやさらずに」
酒をつぎながら言う。洋子も少しだけついでもらった。
「そうだな、そうするか。おい、もっと酒だ」
千早が応じ、遊女たちが酒を持ってくる。大した酒でもないな、と一口含んで世話役は思った。

 ひとしきり騒いだ後、それぞれ個室に引き取る。さてどう説明するか、と洋子は茶を飲みつつ考えた。
《大体普通じゃないからなあ》
色々と、と思う。自分で言うのも何だが、かなり数奇な運命を送っていることだけは間違いなかった。旗本の娘が売られて、全くのあかの他人に助けられて剣術を習う羽目になり、彼らを追ってこんな所に来てしまったのだ。生きているだけ良しとすべきか、としか慰めようのない人生である。
「どっちがいいだろうなあ、好きでもない男と寝るのと、嫌いな男に剣術習うのと」
「失礼いたしやす」
呟いた直後に、女の声がした。顔が緊張しているのが自分でも分かる。
 襖がすっと開く。着飾って入ってきたのは、自分とそう年の変わらない少女だった。

 「天城洋様どすね。私は夕霧と申しやす」
「夕霧…ね。源氏名だな」
紫式部の『源氏物語』に関連する名前を持った遊女を源氏名と呼ぶ。将来美人になりそうな顔をしていた。
「あの、どうしやす? これから」
「客とるの初めて? もしかして」
入ってきた方が緊張しているような声である。訊いてみたところ真っ赤になって頷いた。
「──はい、そうなんどす…。それで…」
「どうするもこうするも、私女だからなあ」
下手に世慣れた遊女よりも好都合だと思った洋子は、あっさりした口調でそう応じた。

 「え…。女って…」
「男装してるだけなのよ、今は」
瞬きするのも忘れて、夕霧は自分の方を見ている。
「明日仲居に何か訊かれたら、あんたと同じくらいの年の妹がいるから、気が引けて止めたって言えばいいわ。とにかく女って事は内緒よ」
指図しておいて、相変わらず自分を声も出せずに見つめている夕霧に笑って見せた。
「化け物じゃないんだから、そんなにじっと見ないでも大丈夫だって」
一瞬後、相手はしきりに瞬きをして正気に返る。目をこすりながら
「──すみまへん、慣れてのうて」
「いいのよ。女が男装して遊郭に来るなんて、多分初めてだろうから」
笑顔で頭を撫でてやる。二人は布団の上に腰を下ろした。
「あの…一つ訊いても構わへんどすか」
洋子は頷いた。夕霧はそれでも一瞬躊躇ったようだが
「なんで、こんな格好してるんどすか」

 「仕方ないのよ。色々あってね」
そう言って、洋子は寝転がった。座ったままの夕霧の顔を見て
「今の局長やってる近藤さん、昔は江戸で小さな道場をやってたの。その頃私は売られて、小さかったからある店で奉公やってたのよ。その店がまあ奉公人の待遇が悪くて、私なんか奉公行ってすぐから虐められて。最後には店の外に追い出されて、その時沖田さんに助けて貰ったのよ。で、道場に連れてこられてそれ以来の腐れ縁」
「腐れ縁、どすか」
その言葉は別の状況を指すのではないかと夕霧は思ったが、口には出さない。
「そう。特に斎藤さんとの関係なんか、ひどいもんよ。あの人腕は立つけど口は悪い、自分の言うこと聞かないと竹刀でボカスカ叩く、師匠失格もいいとこだわ」
「斎藤はんから剣を習ったんどすか?」
洋子は頷いた。複雑な笑みを浮かべて
「まあ色々あってね。希望もしてないのに習わせられたのよ」
そのままの姿勢で、飲み残しの茶を一気に飲み干す。
「いざ習うとなったら、けなされようが稽古内容が滅茶苦茶だろうがとにかくやり抜くしかないじゃない。手を抜いたらぶっ叩かれるわけだしさ。おまけに沖田さん辺りは私に剣才があるって言うから、逃げるわけにも行かなくて」
実際には、朝から晩まで稽古をやっていて疲れ果て、夜中に逃げるどころではなかったらしいのだが。おまけに斎藤とのそういう関係のきっかけになった事件は夜に起きている。夜は根本的に、洋子にとって鬼門なのだ。
「ま、その後みんなが京都に上ることになって、私だけ一人で江戸に残ったら、前に私を売ったやつに見つかって。周りに迷惑かけると思ってこっちに来たのよ」
笑う洋子が、夕霧には羨ましかった。自分は貧農の出で、売られてこうして島原にいる。売られた自分を助けてくれる者もいなければ、迷惑をかけて困るほどの相手もいない。実家に帰っても、いる場所もない。逃げたくとも逃げられない。
「──ど、どうしたの?」
いきなり夕霧が泣き出したので、洋子は焦った。
「何か気に障ること言った? ごめん、気づかなくて」
「──いえ、いいんどす…。私が勝手に泣いてるだけどすから…」
そうは言っても、と洋子は取りあえず相手の肩を撫でながら静まるのを待った。
 遊郭には、身売りされた者が多いという。私の過去を聞いて自分の身の上を思い出したのだろうか、と彼女は考えた。洋子自身、まかり間違えば新吉原で遊女になっていたかもしれない身分である。
 しばらく経ってようやく静まった夕霧に
「大丈夫? 無理しなくて良いから早く寝よう」
そう言って洋子は布団を被ってしまった。が、夕霧がいつまで経っても横にならないので顔だけは布団から出す。
「遊女にならなくて済んだからって、幸せってものでもないのよ。私はそう遠くないうちに人を斬る羽目になるだろうし」
「──」
夕霧は黙り込んだ。目の前の客が新撰組の隊士であることを思い出したのだ。
「結局、与えられた状況で頑張るしかないのよ。溺れそうになったら藁でも何でもつかむしかないし、一文無しになったら汗水流して働くしかない。殺されそうになったら戦うしかないし、悪人は斬るしかない。──鈍くさいし粋じゃない。はっきり言って野暮だけど、最後にはそうするしかないわ。明日は違うと信じて」
洋子は続けて語った。口調がやや変わっている。
「だってそうでしょう? そうでなきゃこんなこと、やってられないわよ。私には幕府も長州も薩摩も、どうだっていい。ただ遊女になるのが嫌で京都に来た。そしたらどういうわけか昔一緒に暮らしてた人達に見つかって、無理矢理仲間にさせられた。彼らがたまたま幕府についてた。それだけの話。それで人殺しする運命にあるんだから、そういう日々が続くと考えただけでもぞっとする。違うと思わないとやってられない」
最後は、苛立ちをやりきれなさで覆ったような声だった。
「──そうなんどすか」
夕霧は複雑な心境で相手を見た。いくら客にちやほやされても、所詮遊女などバカにされる存在である。だからこの男装の少女も遊女になるのを嫌がって、はるばる京都まで来たのだろう。しかし彼女はその代わりに、人殺しをしなければならなくなってしまった。自分たち二人は、どっちがより幸せなのか。
「どうやっても幸せになれない存在って、いるのよね。私みたいに」
洋子は一見、あっけらかんとそう言った。
「さあ寝よ寝よ。明日も早いし」
夕霧の手を握って引き倒し、再び布団を被った。

 

 ふう、と暗闇の中で洋子は息をついた。夕霧は眠っている。
「もともと人並みの幸せなんて、無理なのよね。側室の子にとって」
 洋子は旗本の娘とは言え、正室の子ではない。正室に子が出来ないので見切りをつけた父が、侍女に産ませた子だ。正室に子がいないのでそれなりに大事にされ、従兄を許婚にして跡を継がせることになっていたが、生みの親とはたまにしか会えず、普段の養育は正室が中心となって行った。ところが正室は、洋子にどこか冷たい。今にして思えば敬遠という表現が最もぴったり来る態度だった。
 そして父と生みの母は相次いで死に、家督を従兄に継がせることになった。もちろん洋子、いや静との結婚が条件だったのだが、父の正室も病気で口が出せない状態では彼女を売り飛ばすのは容易いことである。
「何でこう、やることなすこと逆効果になるんだろ。よほどの凶星に生まれついたのかなあ、私って」
今頃江戸で祝言を挙げているかも知れない、旗本時代の友人たち。彼らの着飾った姿と自分の浅黄色の制服を比較するだけでもため息が出る。一度でいいからまともな日々を送ってみたい、と言うのが洋子の本音だった。
「とは言え、今更脱走して斎藤さんや沖田さんに殺されるのも嫌だし。──やっぱり幸せになれない身分なのよね、生きてるだけまし程度で。諦めるしかないか」
最後の一言には、開き直りの中にもどうしようもない寂しさが浮かんでいた。

 

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