るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十四 「秘密」(2)

 「──あの阿呆、何か隠してやがる」
その頃には、斎藤も感づいていた。柳田の態度、中でも洋子に対するそれが変なことは前から気づいていたのだが、最近は当の彼女、更には松原の態度までおかしくなってきた。互いによそよそしいだけならともかく、洋子の場合、他人の稽古はそっちのけで裏庭で一人修行をしているらしい。呼び戻しに行くと気配で分かるのか、彼が着く頃には修行を止めているので、何をしているのかよく分からない。
 更に面倒なのは、沖田でさえ一言も相談らしいことを聞いていないことだった。土方でさえ、はっきりしたことは聞いていないらしい。本来他人のことなどどうでもいい斎藤だが、こうなると返って気になってきた。大体洋子がいるといないとでは彼の仕事の量が違うので、ある程度のことを知る権利と義務はあるのだ。
 「──そう言えば、数日前にお増さんが来たとき……」
「お増というと、葵屋のか?」
本人に問いただす前に、お夢に会って話を聞く。子供の方がよろず警戒は少ないものだ。
「ええ。何か聞いてましたよ。柔術相手に戦うにはどうすればいいか、みたいなこと」
「────」
口には出さなかったが、斎藤はこの時かなり憤慨していた模様である。屯所に戻ってすぐに洋子のいる裏庭に向かい、まず殴っておいて怒鳴りつけた。
「この阿呆が、事もあろうに御庭番衆なんざに戦い方を訊きやがって!! 情報が漏れたかも知れんのだ、奴らを頼るのも程々にしろ!!!」
一瞬呆気に取られたものの、洋子は次の瞬間には反応していた。
「だって斎藤さん、一回だってまともに戦い方を教えてくれたことないじゃないですか!!! 誰がそういう人に訊く気になりますか!!?」
「だからと言って半分以上は敵の奴らに、そんなことを訊く阿呆がどこにいる!! 俺でダメでも他の奴らがいるだろうが!」
「出来たらとっくにそうしてます!!!」
斎藤はやや表情を改め、数秒おいて口を開いた。
「ほう……。言い換えれば、そう出来ない事情がある、と言うわけか」
相手は言葉に詰まった。どうやら作戦が当たったらしい。
「後でその付近は聞いてやるから、戻れ」
口の端に凄絶な笑みを浮かべながら、斎藤は言った。

 「──阿呆。そういうことはもっと早く言え」
酒一升と晩飯をおごらされるというおまけまで付いて、洋子は斎藤に事情を喋らざるを得なかった。聞いた後の第一声がそれである。
「だけどこれ、証拠もありませんし」
「俺は、それが原因だと思うがな」
洋子は数秒黙り込み、再び口を開いた。
「そうならそうで、基本的に私と柳田さんの間での問題ですから」
「で、柳田に勝つためにはどうすればいいかと考えていた、か」
彼女はこくん、と頷いた。どうしようもない阿呆だな、と斎藤は思う。
 自分に訊かなかった理由は、彼女の言う通りだから仕方ないにしても。沖田にさえ聞かないとは、阿呆も末期症状である。
「とにかくこれ以上、御庭番衆に情報を与えるな。後が面倒になる」
「──はい」
洋子は、この場は素直に頷いた。

 洋子と柳田は、実力的にはほぼ互角と見て良かった。従って負ける可能性もある。本人は負けて死んでも覚悟の上だろうが、周りはそうはいかない。大体こういう形で彼女が女である事実がばれることなど、斎藤は予測していなかった。
「──対応は君に一任する。いいようにしてくれ」
土方からはそう言われたものの、彼自身の結論は出ていない。
 そもそも、新撰組に入る気もなかった洋子を誘拐同然で壬生の屯所に連れ込み、強制的に入隊させたのは彼である。彼女が自主的に入ったのなら今回のことも完全に彼女の責任なのだが、強制的に入隊させられたという一事で斎藤も少しは責任を負うべき立場になっていた。もし入らなければ、こんな事件には巻き込まれずに済んだのである。
「とは言え、御庭番衆なんざにあいつを渡す気はない。あいつに家事炊事が出来るとは思えんし、こうするしかなかったんだがな」
斎藤は自室で呟いた。ただ、いくらそれ自体が仕方のないこととは言え、今回の件に対する責任を負わなくていいという事にはならない。
「あの阿呆が、妙なことほざいたりするからだ」
最後にそう呟き、会議の知らせを受けて立ち上がった。

 一方、原因を断定された形の洋子は必死だった。斎藤から土方に報告は行っているはずだが、土方からは何の音沙汰もない。
『私のせい。私が決着をつけなきゃ──』
間合いのない密着状態から倒すのは、自分の体力や腕力から判断して無理だろう。となると問題は、いかにして掴まれる前に倒すかだった。
 柔術では手で掴むと同時に、足を敵に引っかけて体勢を崩す技が多い。こちらが傷つけるとすれば手よりも足、と洋子は見ており、前に手本を見せて貰った牙突弐式の習得は欠かせなかった。斜め上から突き下ろす技で、太股、膝、すね、足の甲などを咄嗟に突き分けられるようにならねばならない。伊東のやる勉強会も欠席が目立つようになり、さすがに感づいた伊東が自分に付いてきた篠原に事情を調べるように依頼するなど、次第に事は大きくなりつつあった。本人はしかし、それどころではない。
「最近、帰りが遅いですね」
「うん…。色々あって忙しいから」
お夢が言ってもごまかして、ご飯をかき込む。事情を知っても仕事は相変わらずなので、人のいない場で遅くまで稽古していた。更には夜中、お夢が寝静まった後も一人庭で稽古していたのである。殺すにしても監察部も使えない(と彼女は判断していた)状況では、その日の柳田の動向を知ることさえ容易ではない。
『後腐れのないように、誰にも見つからずにやらなきゃダメ。ばれたら粛正される』
かと言って余り遅れると、それ自体が士道不覚悟で粛正の対象にされかねない。脅迫観念にとらわれている彼女を、斎藤は呆れた眼で見ていた。
 もう少し上手くやるかと思ったが、とことん阿呆なのだ。洋子が死ねば、まずもって御庭番衆が黙っていない。原因を知れば尚更、こちらの責任を追及される。既に原因を調べ始めていることは間違いなく、下手をすれば戦争、そうは行かずとも新撰組の追い落とし工作をされることは覚悟しなければならなかった。要するに彼女は死なれては困る存在なのだが、その付近の認識が完全に欠落している。
 おまけに相変わらず、自分は全く信用されていないことが明白だった。牙突弐式の見本程度、彼女が頼めばいくらでも見せてやるのに、一度も頼んでいない。事ある毎にこれでは、師匠としての面目が立たなかった。
「──ったく」
子供が意地を張っているのと、根本的には全く同じなのだ。とは言え無視されると返って関わりたくなるのは、人の習性の一つである。そして今回の場合、斎藤にとってこの習性は、洋子の代わりに柳田を暗殺することを意味していた。

 

 七月の月末、夕方のことだ。
「おい、阿呆。届け出もなしに勝手に出るな」
「出るんじゃなくて、家に帰るんです」
屯所の門で、斎藤は洋子に追いついた。まだ他の幹部は残っている。
「ウソも程々にしろ。途中でどこで何やってるんだ」
「斎藤さんには関係ないでしょう。仕事はちゃんとやってるんですから」
それで済む問題ではない。そう言おうとして、ふと相手の刀の様子が違うのに気づいた。鞘の鯉口付近に、赤い紐が巻かれているのだ。
「ああ、これですか? お守りですよ。父が仕事上で大事なことを……」
   ボカッ!!!!
 お守り、と聞いただけで洋子が何をやる気か見当の付いた斎藤は、説明も聞かずに刀の鞘ごとで殴りつけた。脳震盪を起こしたのをいいことに、腕を掴んでずるずると屯所内に連れ戻す。途中で気が付いた彼女が痛いだの何だの言っているのにも耳を貸さず、自室に放り込んで襖をビシャッと閉めた。
「今日という今日は言わせて貰うがな、この阿呆。誰をやるにしてもまずは俺に一言言ってからにしろ。勝手に暴走するな」
「だって、これは私個人の問題ですから」
「阿呆。いい加減にしろ。負けたらお前個人の問題じゃなくなる」
「死んだ後の事なんて、知りませんよ。勝手にして下さい」
脳震盪寸前の一撃が、洋子の頭に命中した。さすがに我慢の限界を超えたらしい。
「勝手にしろで済む問題か!!」
怒鳴りつけ、呆気に取られた相手に更に言う。
「いいか、お前が死ねばまず御庭番衆が黙っていない。お夢や沖田君だって悲しむだろうし、それ以前にお前を預かった俺の立場がない。少しは自覚しろ!」
「──そりゃ、お夢とかは悲しむかも知れませんけど、普段の仕事でも危険なことに変わりありませんから。斎藤さんは返ってせいせいするんじゃないですか? 私っていううるさいのがいなくなって」
「──っこの……」
今度こそ、堪忍袋の緒が完全に切れた。
「だったら、誰が抜刀斎なんざと戦ってるところを庇ってやるか!!! 黙ってれば人を鬼か悪魔のように言いやがって。人でなし扱いするのもいい加減にしろ!!!!」
「じゃあ、そうでないところを見せて下さいよ。そうまで言うんだったら!」
言うと同時に洋子が鞘ごと床に叩きつけた刀が、持ち主の手を離れてあらぬ方向へ飛んでいく。動きの止まったそれを拾ったのは、斎藤だった。
「──今夜、この刀預かるぞ」
「え? で、でも……」
「柳田は俺がやる。この刀でな」
すらりと抜いた。刀の先端に軽く触れて、長さを確認する。自分には少し短いが、小太刀としてもやや長い。身長からして、洋子に丁度いい程度の剣だった。
「妖刀村正、か」
室町時代には将軍に次ぐ実権を持っていた畠山家は、表向きは幕府に仕えながらもどこかで政権の転覆を望んでいたのだろう。徳川家に害をなすとして禁じられた刀が、こんな所にあったとは。そしてこれを洋子と共に引き渡した実家の従兄弟は、彼女の不幸を望んでこうしたに違いなかった。所有者が狂ったという話も聞くが、よくこの娘が狂わなかったものだ。──いや、狂いかけたのか。それを止めるために……。
「あの、人の刀の何を見てるんですか?」
長く流れた沈黙を破って、洋子が口を開いた。
「いや、誰の作かと思ってな。とにかく今夜、この刀を預かるぞ」
次の瞬間、斎藤の腰の刀が飛んできた。掴んだ洋子に
「とは言え、脇差し一本で帰るわけにも行くまい。貸してやる」
「──はい」
頷いた。そして相手は、襖を開けて
「で、場所は」
洋子が短く答える。そのまま振り返りもせず、斎藤は部屋を出た。

 息をついた彼女は、床に赤い紐が落ちているのに気づいた。

 

続 く