るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十五 洋子と近藤(1)

 慶応三年七月末。
「では、行ってくる」
「ああ。頼むぞ」
お供に数人の平隊士を引き連れ、江戸まで隊士を新規募集するための旅に出る土方を見送って、近藤は言った。
 見送りには他の幹部隊士もいた。その中には洋子もいる。
 斎藤から受け取る手紙は、これからしばらくの間、近藤に直接渡すことになっていた。

 今まで洋子は、近藤と余り縁がない。専ら斎藤、沖田、土方の三人で彼女に関することを処理して来たせいで、廊下で出会った時に挨拶はするがそれだけ、という関係が続いて来た。だが、ここに至って少なくとも数日置きに近藤と顔を合わせることになった洋子は、土方とのやり方の違いに驚くことしきりだった。
 まず挨拶をし、次いで監察方全体の業務報告、そして雑談。それらに紛れて斎藤からの報告書の受け渡しをする。全部を足すと時には四半刻(三十分)に及ぶことがあり、土方の部屋には一分もいなかった洋子は、最初のうちは戸惑って
「お忙しいでしょうに、いいんですか」
「なに、気にするな」
笑って応じられ、更に剣術師範として稽古をつけている他の隊士のことも訊かれる。雑談の中身と言えば多くの場合そうしたことで、洋子からすればどうでもいいことなのだ。更に面喰らったのは、近藤がしばしば自分の目の前で手紙を読むことである。
「何から何まで逆ですよ、ホントに」
見舞いがてら訪ねた沖田の部屋で、そう言う。彼は畳の上に直に横になっていた。
「一度は手紙の内容を教えてくれようとしたんですから。流石に人目もあるし止めてくれって頼んだんですけど」
「あれ? 手紙、読んでないの?」
沖田が驚いた様子で訊く。洋子は目を瞬かせて問い返した。
「読んでいいんですか?」
私宛の手紙じゃないのに、と言う目の前の少女に、沖田は苦笑混じりに微笑した。
「ばれないように読めば大丈夫だよ。斎藤さんに色々聞かなくて済むし」
「あ、そうか!」
洋子は手を打った。それから満面に喜色を浮かべて
「阿呆とか言われずに済みますもんね。叩かれる可能性も減るし」
今度からそうしよう、と洋子は早速決心した。

 茶屋の店先でクズキリを食べて一息ついていた洋子は、背後から振り下ろされるものを間一髪かわした。
「ちっ、外したか」
「気配がしてましたからね」
聞きなれた声に、やや得意げに応じて振り返る。
「予測ついてましたし。こんな格好したら斎藤さんに殴られるっての」
一撃を再度かわされ、斎藤は舌打ちして応じた。
「阿呆。分かってるんなら着るな、振り袖など」
しかもまた経費落ちだろう、と前とは違う衣装を見て言う彼に洋子は
「違います。お増さんから借りたんです」
   バゴッ!!!
「また葵屋か。連中と親しくするなと何度言えば分かるんだ」
「だって、いらなくなったからあげるって言われたんですよ。でも高そうだったからそれはやめて、今日一日だけ貸してもらうことにしたんです」
振り下ろした一撃が、またかわされた。今日はよくよく警戒してるらしい、と悟って派手ではないが上品な薄紫の振り袖から顔を背け
「阿呆。借りたもん着たらそれだけで連中には分かるだろうが」
「連中って、敵でもないのに。大体着てなくても分かりますって」
「──これだけ言い合ってたら、そりゃ阿呆でも分かるだろうな」
怒鳴り合いになっていないので人だかりはないが、それでも周りの客と店員は二人の喧嘩を遠巻きに見つめている。自分の一睨みでそそくさと各々の作業に戻るのを見て、斎藤はふん、と言うと
「まあいい。取りあえず行くぞ」
「あ、はい!」
お茶を一気に飲み干して、洋子は斎藤の後を追った。

 歩きながら手紙を受け取る。この付近のさり気ない動作はお互い慣れたものだが、これで用事が済んだと思った洋子は、用事があるからと言って早めに帰ろうとした。
「こら待て、阿呆。正確にはいつ来れるか分からんから長めに時間を空けとけと言っとるだろうが。今日に限って早く帰るな」
「たまにはいいじゃないですか。用事は済んでるんだし」
この服装だとアレも出来ませんし、と続ける。アレとは二人きりでの稽古のことだ。屯所での模範稽古の調子でやるので物凄くきついのだが、斎藤は『お前の腕が落ちてないかどうか調べる』という名目で、二、三回会ううちの一回は必ずやっていた。
「とにかく、今日は用事があるから帰ります」
「とか何とか言って、俺が渡した手紙を読もうとしてるんだろうが」
ギクッとなった次の瞬間、
   バキッ!!!
「やっぱりそれか、この阿呆。今日に限って俺たちの様子を聞かないから妙だとは思ってたんだが。誰も見ていいとは言っとらん」
「沖田さんが言ったんです。斎藤さんに聞かなくて済むからって」
「阿呆。沖田君がそう言ったからって本人の許可も取らずに見る奴がいるか」
洋子は一瞬言葉に詰まったが、反論して
「それはそうかも知れませんけど、こうやって長々と喋ってたらいつばれるか分かったもんじゃないんですからね。短く済ませた方がいいに決まってます」
「ばれたらその時点で終わるだけのことだ。お前に心配されるようなことじゃない」
次の瞬間、斎藤は洋子を片手で制した。誰か知り合いでもいるのか、と緊張して周囲を見回しつつ気配を探ると、目の前に出入り口のある店から妙な複数の気配がした。
「斎藤さん──」
やっぱりここで別れた方が、と言おうとしたその時
「入るぞ」
「へ!?」
驚く間もなく、相手はその店に入ってしまう。後を追うようにして洋子も入った。

 店の奥で、眼光鋭い数人の男が遅い昼食を取りながら話し合っている。気配だけは慎重に探りつつ、二人はやや手前の席で腰を下ろした。
「で、何か食うか」
「おはぎとお茶にしようかなあ」
「──お前、さっきクズキリ食ったばっかりだろう」
「甘いものは別腹です。で、斎藤さんは?」
ぬけぬけと言ってのける洋子に舌打ちしつつ、斎藤は周囲を見回した。
「握り飯でも食うか」
奥にいる男たちは、こちらに気づいていないらしい。しばらく立ち去る気配が無さそうだった。

 男たちは、随分荒っぽい口調で話していた。洋子たちに背を向けて座っているため顔は分からないが、槍の使い手が一人、如何にも力自慢の巨漢が二人。更に彼らの陰に隠れてあと一人か二人はいそうだった。服は薄汚れて裾などは擦り切れかかっており、どう見てもまともな主人のいる侍ではない。
「下らん。もっと派手にやらねば」
「しかし人をどう集める? 十人集めるのにも一苦労したんだぞ」
「弟子にも声をかけろ。腕試しだと言え」
「し、しかし…」
巨漢の一人に言われて反論しかけるも、奥にいる男は辺りを見回して口ごもったようだ。
「兵庫開港問題で先帝のご遺志を無視するような男には、天誅を加えてやればいいんだ。それとも貴様、怖じ気付いたか?」
数カ月前、幕府と朝廷の間では兵庫の開港が決まったばかりだ。強硬に反対していた孝明天皇の死後、再びこの問題が議題に上るようになり、結局慶喜がかなり強引に決めたのだが、攘夷派の者はもちろん、既に開国派に転じていた薩摩や長州もこれを喜ばなかった。薩長はこの問題を紛糾させることで諸外国の信頼を失わせ、幕府を追い詰めて討幕に持って行く予定だったからである。
「どうやら、妙な現場に居合わせたらしいな」
中の一人に迫っている男たちを見やって、斎藤が呟くように言った。
「ここで別れましょう。私が後をつけます」
「阿呆。俺がつける」
その格好で万一のことがあったらどうする、と言われて黙り込む。茶を飲んで口を開こうとした瞬間
「明日、また連絡する」
「あ、はい。──場所は?」
「上州屋の店先」
「分かりました」
それだけ会話を交わすと、二人は再び黙って男たちの様子を探っていた。

 夕方、屯所に戻った洋子は、いつものように近藤に会いに行った。
「歳から手紙が来た。募集はどうやら順調らしい」
「そうなんですか?」
近藤は頷き、土方の手紙を見せてくれた。
「──あ、おぬいさんに気に入ってもらえたんだ」
読み進めるうちに、洋子は微笑んでそう呟いた。
 おぬいというのは土方の親戚の娘で、洋子より幾つか年上である。実は彼が江戸に旅立つ前、おぬいへの土産選びを頼まれて、色々と女が気に入りそうなものを買い揃えてやっていたのだ。そのことの結果報告と洋子へのお礼──「感謝していると伝えてくれ」との文面だったが──も手紙に綴られており、恐らく近藤が見せたのもそのせいだろう。
「歳も意外と気が効くな。天城君にそんなことを頼んでいたとは」
「あれ。局長は知らなかったんですか?」
「あいつは妙に秘密主義だからな」
近藤は苦笑混じりに頭をかく。思い出してみると土方に買い物を頼まれたのも、こうした受け渡しの時だった。用件が済んで帰ろうとしたら、いきなり
「おぬいの気に入りそうなものを適当に見繕って買っておいてくれ。金は渡す」
と言われ、洋子が戸惑っていると
「頼む」
と頭を下げられ、引き受けざるを得なかったのである。この話を近藤にしたところ
「そうか。大変だったなあ、天城君」
ハハハ、と彼は軽く声を立てて笑った。
「それは断るわけにもいかんだろう。ご苦労だったな」
「まあ、悩んだ甲斐はあったみたいでよかったです」
と言ってすっと懐から紙を取り出し、床に置く。近藤は自分の懐にそれをしまった。
 その後雑談を少しして、洋子は近藤の部屋を出た。

 

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