るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十四 「秘密」(3)

 「柳田君」
とある寺の前で、斎藤はそう呼び止めた。どこかへ遊びに行く途中らしい。
「──ああ、斎藤君」
応じた顔が、ややびくついている。こいつは間違いないな、と思った。
「君がこちらに来るとは、珍しいな」
「今日はちょっと君に──その、話があって」
と、相談事でも持ちかけるような口調で言ったので、柳田は斎藤の方を見た。目が据わっている。咄嗟に飛び退いた。
「──フン、やはりな」
「誰の命令で殺しに来た? 副長か、それとも──」
一気に緊張する。相手は既に臨戦態勢だ。
「おいおい、折角こっちが尋常に勝負してやろうってのに、町中でする気か?」
斎藤はふてぶてしい表情で言った。更にニヤリとして
「決闘向きの場所を知ってるぜ」
そのままくるりと背を向けて、歩き出す。柳田は襲いかかりたいような、逃げ出したいような、矛盾した気持ちに駆られた。敵が無防備すぎて、どうにも動けない。
 ややあって、柳田は斎藤の後に付いていった。

 ついたのは、市外の竹林だった。確かに決闘向きで、夜間ともなれば人は通らない。
「──さて、立ち合って貰うとするか」
ここに入って始めて振り返った斎藤が、そう言った。おもむろに刀を抜く。
「何故貴様が?」
本来、天城洋が戦うべきところである。他人が代理して済むような問題ではない。
「──さあな。やりたいからやる、それだけだ」
互いに身構えた。無論斎藤は牙突である。
 そのまま無言で突進し、戦いが始まった。

 「斎藤さん、大丈夫かなあ」
普段なら決して、口が裂けても言わない一言が洋子の口から飛び出した。
「あーあ。借り作っちゃったなあ」
ふう、とため息が出る。月のない中を彼女は一人帰っていた。
「おまけに何か、傷つけたみたいだし。──やれやれ」
またため息が出た。──何だかんだ言って、斎藤は自分に危険がある時、何らかの形で関わっていた。優しい言葉は一度もかけて貰った覚えがないが、斎藤としては関与すること自体で彼なりに誠意を示したつもりかも知れない。
 人でなし扱い、か。
 意識したことはなかったが、確かにそうかも知れない。ただ、それが洋子から見た斎藤の姿の反映だったことも事実だった。試衛館時代から、斎藤との関係に甘えの入る余地はなかった。不満を言えば叩かれ、かと言って大人しくしていると殴られる。単なる虐待にしか思えなかった。
 それでも、試衛館では沖田に不満を言って我慢できた。が、京都に来て彼の病気が進むに連れて、愚痴をこぼすことを躊躇うようになった彼女は、かと言って他にいい相談相手も見つからず、一人で抱え込んでいた。
「あーあ。ちょっと遅かったかも」
嫌いな人間に時間をかけるほど、斎藤は親切でも物好きでもないのだ。そのことに気づくのが、遅かった。冷静に考えればすぐに分かったはずなのに、『土方に頼まれて教え始めた』、『稽古内容が無茶苦茶なくせにこちらが不満を言うとすぐ叩く』、そして『そもそも普段からして自分に冷たい』。だから嫌いなのを我慢しているのだと思っていたのである。彼が何度「違う」と言っても、洋子は信用していなかった。そして、少なくとも旗本時代の人間関係から見れば、それで正しいはずだった。
「斎藤さんも斎藤さんよ。もっと親切にしてくれれば、誤解せずに済んだのに」
呟いた洋子は、明かりの見える長屋の戸をがらりと開けた。
「あ、洋子さん。先に失礼してます」
「沖田さん!?」
その声に驚いて、戸を思い切り閉めると同時に駆け上がった。

 柳田も、刀は大小を帯びていた。だが剣術師範の斎藤相手に、その方面では未熟な自分がそれを使っても勝ち目は薄い。得意の柔術で関節外しでもやった方がまだ良かった。
 斎藤の突進を、柳田は待ち受けていた。死角に当たる右腕を外から掴んで投げ飛ばすも、受け身を取られてすぐに立ち上がられる。それから両者は、身構えたまましばらく身動き一つしないでいた。
「貴様がこうしていることを、天城洋は知っているのか?」
柳田が訊く。斎藤はやや緊張を緩め
「知っている。というかあいつが来ようとしたのを俺が止めたんだ」
「──何故そうまで」
他人の争いに口を挟めば、士道不覚悟で粛正されかねない。
「数年も人でなし扱いされ続ければ、そうでない証明も立てたくなるさ」
薄笑いを浮かべて応じる。それから数秒、互いに動かなかった。風が吹きぬける。
 カッと目を開いて、二人は同時に動いた。突進し、斎藤が柳田の足を狙って攻撃をしかける。突き下ろそうとした瞬間、自分の股の間に敵の足が入り、蹴り上げられて身体が宙に浮いていた。半回転して体勢を崩し、背中を竹に叩きつけられる。その衝撃で、刀が手から落ちた。胃液混じりの唾が吐き出された。
 間髪入れず、地面に頭から落ちた斎藤を柳田は抑えに入る。無論ただ抑えるのではなく、下半身の動きを封じながら腕をねじ上げ、関節を外しにかかるのだ。だが結果として抑えがおろそかになり、右腕が僅かに動くようになった斎藤は刀の鞘で柳田のすねを強く打った。抑えが弱まった瞬間、素早く離れて再び刀を手に取る。
 さすがに柔術師範である。こちらが思っている以上に動きが早く、その速度に斎藤は対応し切れていなかった。牙突壱式、弐式と封じ込まれてしまったのである。
 あの阿呆なら、と、更に斎藤は考えた。組む前に伸びる手を狙って攻撃するところだろう。だがそんな細かい技は自分には向いていない。第一あの技には、刺突そのものに弓術並みの精度がいる。腕力のない洋子が、沖田と考えた技だった。それ以前に師匠である自分が弟子の技を借りるなど、彼の誇りが許さないのである。
『まだ開発段階の技なんだが……』
あれを使ってみるか、という気になった。抜刀斎と柳田とでは戦い方も全く違うが、威力を確認する意味では使ってみる価値がある。
「今度はこちらから行くぞ」
柳田が攻めてくる。それを斎藤は、身じろぎもせずに待ち受けた。一瞬不思議に思った相手だったが、速度を落とさずに突っ込んでくる。敵が自分の間合いに入った瞬間、斎藤は刀の切っ先をそちらに向けた。肩に手を触れたかどうか、その刹那。
「牙突零式!!!」
柳田は身体の中央を貫かれ、竹林の中を数間飛んで一本の竹に釘付けにされた。

 「斎藤さんが心配してたよ」
沖田が言った。料理が出来上がるまで、庭で立ち話をしている。
「──そうみたいですね」
洋子の口調が大人しい。何かあったのかと聞いてみた。
 小声で話し終えると、彼女は一息ついた。
「──結局、私が行かせたようなものなんですよね」
売り言葉に買い言葉、で行くのを決めた面はあるにせよ。本来私がやらなきゃ行けないことなのに、と洋子は呟いた。
「その付近は置くとして、斎藤さんが帰ってきたら今度こそもう少し大人にならなきゃ。師匠兼上司で、一番顔を長く合わせてる関係なんだから、信用してあげないと」
「──はーい」
自分の従兄弟に裏切られた人間に、他人を信じろなんて言ってもすぐには無理なんだろうけど、斎藤さんまで妙な目で見ることもないだろう。沖田はそう思っていた。
 彼自身、自分の病気のことは知っている。心配をかけてはいけないと思い、誰にも言ってはいないのだが、気づいている隊士も多かった。洋子もそのうちの一人だったようで、最近は話す機会も減っている。
「まあ今までの経歴見てれば、洋子さんがそう言う態度に出るのも分かるけどさ。僕もまだまだ大丈夫なんだから、遠慮しないで愚痴なり何なりこぼしてよ」
「はい。今度からそうします」

 自分で繰り出しておきながら、余りの破壊力に斎藤はやや呆然としている。やがて恐ろしいほど凄絶な笑みを浮かべ、刀を敵もろとも貫かれている竹から引き抜いた。血が噴き出し、柳田は崩れ落ちて倒れ込む。
「なるほど、妖刀なわけだ」
洋子から借りた刀を見て、斎藤はそう呟いた。
 斬れ味が良すぎる。敵の身体の中央を背中まで貫いて、手応えが全くないのだ。豆腐か紙でも斬った程度のそれしか、彼には感じられなかった。
「こんなもの毎日振るってれば、斬ってる感覚もなくなるな」
だから村正の所有者は、斬った感覚を求めて狂い出すのだろう。この刀の優秀すぎることがもたらした、悲劇と言って良かった。
「──その…刀、本来の差料では──」
「ああ。洋子の刀だ」
柳田の声に、斎藤はそう応じた。
「──と言うか、畠山家の姫君が売られたとき、自害用について来た刀さ」
「な……!!?」
柳田は目を剥いた。あの男装の娘に、そういう秘密があったとは。
「だから、あんたには俺が手を下さねばならなかったんだ」
本人ではなく。それは、全てを承知で預かった人間の義務だった。
「ふ……。なるほど…な…」
それだけ言って、柳田は目を閉じた。

 

 「この阿呆! 人の刀借りておいて、何を遅れて出てきてるんだ!!」
「だって、昨日沖田さんが来て、遅くまで色々話してたんですよ。少しくらい……」
「それとこれとは話が別だ! ったく、今日という今日は今まで怠けてた分きっちり働いて貰うぞ。覚悟しろ!!!」
翌朝、沖田が休息所から出勤して来たときには既にこの騒ぎだった。勿論声の主はいつもの二人である。
「どうしたの?」
「いや、今日は珍しく斎藤先生が先に出勤してきまして。それで遅れてきた天城先生を気絶するほど強く殴りつけた挙げ句、顔にたらい一杯分の水をぶっかけたそうで」
近くにいた平隊士が、笑いながら説明する。沖田はもろに頭痛がしてきた。
『折角僕が昨日、洋子さんに言ったのに……』

 何はともあれ、これで洋子たちに関しては終わった。
 が、終わっていない人間もいた。

 

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