るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二 京都初日

 「あー、ここが京都かあ」
中山道を歩いて十日、洋子はやっと京都に到着した。
 下手な争いに巻き込まれぬよう、道中はずっと袴に羽織の男装で通した。腰には大小の刀を帯び、剣術に長けた者独特の歩き方で歩く。髪も元服前の武士のような結び方で、ちょっと見には小柄な美少年で通ったであろう。
「みんなと一緒に行ってた人たちは、大部分江戸に帰ったらしいのよね。だから同じ訛りの人たちを捜すわけにも行かないし…。勢い余って飛び出したのはいいけど、京都に着いてからのこと何も考えてなかったわ」
斎藤の「阿呆」という声が聞こえてむっとしたが、すぐに笑顔に戻った。
「まあいいか。取りあえず私を売った連中にまた捕まらなかっただけでもよしとすべきよね。みんなとの接触方法はまた後で考えよう。今日は宿屋探し」
もう夕方なのだ。洋子はそう自分に言い聞かせて市中に入り、うろうろと周りを見回していると若い女性の叫び声が聞こえた。見るとその通りの奥で、数人の男が一人の娘を取り囲んでいる。言いがかりをつけているらしい声も聞こえてくる。
「オレらの言うことが聞けねえのかよ、ええ!? 謝って、ついてくればいいんだ。そうすりゃ見逃してやるって言ってるのに。山内侯の…」
「名誉ある土州藩士が、女がぶつかったくらいで騒ぎ立てることもあるまい」
見るからに少年という感じの人間が、男たちの間に割って入った。無論実は少年ですらなく、天木洋子の名を持つ少女である。
「うるせえ!! ガキのくせに、何を出しゃばってるんだよ!?」
「そうそう、いい子は家に帰って母ちゃんの…ぐへっ!!」
台詞は途中で途切れた。洋子が黙って刀を抜き、一人を峰うちにしたからだ。
 「て…てめえ!!!」
他の男たちが逆上し、剣を抜いて斬りかかってくる。それを彼女は無造作にかわし、急所を狙って刀の峰で強く打った。数瞬後には気絶した男たちが地面に転がっている。
「――さてと。あなた、大丈夫?」
洋子は振り返って背後の娘を見た。自分より年長のようだ。
「はい。ありがとうございます」
その訛りはさっきから聞いている京都のものではなかった。むしろ江戸に近い。
「あの、あなた、江戸の方ですね?」
娘はそう訊いた。隠す必要もないように思われたので、軽くうなずく。
「だったら、うちにお泊まりになりませんか? ええ、助けてもらったという事でただにさせてもらいます。うちは料亭兼宿屋ですから」
洋子はそれを受けることにした。

 

 「葵屋…」
娘について行った先にあったのは、表通りにある普通の宿屋だった。葵屋という名前で、玄関先では痩せた長髭の中年男がほうきではわいている。
「翁ぁ、お客さんよー!」
やや離れたところから呼びかける。その長髭の男がこちらを見た。
「お増か。――おお、よう来てくれました。さ、お上がりを」
洋子の姿を見て頭を下げ、中に入れようと扉に手をかける。そこにお増と呼ばれたあの娘が近寄っていって袖を引き、耳元に何事か囁いた。
「――何と」
翁と呼ばれているらしいその男は、お増の話を聞いた後洋子の全身をまじまじと眺めた。信じられんと顔に書いてある。
「あの浮浪人どもを一刀で斬り伏せるとは…。いやはや」
そのお歳で素晴らしい、と誉められた。複雑な思いで頭をかく。
「あ、もちろんお代は頂きませぬぞ。お増を助けていただいたお礼です、どうぞ何日でもご自由にいらして下さい」
そう言うと、洋子の手荷物を預かって中に入った。

 ここの人間は、皆どこか訛りが京都離れしている。江戸の訛りがかなりあり、どうも京都に来た感じがしないのだ。
「皆さん、江戸かその近くかのご出身なんですか? 訛りがかなり混じってますけど」
「そうじゃよ。京都に来たのは十年前でな、天子様が開国に反対じゃと伺って、これは一波乱あるなと思ったんじゃ。そしたら案の定、諸国から浪士が集まってきおった。おかげで特に最近は水戸系の浪士がよう利用してくれる」
なるほど、と歳に似合わぬ老人言葉を使う翁の話し相手をしながら洋子は納得した。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったのう」
何気ない台詞だったが、洋子は一瞬ためらった。
「――天城洋です。お世話になります」
「儂は柏崎念至じゃ。何か用事を頼むことになるやも知れぬが、よろしく頼みますぞ」
と、そこに料理が運ばれてきた。一口食べてみて
「美味しい…! 京都の味って薄いって聞いてたけど、ここのは結構味ついてるじゃないですか。うん、これはいけます」
煮物を立て続けに口に放り込みながら、洋子は率直に誉めた。翁が声を立てて笑う。
「じゃから水戸の味が恋しくなった浪士たちが利用してくれるんじゃ。京都の料理は醤油をかけんと食えん、というのが彼らの言い分でな」
「分かります、それ。大津で京料理をやってる店に入ったんですけど、味が薄くてもう食べ物じゃないって思いましたもん。変な意味でここの人を尊敬しちゃいました」
翁が分かる分かると言いたげに笑い、冗談混じりに
「ではここも、関東料理を売り物にしますかな。会津藩も京の薄味には参っているようですし、腹が減っては戦ができぬと申しますからな」
「いいですねえ、それ。結構儲かると思いますよ」
酒も少し入り、冗談を言いながら食事する。みんなと確実に再会するまでここにいようと洋子はひとまず思っていた。

 

 さて、その日の夜。布団を引いて横になった洋子の部屋に、さっきのお増がやってきた。何の用だろうと思って扉を開ける。
「夜伽を致しましょうか、洋さん」
一瞬面くらい、次の瞬間慌てて首を振って否定する。
「いや、いいって。ただで泊まらせてもらってるんだから、そこまでしなくても…」
「恩人なんですから、それくらいは当然です。ね、いいでしょう?」
洋子は困った。初体験の何のという前に、自分は男ですらない。男装は旅の安全のためであり、道中は金がないからと言って夜伽の相手はなし。一度民家に泊まったときに風呂に入ったきりで、裸になったことさえ滅多にない。
「いや、その、あの…。私はそう言うの、まだ体験してないから…」
「大丈夫ですって。どうせいつかはみんな体験するんだし、こういうことは早い方がいいに決まってます。私が良いようにして差し上げますから、ね?」
 逆効果だったかと頭痛を感じつつ、なおも洋子は強い口調で
「だから、そういう意味じゃなくて…」
と、お増は態度を一変させた。にっこり笑ってこう言ったのだ。
「そうですか。やっぱり、女同士じゃ寝れませんよねえ」
「そう、それそれ…」
頷いてからぞっとした。一瞬沈黙し、恐る恐る尋ねてみる。
「――気づいてたの?」
「ええ」
平然と、相手は頷いていた。

 「確かに、最近物騒ですからねえ。気持ちは分かりますよ」
女であるという秘密を握られた洋子は、大まかな事情を話さなければならなくなった。江戸である人間たちに追われ、知人のいるこちらに来たこと。追手の目をくらますための変装が、いつの間にか身の安全のための男装に変わっていったこと。
「で、その知人の居場所は分かります?」
「うん…。ただ、行くと迷惑になるんじゃないかとも思うし、そのうち私を追ってた連中も忘れてくれるかも知れないし。しばらくお世話になるけど、いい?」
「別に、私たちはちっとも構いませんから」
ありがとう、と洋子は言った。さっきのようなのが日常茶飯事だとすれば、みんなは忙しくなる。道場を紹介してもらってもっと腕を磨こう、と彼女は考えていた。